アフィリエイト広告を利用しています

2023年05月16日

赤坂の勝海舟邸跡(勝安房邸跡)

港区赤坂でこんな光景と出会いました

<勝海舟と坂本龍馬>
Two-strong-personalities-Katsu-Sakamoto.JPG
いうまでもなく、師弟関係ですね

この地は勝海舟屋敷跡とのこと。もっとも、勝海舟はたびたび引っ越しをしましたので、そのうちのひとつということになります。

<説明板と石碑>
Katsu-Mansion-Ruins-Akasaka.JPG
勝安房邸跡と題して説明がなされています。安房(あわ)とは官位に由来する呼び名ですね(幕末に安房守(あわのかみ)を名乗ったため)。維新後は安房から安芳に代えたことから、 石碑の方は勝安芳邸址と刻まれています。

説明文を以下に転記させて頂きます。 
『この地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が明治五年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。その間、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら有名な『氷川清話』などを遣しました。その時の屋敷跡は東京市に寄付され、平成五年(1993年)春まで港区立氷川小学校敷地として使用されていました。その後、氷川小学校が廃校となったため、その建物を生かしつつ改修を行い、平成十五年から区立特別養護老人ホーム及び子ども中高生ブラザとして使用して現在に至っています。施設内には、屋敷跡の発掘調査で出土した当時の縁の品などが展示されています。』

波瀾万丈な生涯をおくった勝海舟の最後の住かということですね。敷地はその後小学校として、現在は福祉施設として活用されています。

さて
その勝海舟のお隣に毅然と立つ龍馬ですが、開国論者の勝を斬るために会いに行ったものの、逆に世界情勢や軍備の必要性を説かれ、その場で弟子になったという話が広く知られています。いい話ですね。ただ、実際にはしかるべき地位の方の紹介状を受けた上で訪問しているので、本当に斬りかかるということは考えにくく、ちょっと誇張された話なのかもしれません。ただ、龍馬が海舟に心服していたことは間違いありません。龍馬は、海軍操練所の設立や薩摩藩との交渉役を任されました。勝との出会いで、いわば「働きの場」を与えられたわけですね。

Two-great-men-Katsu-Sakamoto.JPG
幕末に大きな役割を果たした師弟の姿です

■訪問:勝安房邸跡
(勝海舟邸跡)
[東京都港区赤坂]6丁目

■参考及び出典
現地説明板(港区)



お城巡りランキング
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11988065
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)