2022年06月19日

庭園の池と海をつないでいた水の路(芝離宮) 

今回は芝離宮の敷地外にある水路の話です

Shibarikyu-Seawater-way.JPG
水路の側面には昔の石垣が残されています。しっかりと積まれた石垣を活かした上で、コンクリートで補強しているようですね。これは芝離宮に海の水を引き込むための水路の跡です。庭園内の池はいまでこそ真水ですが、かつては江戸湾とつなげることで、潮の満ち引きによる変化を楽しめるようになっていました。

Shibarikyu-Ishigaki-Waterway.JPG
周囲の開発の都合で、芝離宮の池はいまは海から遮断されていますが、かつての「潮入りの池」のための施しが、庭園の外側にこうして残されているわけですね。

Shibarikyu-Ankyo-Way.JPG
こちらでは蓋をされていますが、ここも水路だったことは伝わってきます。いわゆる暗渠ですね。もう役割を終えているのに、こうして痕跡だけは残る。情緒的に惹かれてしまうのはちょっとヘンですかね?

Shibarikyu.JPG
ご紹介させて頂いた水路は芝離宮の東側、つまり東京湾側になります。当ブログがきっかけで、普通なら気付かれない海の水の通り路を探してくれる人がいたら嬉しいです。


■訪問:芝離宮
(旧芝離宮恩賜庭園)
[東京都港区海岸]1


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タグ:暗渠
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2022年05月21日

姿なき水路沿いの石橋供養塔(府中市)

府中市を散策中にこんな光景と出会いました

Ankyo-Fuchuyosui-Memorial-Stone.JPG
なんでこんな場所に橋の供養塔が?

周囲に川や水路の雰囲気は漂いません。ただ、ちょっとしたヒントはありました。

Ankyo-Fuchuyosui.JPG
これは水の流れを模したものか

この時点では半信半疑でしたが、延々と続く歩道が、実は水路かもしれないと思った瞬間でした。

ちょっとこの日は別な目的があったので、帰宅してからゆっくり調べました。するとやはり、私が歩いていたのは府中用水とよばれる水路でした。多摩川の水を引き込むための水路で、その始まりは江戸時代初期にまで遡ります。歴史ある水路ということですね。

水路には人が行き交うために橋が架けられ、安全祈願あるいは感謝の気持ちとして橋の供養塔が建てられたということのようです。

現代人にもそういった感覚は多少引き継がれていると思いますが、むかしの人は、橋に魂が宿ると考える傾向が強かったようです。

むかしってどの程度?

素人なので明言はできませんが、少なくとも江戸時代にはそういう考え方はありました。

府中用水そのものはいまでも現役です。
しかし、ここ分倍河原付近は都市化にともない、地下に埋設されています。いわゆる暗渠ですね。

地表から姿を消し、道を隔てることもなくなった用水路沿いに、かつてあった石橋の供養塔が残されている。

Onceuponatime-therewasabridge.JPG
水辺だったなごり。そして、橋に込めた人の思いのなごりですね

■訪問:石橋供養塔
[府中市分梅町]1丁目27-3

■参考
Wikipedia:2022/5/21
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2022年04月29日

とんぼ橋の石材(川口市)街道沿いの水路のなごり 

今回は街道探索の途中で出会った橋のなごりの話です。

<石橋の石材>
Tonbobashi-Stone.JPG
日光御成道の宿場として賑わった鳩ヶ谷で撮影しました。

<千住道>
senju-michi.JPG
最初はこの「千住道」の案内板が目に入り足を止めました。右手は千住方面へつながる古道です。しかしよく見ると、その下に細長い石材が横たわっているではないですか

なんだろう?

ちゃんと説明板が設置されていました。

<説明板>
Tonbobashi-Explanation-Board.JPG
ちょっと若干色あせていますが、読むのに難はありません。せっかくですので、川口市教員委員会さんの原文の前半部分をそのまま下記に抜粋させて頂きます。

『昭和五十三年三月四日に見沼代用水の分流である平柳領用水掘の蓋掛け工事の際に、この場所で大きな石材五本が発見されました。その一本の側面に、次の文字が刻まれています。
丁延寶五年
武州下足立郡鳩ヶ谷町 とんぼ橋
巳三月吉日
この刻印の延宝五年(一六七七)は見沼代用水完成の五十一年前で、すでに開削され流れていた用水(平柳領用水の前身)に架けられていた石橋だということがわかりました。』

(以下省略)

とんぼ橋という名の石橋がここに架かっていたようです。見沼代用水とは、この近くを流れる用水路です。

<見沼代用水>みぬまだいようすい
Minumadaiyosui-Hatogaya.JPG
こちらになります。現在の埼玉県行田市で利根川の水を引き込み、各地の水田を潤してきた用水路です。始まりは江戸時代中期、将軍が徳川吉宗の時代です。幕府の役人・井沢弥惣兵衛為永の指揮のもと掘削されました。

では平柳領用水とは?

見沼代用水からの分水路です。この地が当時平柳領と呼ばれていたことから、その名がついたのでしょう。現地説明文では『平柳領用水』ですが、一般的に平柳用水と呼ばれています。

<吹上橋>ふきあげばし
Fukiage-bridge.JPG
見沼代用水に架かる吹上橋。平柳用水はこの橋のたもとから分流して、街道の東側に沿って流れ、先々で更に枝分かれしながら周辺の村に水を供給していたようです。

<街道>
twitter-Isuke-Ankyo-Hirayanagi-Aqueduct.jpg
街道の東側というとこの画像だと右手側になります。ちょっと現地では実感がわきませんでしたが、今も歩道の下には水の流れがあるようです。いわゆる暗渠ですね。

暗渠

はい。この見慣れない文字は「あんきょ」と読みます地下に埋設された川や水路とご理解下さい。見慣れてくると、水路に蓋をしただけの暗渠は外見でわかります。ただ、あまりに綺麗に舗装されると、暗渠の上級者でないと見分けがつきません。

<説明板拡大>
Tonbobashi-location.JPG
先ほどの説明板を拡大しました。この地図だと日光御成道の沿いに水路が設けられていて、そこを渡って千住道に入るところに橋が架けられていたように見えます。

<歩道>
Ankyo-Hirayanagi-Aqueduct.JPG
現在は水の流れは見えません。暗渠下級レベルの私には正確な位置がわかりませんが、この辺りの歩道も平柳用水の暗渠なのかもしれません。

<とんぼ橋のなごり>
Tonbobashi-Old- Stone.JPG
まぁ橋があったのですから、そこは水の流れる場所だったのでしょう

最後に
水の流れの様子がわかる昔の写真をご紹介します

<説明板>
Hatogaya-Direction-Board.JPG
こちらに設置されている説明板の写真です

<説明板の写真>
Photo-Hirayanagi-Yosui.JPG
明治26年頃に吹上橋から街道を撮影した写真とのこと。左手(東側)は水路となっていますね。今では暗渠化され街の景色にその姿はありませんが、こうして人の暮らしのすぐそばにある様子がいいですね。

ということで
橋の痕跡と出会い、水路のなごりを感じたというお話でした。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。

■訪問:とんぼ橋の石材
[埼玉県川口市坂下町]3-1-16

■参考及び抜粋
・Wikipedia:2022/4/29
・現地説明板
(川口市教育委員会)



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タグ:日光御成道
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2022年02月06日

桜川のなごり(港区)かつて将監橋付近で古川と合流した川

港区芝の将監橋を訪ねた時に、こんな光景を目にしました

<暗渠>あんきょ
Ankyo-Sakuragawa.jpg
川と暗渠の合流地点か

暗渠とは地下に埋設され地上から姿を消した川のこと。ここは暗渠化された川が古川と合流する地点にほかなりません。

<古川>
SyougenBashi-Furukawa.JPG
こちらが合流先の古川。上流では渋谷川と呼ばれています。水はこの付近では西から東へ向かい、そのまま東京湾へ流れ出ます。

そこへ北側から合流する川があった。
そういうことですね。

川の名は桜川

予備知識もないのでまたWIKIさんから抜粋させて頂きますと『東京都港区をかつて流れていた川』で、もともとは『虎ノ門と愛宕山の間あたりで当時の日比谷入江に注いでいた』が、入江の埋め立てや江戸城の外濠整備により人工の流路へと付け替えられたようです。自然の川が、水路のような扱いとなったわけですね。その流路はというと『溜池に並行してそのすぐ南を南東へ流れ、虎ノ門南方で南へ折れ、愛宕山と増上寺の東を南流して、将監橋(しょうげんばし)のたもとで古川に注ぐものであった』とのこと。
[『』内はWikipedia抜粋]

まるほど
しかしその桜川も、関東大震災後の街の復興のため、全て埋め立てられました。

<将監橋>
SyougenBashi-main-pillar.JPG
古川に架かる将監橋です

<暗渠の出口>
Ankyo-Sakuragawa.jpg
橋のたもとの暗渠の出口。桜川は地上から姿を消していますが、ここだけは位置がはっきりしています。この先の地下の流路はわかりませんが、古地図を見る限り、かつての桜川はここからほぼまっすぐ北へ延びていたようなので、その流路をたどってみることにしました。暗渠口の上には赤い小さな鳥居が見えています。まずはそこからスタートすることにしました。

<通元院>
TempleOnAnkyo.JPG
ここですね。ちょっと雰囲気的に足を踏み入れて良いものか迷いましたが、こちらは通元院という浄土宗のお寺です。左手には橋の上から鳥居が見えていた稲荷神社があります

<瘡守稲荷大明神>かさもりいなり
kasamoriinariOnAnkyo.jpg
いわゆる稲荷社です。社殿の左の石塔が目をひきます

<元禄七年銘納経石塔>
StonePagodaOnAnkyo.jpg
やや急いでいたのでとりあえず撮影し、あとから調べました。比較的新しいと思っていましたが、なんと元禄7年の造立で、しかも港区指定有形文化財でした。右は観音菩薩、左は不動明王。背面にはたくさんの文字が刻まれていましたが、ちょっと私には読めませんでした。通元院さん、お邪魔致しました。

さて
将監橋を離れて北へ向かいます

LostRiverSakuragawa-SyogenBashi.jpg
将監橋付近

LostRiverSakuragawa-LawsonShiba2.jpg
正確な位置はわかりませんが、この道がほぼかつての桜川の流路です。道の左手の住所表示は芝公園、右手は芝大門になります。

Lost-River-ShibaParkBill.jpg
芝パークビル付近を通過

Lost-River-Shibadaimon.jpg
芝大門です。増上寺のかつての入り口。桜川は門前を流れていたわけですね

LostRiverSakuragawa-Shibamyojin.jpg
芝大神宮の裏側を通過

LostRiverSakuragawa-FamilyMart.jpg
芝パークホテル付近を通過

LostRiverSakuragawa-ShibaNBF.jpg
日本自動車会館付近を通過


LostRiverSakuragawa-Atagokesatsumae.jpg
愛宕警察署が正面に見えてきました。ここまでほぼ直線だった桜川は、この付近でやや東(右手)に流路が変わったようなのですが詳細は不明です

その東側でこんな光景と出会いました

<福祉プラザさくら川>
Lost-River-Name.jpg
こちらは住所だと新橋六丁目になります。桜川の名を冠する福祉施設です

<桜川小学校跡地>
Lost-River-Sakuragawasyo.jpg
もともとは区立桜川小学校でした。こちらも桜川の名を冠する学校だったようです。姿を消しても、その名は残ったということですね

ということで
消えた川の流路と思われる道を遡り、川の名を冠する施設にたどり着いたというお話でした。

拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。

■訪問:桜川の川跡(推定)
[芝公園・芝大門・新橋]

■参考及び出典
・Wikipedia:2022/2/6
・東京の水 2005 Revisited
(古川(2)二之橋〜河口まで)

http://tokyowater2005remaster.blogspot.com/2016/11/5152.html
・港区立郷土資料館ホームページ
(元禄七年銘納経石塔)

https://www.minato-rekishi.com/museum/2009/10/5.html


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2021年10月23日

神田川の大曲 江戸城下の治水事業のなごり

江戸幕府を開いた徳川家康により、関東のあちらこちらで大規模な治水事業が実施されました。かつては東京湾に注いでいた利根川を、太平洋へ注ぐように流路変更した事業(利根川東遷事業)は有名ですね。そこまでのスケールではないものの、江戸城下の町づくりで、どうしても必要だった流路変更のなごりをご紹介させて頂きます。

<大曲>おおまがり
Kandagawa-Omagari.JPG
こちらは東京都内を流れる神田川です。川か大きく曲がるから大曲。住所表記上は存在しませんが、この付近の地名でもあり、その名を冠したバス停もあります。神田川と並走する首都高速の高架も大きな弧を描いています。

そういう地形なだけ?

まぁ地形も影響はしていますが、この流路は江戸時代に人の手が加えられたなごりなのです。

今はコンクリの街となって実感しにくいですが、この付近は北と南の台地に挟まれた谷地です。現在の神田川の基となった平川が、江戸城を迂回しながら日比谷入江に注いでしました(江戸城は海岸沿いの城で日比谷は海でした)。平川に限らず、これと合流する小石川、そして台地を隔てて東側を流れる石神井川も、南下して直接江戸湾に流れ込む川でした。これらが増水した場合、これから築こうという江戸城下の町は直撃を受けます。そこで、これらを全て東へ向かわせ、隅田川に流れ込むように付け替え工事が行われました。このいわば東遷事業の時に、現在の神田川の流路がほぼ完成したようです。

大曲もその時に?

そう思われますが、厳密なことは分かりませんでした。あるいは、この付近にはかつて白鳥池と呼ばれる大きな沼があり、これが埋め立てられる工程で急カーブとなったのかもしれません(あくまで推定ですのでご容赦下さい)。

<白鳥橋>しらとりばし
Shiratori-Bashi.JPG

ShiratoriBashi-Kandagawa.JPG
神田川に架かる白鳥橋です。かつてあった沼の名が、そのまま橋の名となっています。白鳥池とは別に、流路の下流には小石川大沼と呼ばれた沼もありました。要するに、台地に挟まれたこの付近の低地は、ほとんどが湿地帯だったと思われます。

<白鳥橋と大曲>
Kanda-River-Big-Turn.JPG
神田川は白鳥橋の前後での流路が急カーブを描き、東向きの流れから南向きの流れへと変わり、再び東の隅田川へ向かいます。地形が創った流路ではなく、人が意識して造り上げたもの。むかしの人たちの水との格闘のなごりということになります。

ということで
江戸城を中心とした治水事業のなごりのご紹介でした。江戸時代ともなると、城づくりと町づくりはセットと言えますね。

■訪問:神田川大曲
(白鳥橋)
[東京都文京区水道]1丁目


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2021年10月21日

水の道のなごり(神田上水跡)暗渠と城跡29

文京区春日の徳川慶喜屋敷跡へ向かう途中で、自分の歩いている道がそのままかつての水路であることに気付きました。きっかけは通りに設置された説明板です。

<神田上水説明板>
Kandajousui- information-board.JPG
神田上水?ここが?

神田川を通り越し、やや高い場所を歩いている感覚だったので、水の道が通っていることに一瞬戸惑い、よくよく考えて納得しました。水は低い方へ流れるだけ。人の暮らしを支えるために、台地の端を縫うように水路が築かれたわけですね。これなら高い場所にも生活水がいきわたります。

<金富小学校付近>
Kandajousui-Ankyo.JPG
この道がそのまま神田上水の流路です。文京区春日を歩いているつもりでしたが、道の南側(画像左手)の住所は水道。ここに上水が通っていたことが地名の由来です。

神田上水は、徳川家康の家臣・大久保藤五郎により築かれました。大久保藤五郎は家康の命で既に小石川上水を完成させていましたが、その後の江戸の人口の増加や、周辺河川の再整備の影響などもあり、小石川上水を改良する形で神田上水を築き上げました。

<説明板拡大>
Kandajousui-Channel.JPG
神田川と別れた上水は小日向台地南端を通って水戸藩邸内(現在の小石川後楽園)に流れ込んでいたようです。更に東へ進んだのちに南下し、掛樋(=水道橋)で神田川を渡って武家地ほか江戸城下の広範囲に水を供給し続けました。重要なインフラだったわですね。

そんな神田上水も、明治34年(1901年)には役割を終えて暗渠化されました。つまり姿を消しました。

暗渠・・・

この見慣れない字は『あんきょ』と読みます。城跡を主テーマにしている当ブログですが、この暗渠にも着目し、『暗渠と城跡』と題して何度か記事を投稿させて頂いております。暗渠、つまり地下に埋設され姿を消した川や堀は、かつて防衛上重要な役割を担っていた。まぁそんな感じの内容です。

神田上水は、天然の川でも城の堀でもありません。ただこの日ふと頭をよぎったのは、そもそも城とはなんなのかということです。城の概念は時代によって変わっています。戦の時だけ籠もる砦のようなものから始まり、戦国時代末期には、小田原城に代表されるように町そのものを堀や土塁で囲む『総構え』というスタイルも確立されています。町はすなわち人の暮らし。同じく総構えの構造になっている江戸城にとって、暮らしの場はその一部。そういう意味では、上水道に限らず、城下の暮らしを支えるためのインフラは全て城の一部、といえなくもない。

ちょっと極端な考え方ですが、そんなことを思いながら、かつての神田上水の経路を通って徳川慶喜屋敷跡へ向かいました。

■訪問:水道通り
(神田上水跡)
[文京区春日]2丁目付近
[文京区水道]2丁目付近

■参考
・Wikipedia:2021/10/21
・現地説明板
(文京区教育委員会)



-------- 関連画像 --------
<徳川慶喜公屋敷跡>
Tokugawa-Yoshinobu-Yashikiato.JPG
[東京都文京区春日] 2丁目
次の記事で紹介させて頂きます


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2020年10月18日

赤坂の谷底で川跡を探す(太刀洗川)

今回の主役は太刀洗川

血の付いた刀を洗った川

そんな想像をしてしまうインパクトのある名です。その川は赤坂を流れていたと知り、現地を訪問してみました。では早速。こちらです。

<太刀洗川>たちあらいがわ
sn487ANKYO (1).jpg

なにこれ?

はい。また暗渠です。この見慣れない字は『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川という意味でご理解下さい(毎回同じ)。言い方を変えると、地下に埋設されて姿は見えないけれど、川ということになります

<高橋是清翁記念公園>
sn487ANKYO (2).jpg
太刀洗川の源流はこの公園と考えられています。これをヒントに探索を開始しました。中は広々としています。赤坂としては大変贅沢な区画。

<高橋是清像>たかはしこれきよ
sn487ANKYO (3).jpg
この公園は名前の通り総理大臣・高橋是清の邸宅跡地です。二・二六事件の際には、反乱軍がこの地を襲撃。高橋是清が亡くなった場所でもあります。

ANKYO487 (4).jpg
現在は記念公園として整備され、憩いの場となっています。

ANKYO487 (5).jpg
そして水の流れ

ここから始まる太刀洗川の流路を下ってみました。

といっても、川の姿はありません。コンクリで覆われた街中で、一番低そうな場所を探しながら歩く。そんな感じの探索となりました。

sn487ANKYO (4).jpg
まずは谷へ降りますかね

sn487ANKYO (6).jpg
地形には納得しながらも、ここが流路とは限らないという若干の不安を抱えたまま歩き続けました

sn487AnkyoAkasaka (2).jpg
とりあえずこっちだろう

sn487AnkyoAkasaka (1).jpg
まぁこっちだわな

sn487ANKYO (7).jpg
おお、これは分かりやすい谷(当日参考にしていた暗渠ブログの画像と景色が一致して安心した瞬間でした)。向こう側の高くなっているところは国道です。226ならぬ246(青山通り)。かなり急な坂ですね。水がどこに集まっていくか想像しやすい場所です。まぁはっきりとした流路までは分からないものの、太刀洗川が流れていったであろう方へ向かって歩き続けました。

ANKYO487 (1).jpg
たぶんここだろう

ANKYO487 (3).jpg
たぶん

sn487ANKYO (10).jpg
ここかね

そして

sn487ANKYO (5).jpg
冒頭の画像と同じ場所。ここはかつての太刀洗川の流路で間違いないようです。ただし、ここで探索は終了。この先は完全に見失いました。


川の名の話に戻します。
ネット検索すると、筑後国の地名に太刀洗(たちあらい)というのがあったことが分りました。現在の福岡県の大刀洗町です。太の点がどうも手続きの関係で抜けてしまったようですが、地名として現在も残っています。こちらの『太刀洗』は、合戦(筑後川の戦い)のあとで武将(菊池武光)が刀に付着した血を川で洗ったという伝承があります。

赤坂の太刀洗川にも、武将が太刀を洗ったことに由来するといった伝承がないわけではないのですが、調べたところはっきりせず。とりあえず、由来は不明ということにしておきます。

ということで
太刀洗川という名前だけにつられて現地を訪問してみたというお話でした。城跡好きですが、暗渠を含めた川跡好きてもあるので。

訪問は午前中が仕事だった土曜日の午後。まったく予備知識がなかったので、自称・中級暗渠ハンターの高山さんのブログ『東京Peeling!』のかなり古い記事を頼りに赤坂を歩き回りました。

■ブログ:東京Peeling!
記事:太刀洗川を探す
→記事へすすむ


■お勧め本■
静かなブームになりつつある『暗渠』に関する本のご紹介です。当ブログでは下記をお勧め致します。

暗渠パラダイス!(朝日新聞出版)
著者:高山英男/吉村生

はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
著者:本田創/山英男/吉村生/三土たつお

暗渠マニアック ! (柏書房)
著者:吉村生/山英男

※広告掲載期限切れのため書名のみ

タグ:暗渠
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2020年10月15日

知恵伊豆菩提寺の伊豆殿堀(平林寺堀)

今回は寺の境内に残る水路のご紹介です

<平林寺>へいりんじ
sn485 (2).jpg
平林寺境内に残る堀跡

■伊豆殿堀■いずどのぼり
<野火止用水>のびどめようすい
sn485 (1).jpg
野火止用水は徳川幕府の老中も務めた松平伊豆守信綱によって開削された水路です(1655年)。同じく松平伊豆守により開削された『玉川上水』から分水し、埼玉県新座市を通って新河岸川まで続きます(約25q)。乾燥した台地はこの水路によって潤い、人々の暮らしを豊かにしました。その有難さから、伊豆守にあやかって『伊豆殿堀』とも呼ばれたそうです。
これらについては別途投稿していますので、よかったら覗いてみて下さい。
→『記事へすすむ


■平林寺堀■へいりんじぼり
東京都の立川市を起点として武蔵野台地上を北東に向かって流れる野火止用水は、新座市西堀1丁目付近で本堀と平林寺堀に分かれます。まぁ野火止用水の本流と支流ということですね。平林寺堀は本流の東側を流れ、平林寺を経由して新河岸川へと流れ込みます。
<平林寺>
sn484 (3).jpg
sn484c.jpg

<境内の平林寺堀>
sn485 (8).jpg
境内の水の流れ。これも野火止用水の一部ということですね

<放生池>ほうじょういけ
sn485 (7).jpg
水路の水により潤っています

<平林寺堀跡>
sn485 (5).jpg
いまは流れが確認できませんが、こちらも平林寺堀。やはり野火止用水の一部ということです。


■松平伊豆守信綱■いずのかみのぶつな
島原の乱を収めた功績から、6万石で川越藩主となった松平伊豆守(1596〜1662年)。川越城の改修、城下町や街道の整備など、川越繁栄の基盤造りに取り組みました。そして、当時は荒野も同然の領地の開拓にも果敢に挑み、水路を設けて新田開発を実施しました。武蔵野台地のなかでも、野火止(当時は野火留という字)は特に乾いた土地で、水利に恵まれませんでした。自らの領内を潤したい。野火止用水は『知恵伊豆』と呼ばれた松平伊豆守のそんな思いが具体化したものです。

sn485 (9).jpg

幕政において秀でていた上に、社会基盤の整備でも大きな功績を残した松平伊豆守。1662年、老中職のまま満65歳でこの世を去りました。平林寺堀が分水されたのはそれよりあとのことのようです(1728年 )。伊豆殿堀の本堀から分水された水音は、平林寺の墓所でしずかに眠っている伊豆守を和ませたかもしれませんね。

sn485a.jpg

■訪問:平林寺
[埼玉県新座市野火止]


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------- 追 記 -------
お邪魔させて頂いた平林寺さんの画像を貼っておきます。
<総門>
sn485Heirinji (2).jpg

<山門>
sn485Heirinji (3).jpg

<仏殿>
sn485Heirinji (6).jpg

<戴渓堂>たいけいどう
sn485Heirinji (8).jpg

<放生池と弁天堂>
sn485 (6).jpg

<半僧坊感応殿>はんそうぼうかんのうでん
sn485Heirinji (5).jpg

<半僧門>はんそうもん
sn485Heirinji (7).jpg

なんの説明もなく恐縮ですが以上です。本堂は遠くから眺めただけで撮影しませんでした。松平伊豆守信綱の墓所は訪問しましたが、お墓はなるべく投稿しないようにしていますので、案内板だけ掲載しておきます。

sn485He.jpg

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