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2024年06月23日

劣勢の南朝を支え続けた北畠親房の足跡(筑西市)関城跡

筑西市の関城は、南北朝時代に南朝の重鎮だった北畠親房が、歴史書・神皇正統記を完成させた場所としても知られています。

<北畠親房が入城した関城跡>
Main-Bailey-Seki-Castle.JPG
関城跡です。この付近が城の中心だったと思われます。

当時、関城の関宗祐宗政親子は南朝方でした。北畠親房は同じく南朝方の小田城に入城していましたが、北朝方の激しい攻撃で小田治久が降伏したのをきっかけに、関城へ逃れます。関城は北朝方の標的となりながら2年にもわたって抵抗を続けます。北畠親房はその籠城期間に、既に取り掛かっていた神皇正統記を完成させました

<説明板>
Guide-Plate-Seki-Castle.JPG
関城に関する説明板です。最後のほうに、北畠親房が『小田城で書いた日本史の「神皇正統記」に筆を加えて完成したことでも有名です』と記されています。

神皇正統記は日本の神国としての成立からはじまり、歴代天皇の事績を第97代天皇・後村上天皇までをまとめあげ、南朝の正当性を記した歴史書です。後醍醐天皇から信任を受けた北畠親房は、状況が厳しい環境下でこれを書きあげました。

<関城土塁跡>
Main-Bailey-Earthwork-Sekijo.JPG
のちの時代の日本の歴史観に大きく影響した歴史書が、ここ茨城県筑西市で書き上げられたわけですね。

やがて関城は北朝側からの総攻撃を受けて陥落。関宗祐・宗政親子は討死しました。北畠親房親房は、落城寸前に落ち延び吉野に逃れ(1343年)、その後も南朝方の中心人物として活躍を続けました。

<宝篋印塔>ほうきょういんとう
Houkyoin-Tower-Seki.JPG
こちらの宝篋印塔は関宗祐の墓と伝えられています。

<つわものどもが夢の跡>
Sekijo-Castle-Ruins.JPG
南朝の公家・北畠親房が関東武士・関氏とともに籠城した城跡です。

■訪問:関城跡
[茨城県筑西市関館]


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■参考及び出典
・現地説明板(筑西市)
・筑西市HP
 国指定文化財>関城跡

https://www.city.chikusei.lg.jp/page/page000268.html
タグ:茨城
posted by Isuke at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
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