2020年10月18日

赤坂の谷底で川跡を探す(太刀洗川)

今回の主役は太刀洗川

血の付いた刀を洗った川

そんな想像をしてしまうインパクトのある名です。その川は赤坂を流れていたと知り、現地を訪問してみました。では早速。こちらです。

<太刀洗川>たちあらいがわ
sn487ANKYO (1).jpg

なにこれ?

はい。また暗渠です。この見慣れない字は『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川という意味でご理解下さい(毎回同じ)。言い方を変えると、地下に埋設されて姿は見えないけれど、川ということになります

<高橋是清翁記念公園>
sn487ANKYO (2).jpg
太刀洗川の源流はこの公園と考えられています。これをヒントに探索を開始しました。中は広々としています。赤坂としては大変贅沢な区画。

<高橋是清像>たかはしこれきよ
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この公園は名前の通り総理大臣・高橋是清の邸宅跡地です。二・二六事件の際には、反乱軍がこの地を襲撃。高橋是清が亡くなった場所でもあります。

ANKYO487 (4).jpg
現在は記念公園として整備され、憩いの場となっています。

ANKYO487 (5).jpg
そして水の流れ

ここから始まる太刀洗川の流路を下ってみました。

といっても、川の姿はありません。コンクリで覆われた街中で、一番低そうな場所を探しながら歩く。そんな感じの探索となりました。

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まずは谷へ降りますかね

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地形には納得しながらも、ここが流路とは限らないという若干の不安を抱えたまま歩き続けました

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とりあえずこっちだろう

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まぁこっちだわな

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おお、これは分かりやすい谷(当日参考にしていた暗渠ブログの画像と景色が一致して安心した瞬間でした)。向こう側の高くなっているところは国道です。226ならぬ246(青山通り)。かなり急な坂ですね。水がどこに集まっていくか想像しやすい場所です。まぁはっきりとした流路までは分からないものの、太刀洗川が流れていったであろう方へ向かって歩き続けました。

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たぶんここだろう

ANKYO487 (3).jpg
たぶん

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ここかね

そして

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冒頭の画像と同じ場所。ここはかつての太刀洗川の流路で間違いないようです。ただし、ここで探索は終了。この先は完全に見失いました。


川の名の話に戻します。
ネット検索すると、筑後国の地名に太刀洗(たちあらい)というのがあったことが分りました。現在の福岡県の大刀洗町です。太の点がどうも手続きの関係で抜けてしまったようですが、地名として現在も残っています。こちらの『太刀洗』は、合戦(筑後川の戦い)のあとで武将(菊池武光)が刀に付着した血を川で洗ったという伝承があります。

赤坂の太刀洗川にも、武将が太刀を洗ったことに由来するといった伝承がないわけではないのですが、調べたところはっきりせず。とりあえず、由来は不明ということにしておきます。

ということで
太刀洗川という名前だけにつられて現地を訪問してみたというお話でした。城跡好きですが、暗渠を含めた川跡好きてもあるので。

訪問は午前中が仕事だった土曜日の午後。まったく予備知識がなかったので、自称・中級暗渠ハンターの高山さんのブログ『東京Peeling!』のかなり古い記事を頼りに赤坂を歩き回りました。

■プログ:東京Peeling!
記事:太刀洗川を探す
→記事へすすむ

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静かなブームとなって世間に広まりつつある暗渠の魅力。こんな拙ブログでは伝わらない深さが、本になって出版されています。多数ありますが、当サイトお勧めは「暗渠パラダイス」「暗渠マニアック」そして「はじめての暗渠散歩」です。

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タグ:暗渠

2020年10月15日

知恵伊豆菩提寺の伊豆殿堀(平林寺堀)

今回は寺の境内に残る水路のご紹介です

<平林寺>へいりんじ
sn485 (2).jpg
平林寺境内に残る堀跡

■伊豆殿堀■いずどのぼり
<野火止用水>のびどめようすい
sn485 (1).jpg
野火止用水は徳川幕府の老中も務めた松平伊豆守信綱によって開削された水路です(1655年)。同じく松平伊豆守により開削された『玉川上水』から分水し、埼玉県新座市を通って新河岸川まで続きます(約25q)。乾燥した台地はこの水路によって潤い、人々の暮らしを豊かにしました。その有難さから、伊豆守にあやかって『伊豆殿堀』とも呼ばれたそうです。
これらについては別途投稿していますので、よかったら覗いてみて下さい。
→『記事へすすむ


■平林寺堀■へいりんじぼり
東京都の立川市を起点として武蔵野台地上を北東に向かって流れる野火止用水は、新座市西堀1丁目付近で本堀と平林寺堀に分かれます。まぁ野火止用水の本流と支流ということですね。平林寺堀は本流の東側を流れ、平林寺を経由して新河岸川へと流れ込みます。
<平林寺>
sn484 (3).jpg
sn484c.jpg

<境内の平林寺堀>
sn485 (8).jpg
境内の水の流れ。これも野火止用水の一部ということですね

<放生池>ほうじょういけ
sn485 (7).jpg
水路の水により潤っています

<平林寺堀跡>
sn485 (5).jpg
いまは流れが確認できませんが、こちらも平林寺堀。やはり野火止用水の一部ということです。


■松平伊豆守信綱■いずのかみのぶつな
島原の乱を収めた功績から、6万石で川越藩主となった松平伊豆守(1596〜1662年)。川越城の改修、城下町や街道の整備など、川越繁栄の基盤造りに取り組みました。そして、当時は荒野も同然の領地の開拓にも果敢に挑み、水路を設けて新田開発を実施しました。武蔵野台地のなかでも、野火止(当時は野火留という字)は特に乾いた土地で、水利に恵まれませんでした。自らの領内を潤したい。野火止用水は『知恵伊豆』と呼ばれた松平伊豆守のそんな思いが具体化したものです。

sn485 (9).jpg

幕政において秀でていた上に、社会基盤の整備でも大きな功績を残した松平伊豆守。1662年、老中職のまま満65歳でこの世を去りました。平林寺堀が分水されたのはそれよりあとのことのようです(1728年 )。伊豆殿堀の本堀から分水された水音は、平林寺の墓所でしずかに眠っている伊豆守を和ませたかもしれませんね。

sn485a.jpg

■訪問:平林寺
[埼玉県新座市野火止]


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------- 追 記 -------
お邪魔させて頂いた平林寺さんの画像を貼っておきます。
<総門>
sn485Heirinji (2).jpg

<山門>
sn485Heirinji (3).jpg

<仏殿>
sn485Heirinji (6).jpg

<戴渓堂>たいけいどう
sn485Heirinji (8).jpg

<放生池と弁天堂>
sn485 (6).jpg

<半僧坊感応殿>はんそうぼうかんのうでん
sn485Heirinji (5).jpg

<半僧門>はんそうもん
sn485Heirinji (7).jpg

なんの説明もなく恐縮ですが以上です。本堂は遠くから眺めただけで撮影しませんでした。松平伊豆守信綱の墓所は訪問しましたが、お墓はなるべく投稿しないようにしていますので、案内板だけ掲載しておきます。

sn485He.jpg

2020年09月08日

暗渠と城跡27 そこにあったもののなごり

今回は、城跡好きがなぜか暗渠に魅かれる理由(の一つ)をご紹介できればと思い、二つの画像を用意しました。

<護岸の跡>
sn479Ankyo.jpg
このコンクリの道はもともと水路でした。道の隅(左手)に残っているのは護岸の跡です。暗渠化工事の際に、構造上の理由から護岸はそのままにして水路が埋められため、こうして跡が残っています。

<見附跡>
shirononagori479.jpg
川の側面に昔の石垣が残されています。かなり高い位置まで積まれていますね。これは江戸城の城門の跡です。痕跡からして『桝形門』という立派な構造だったと思われます。開発の都合で桝形門の石垣は撤去されましたが、川に面した部分は護岸を兼ねているので、取り壊さなかったわけですね(きっと)。

水路は水の通り道として、城門は城の出入り口として、それぞれ役割を果たしていました。形を失いながら、痕跡だけが残されている

情緒的に似たものを感じるのは私だけでしようか?

ということで
今回はあまりくどくど説明しません。画像だけ見比べて頂ければと思います。何を感じるかはその人次第。思い浮かべるものが、その人らしさということで良いと思っています。

埋もれている痕跡を見つけて何かを想像してみる。そのきっかけになれば嬉しいです。


お城巡りランキング


-------追 記-------
ほぼ同じ内容で、もうちょっと意見を言わせてもらった投稿があります。良かったら覗いてみて下さい。

街の中で痕跡に気付く
sirononagori168sotobori.jpg
[投稿:2017年12月17日]
→記事へすすむ

2020年09月06日

用水路の暗渠と雨乞いの石碑(旧浦和市)

今回は川沿いをウォーキング中に見つけた石碑の話です。

<石碑>
sn478ankyo (4).jpg
これはなんの石碑だろう?

sn478ankyo (5).jpg
なるほど

ちょっと冒頭を抜粋させて頂きます
『この碑は、かつてこの地域が農業盛んであった時代のもので、水の恵みを預かる様、雨乞い祈願したものと云い伝えられてきました』

雨乞い祈願
の石碑だったのですね

いまではそんな雰囲気は漂いませんが、この付近は江戸時代の半ば頃までは低湿地、その後は水路の整備で沼地の水が抜かれ、水田へと姿を変えました。これにより食べ物の生産性は飛躍的に向上することになりますが、雨不足は豊かになったはずの暮らしにそのまま直撃する深刻な問題です。場合によっては、致命的な被害となったことでしょう。

天気は人の力ではどうしようもないことです。個々の祈りが集まり、形となったのがこの石碑なのでしょう。


ところで
もはや周囲に水田はありません。でも水路は残されています。もっとも、地表からは姿を消しましたが

<鴻沼川の旧流路>こうぬまがわ
sn478ankyo (12).jpg
さきほどの石碑のすぐそばです。立ち入り禁止のこの空き地は、かつての川跡です。川の名は鴻沼川。現在のさいたま市を流れるこの川は、自然の河川ではなく、江戸時代の新田開発の際に開削された水路、いわば人口の川です。ながらくここを流れていましたが、のちに流路変更されました。

<鴻沼川の旧流路の暗渠>
sn478ankyo (13).jpg
道を挟んだこちらもかつての鴻沼川の川跡です。地下からはゴーゴーという水の音が聞こえます。いわゆる暗渠ですね。

<鴻沼川東縁の暗渠>
sn478ankyo (11).jpg
こちらは石碑の真ん前の道路です。左手のアパートの脇に石碑があります。ここもただの道ではなく、いわゆる暗渠。正確に言うと、一番左手は歩道、真ん中が水路だった暗渠、右手は水路沿いの道です。

sn478ankyo (9).jpg
鴻沼川の本流ではなく、同時期に設けられた鴻沼川東縁の暗渠です。道路ではないので、耐久性の問題から車止めが設けられています。水はいまでも地下を流れ、本流である鴻沼川へ合流します。

画像だけ見るとコンクリばかりですね。でもとらえ方によっては、ここは今でも水辺なのです。

sn478ankyo (6).jpg
都市開発が進み、水田の多くは姿を消し、現在でも我々の生活に役立っている水路まで、地上から姿を消しつつあります。水道の蛇口をひねれば、水は確保できるのですから、その存在を意識する機会は減りましたよね。石碑の説明文の最後には『いつの世も水を大切にする心は重要です』と記されています。水に不自由しないということが、実はとても大切なことなんだと、この石碑が伝えてくれているような気がしました。

<鴻沼川>
sn478ankyo (1).jpg
流路変更された現在の鴻沼川です

■訪問:雨乞いの石碑
[さいたま市南区関]
タグ:暗渠

2020年07月24日

追記 元荒川の旧流路(暗渠と城跡22岩槻城の天然堀のなごり)

2ヶ月ほど前に、元荒川の旧流路に気づいて川跡を追った記事を投稿しました。

暗渠と城跡22
岩槻城の天然堀のなごり
[投稿:2020年05月31日]
→『記事へすすむ
-------■概 要■-------
岩槻の龍門寺というお寺を訪問し、その近くで川跡の雰囲気を醸し出す空き地をみかけた。それは岩槻城にとっての天然堀・元荒川のむかしの流路だと分かった。

<川跡>
sn435motoarakawa (4).jpg
sn435motoarakawa (2).jpg

<龍門寺>
shirononagori437 (18).jpg
龍門寺[さいたま市岩槻区日の出町]

ざっとそんな内容でした。


-------■追 記■-------

あれから約2ヶ月
コロナの影響で遠出をひかえているせいもあり、家から比較的近い岩槻区にお邪魔する機会が増えました。
久しぶりに訪ねた岩槻城址公園の説明板で、元荒川と龍門寺の位置関係を改めて確認できたので、その画像を貼っておきます。
<説明板>
shirononagoriMAPiwatsukijo.jpg

<元荒川の旧流路と龍門寺>
shirononagoriMAPiwa (6).jpg
龍門寺を見つけました。すぐそばを流れる元荒川も。間違いありません。ちょっと付け加えるなら、この位置で川は再びカーブするのですから、龍門寺は少し高い位置にあるということですね。現地では極端な高低差は実感できませんでしたが、お隣の新正寺曲輪と同様、低層の台地上に位置しているようです。

<岩槻区内の元荒川>
shirononagoriIWATSKI2020r.jpg

まぁ最初からすべて分かっていたら、空き地を見てあんなには燃えなかったことでしょう。かといって、川の蛇行について漠然としたイメージすらなければ、素通りしていたでしょう。

知り尽くしてしまうと面白さもない

学校や職場の試験じゃないんだから、趣味は60点くらいの感覚でよしとしますかね。人にもよりますが、私はその程度の方がずっと楽しめるような気がします。

以上

過去記事の追記でした


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タグ:暗渠と城跡

2020年03月29日

川のなごりに降るなごり雪 

3月29日に雪?さいたま市としては珍しい天気となった日曜日、花見も兼ねて、以前から気にしている川跡を訪ねました。

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ただの道のようですが、これは暗渠(あんきょ)です。地下に埋設された川や水路という意味に受け取って下さい。道の下ではいまも水が流れ続けています。

AnkyoUrawa202003 (1).jpg
奥へ進むと行き止まり。そこから先は川になっています。その手前に水門があります。地下を流れる水は、水門が設けられた出口から川へと流れ出ます。

AnkyoUrawa202003 (8).jpg
こちらが合流先の鴻沼川です。先ほど暗渠はいわば鴻沼川の支流ですね。ただし、最初から支流だったわけではなく、鴻沼川の蛇行を強制する過程で支流となりました。簡単に言うと、先ほどの暗渠こそが鴻沼川のもともとの流路なのです。

AnkyoUrawa202003 (4).jpg
再び暗渠。古くはこちらが本流。つまり、この道はかつての鴻沼川のなごりなのです。

川だった道に雪が降り積もる

違和感というか、不思議な感覚に囚われてしまうのは私だけでしょうかね?左手は高台になっており、鴻沼川はそこを避けるように一旦大きくカーブし、すぐ横をかすめるように流れていた訳ですね。

さて
せっかく桜が咲き誇っているので、高台へ向かうことにしました

AnkyoUrawa202003 (9).jpg
こちらは高台にある神明神社です

AnkyoUrawa20200329.jpg
満開の桜に雪が降り注ぎ幻想的でした。神社の後ろ側が更に高くなっていますね。古墳です。古墳時代後期と考えられている直径33m・高さ4.5mの円墳です。鴻沼川は江戸時代の新田開発の際に人の手によって造られた川なので、それよりずっとずっと以前の人の営みのなごりという事になります。

ということで
まもなく4月という日曜日に雪が降り、傘をさして暗渠と桜を楽しんだというお話でした。新型コロナウィルス対策で私も外出は減らしていますが、ほぼ人と会わないような所なら良いのではないかと思っています。この日は神社で一人、川沿いで一組とすれ違っただけで、暗渠に至っては人影すら見かけませんでした。誰も立ち寄らないような場所でも、ちょっと見方を変えるだけで結構楽しめる。当ブログに訪問頂けた方と、そのあたりを共有できれば幸いです。

■訪問
神明神社古墳
[さいたま市南区関]1-148-2


-----追 記-----
後日再訪したので画像を貼っておきます

Isuke202004 (5).jpg
雪は解け桜もほぼ散ってしまいました。いつもの景色です。支流としてご紹介した暗渠が頑張っていますね。

Isuke202004 (2).jpg
ほら、ここですよ。ちゃんと水は流れている

Isuke202004 (3).jpg
姿なくとも現役の川

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行き止まり。あそこが先ほどの暗渠の出口

Isuke202004 (4).jpg
水門

Isuke202004 (1).jpg
神明神社古墳

以上です

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タグ:暗渠

2020年03月15日

遠ざかる川の記憶 地図から消えた水のなごり

完成間際の浦和の舗道にて
SN413ANKYO (4).jpg
もう魚が泳いでいた事なんて忘れ去られるのでしょうね

この道はいわゆる暗渠。『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川や水路のことですね。6年前(2014年)、たまたまこの区画の暗渠工事を目撃してしまい、それ以降ときどき訪れて撮影を続けてきました。

のどかな流れにボックスカルバートがはめ込まれ、埋められ、舗装されるまで。もうすぐ工事が終了するようなので、本日の撮影で定点観測も終わりにします。

<最初の発見>2014年
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この時点ではまだ、ボックスカルバートと護岸の隙間で魚が暴れていました。

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<そして本日>2020年
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舗装が終了していました

この川の名は高沼用水東縁。水はこの先で鴻沼川と合流します。まぁ水の流れそのものは今後も同じですが、この綺麗に整備された歩道を川跡と気付く人は多くないはず。いや、ほぼいなくなるのかも知れません。

もはや地図からも消えた水のなごり

車道より幅広の歩道、あるいは車止めなどを見て、気付いてくれる人がいたら嬉しいですね。

SN413ANKYO (2).jpg

これからも
水の流れは人の暮らしに寄り添っています。


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タグ:暗渠

2020年01月26日

蛇行する荒川のなごりと水塚に鎮座する村の鎮守(浮間ヶ池と浮間氷川神社)

今回は川のなごりです。荒川の蛇行のなごりを感じに北区を散策してきました。
<浮間氷川神社>
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荒川流域に多く分布する氷川神社。かつての荒川はこの付近で大きく蛇行し、周辺に広がる湿地はたび重なる洪水に悩まされていました。村の鎮守であり続けたこちらの氷川神社は、盛土の上に鎮座しています。

■川のなごり■
<浮間舟渡駅>うきまふなど
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今回下車した駅は埼京線の浮間舟渡駅です。駅名は地名の浮間舟渡を合わせたもので、更に細かいことをいうと浮間は北区で舟渡は板橋区。つまり区にまたがった場所に位置する駅なのです。この一見どうでも良い話が、荒川のかつての蛇行と関係しています。

<区境>
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下車して目的地へ向かう途中、道路を撮影。工事の管轄が違うからでしょうか。区境に線が入っています。向こうに見えている池も、この線の延長線上が北区と板橋区の境になります。

<浮間公園>
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目的地到着。といっても改札を出てから徒歩1分です。

<浮間ヶ池>
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この大きな池がかつての荒川のなごり。蛇行する荒川はかつてここを流れていました。そのままなら、川がかつての村境、そして区と区の境だったわけですね。
ところで、いろんな野鳥がいることで有名な公園ですが、なんとカモメが沢山いるではないですか。海からはけっこう離れていますがね。荒川沿いを内陸へ向かって移動してきたのでしょうか?ちょっと不思議な光景でした。

<風車>
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風車はこの公園のシンボル的な存在です。花も見応えがある公園なのですが、私の訪問は1月下旬のためちょっと地味に映りますかね。私の関心事は花より左手の土塁。これは昔の堤防をそのまま残したのでしょうか?調べたもののはっきりしないので、勝手にそう思うことにしました。

<説明板>
sn409 (2).jpg
ちょっと疲れた説明板ですが、充分読み取れます。浮間ヶ池が荒川の一部だったこと、現在の荒川は公園北側の土手の向こう側を流れていることなどが記載されています。洪水が多かったようですね。この対策として着手された流路変更の大工事は、明治44年から昭和5年にかけて行われたようです。

<別な説明板>
sn409 (11).jpg
こちらは別の説明板の地図。昭和3年とありますから、改修工事の途中の地図ということですね。大きく南に蛇行していた荒川の流路が、北側で直線に変えられているのがわかります。『浮間』の名は、川に突き出た地形が浮島のように映ったことに由来します。地図を見る限り、まさにそんな感じだったのでしょう。お隣の『舟渡』も水辺を思わせる名。地名は貴重な手がかりですね。

<公園北側>
sn409 (7).jpg
公園の北側は荒川の堤防になっています。

<堤防>
sn409 (14).jpg
高いなぁ。まぁせっかくだから登ってみますかね

<荒川>
sn409 (15).jpg
堤防の上です。昔の荒川は幅が狭いうえに蛇行が多かったようですが、今は幅広でまっすぐ。川の向こうに見えてるのは川口市の高層ビルです。この巨大な堤防により遮断され、浮間ヶ池が再び荒川と交じり合うことはありません。


■低湿地のなごり■
工事前は荒川の氾濫に悩まされた浮間。いまでは湿地の面影もありませんが、冒頭にご紹介の神社にそのなごりを確認し、今回の探索の締めとしました。
<浮間氷川神社鳥居>
sn409 (6).jpg
創建時期は不詳ながら、江戸時代には浮間村の鎮守だったと伝わります。

洪水の多い低地では、周辺より高く盛土をして倉など設けておく水塚(みづか)の跡をみかけることがあります。ここ浮間の鎮守は、水塚の上に鎮座しています。

<浮間氷川神社拝殿>
sn409 (5).jpg
水害が多かったであろう村の神社です。想像ですが、緊急時には避難場所にもなっていたのかもしれませんね。

ということで
荒川の古い流路とかつての湿地を散策したというお話でした。最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。


■訪問:
浮間公園〔浮間ヶ池〕
[東京都北区浮間]2丁目
[東京都板橋区舟渡]2丁目

浮間氷川神社
[東京都北区浮間]2丁目19-6


-----追 記-----

桜の時期に再訪した浮間公園の画像を貼っておきます。

Ukima (2).jpg

Ukima (1).jpg

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