<勝海舟と坂本龍馬>
いうまでもなく、師弟関係ですね
この地は勝海舟屋敷跡とのこと。もっとも、勝海舟はたびたび引っ越しをしましたので、そのうちのひとつということになります。
<説明板と石碑>
勝安房邸跡と題して説明がなされています。安房(あわ)とは官位に由来する呼び名ですね(幕末に安房守(あわのかみ)を名乗ったため)。維新後は安房から安芳に代えたことから、 石碑の方は勝安芳邸址と刻まれています。
説明文を以下に転記させて頂きます。
『この地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が明治五年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。その間、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら有名な『氷川清話』などを遣しました。その時の屋敷跡は東京市に寄付され、平成五年(1993年)春まで港区立氷川小学校敷地として使用されていました。その後、氷川小学校が廃校となったため、その建物を生かしつつ改修を行い、平成十五年から区立特別養護老人ホーム及び子ども中高生ブラザとして使用して現在に至っています。施設内には、屋敷跡の発掘調査で出土した当時の縁の品などが展示されています。』
波瀾万丈な生涯をおくった勝海舟の最後の住かということですね。敷地はその後小学校として、現在は福祉施設として活用されています。
さて
その勝海舟のお隣に毅然と立つ龍馬ですが、開国論者の勝を斬るために会いに行ったものの、逆に世界情勢や軍備の必要性を説かれ、その場で弟子になったという話が広く知られています。いい話ですね。ただ、実際にはしかるべき地位の方の紹介状を受けた上で訪問しているので、本当に斬りかかるということは考えにくく、ちょっと誇張された話なのかもしれません。ただ、龍馬が海舟に心服していたことは間違いありません。龍馬は、海軍操練所の設立や薩摩藩との交渉役を任されました。勝との出会いで、いわば「働きの場」を与えられたわけですね。
幕末に大きな役割を果たした師弟の姿です
■訪問:勝安房邸跡
(勝海舟邸跡)
[東京都港区赤坂]6丁目
■参考及び出典
現地説明板(港区)
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