<沼田城大手門跡>
冠木門が設けられています。門の奥は沼田小学校です。
<冠木門奥の左手>
沼田城の大手門は、現在設置されている冠木門の左側が正面になります。学校ですので立ち入りませんでしたが、門をくぐった左手には、大手門跡の説明板と石柱が設置されていました。
<沼田小学校>
せっかく来たので、校庭の西側からしみじみと眺めさせて頂きました。児童がいたら、ヘンなオッサンがいると通報されそうです。でも私の訪問は猛暑が続く8月。夏休みで、ほとんど人はいませんでした。ここは大手門の内側ですので、大手門からの登城ルートを取り囲むように、家臣の屋敷などが建ち並んでいたと思われます。
沼田城の縄張り図を見ると、大手門付近には堀が設けられていたようです。ただ、真田家が改易になった後、沼田城の建物は破却され、堀はほとんど埋められてしまいました。勝手に想像するのも楽しいですが、現地ならではの実感もちょっとだけ欲しいところです。
<高低差>
おお、これはもしや…
大手門跡の南側で撮影しました。この窪み、埋められなかった堀のなごりと思われます。予備知識のないまま訪問していたので、ちょっとした感動でした。
<外堀のなごり>
帰宅してからいろいろ調べましたが、確かな証拠はみつかりませんでした。ただ、縄張り図を参考にすると、沼田城の外堀と位置的に一致します。外堀はここから更に西(画像右方向)へ延びてから南下し、沼田城の別の城門(滝坂門)付近まで繋がっていました。遺構とまではいいませんが、堀のなごりを感じるには充分な光景です。
ということで
沼田城大手門跡を訪問したら、外堀跡と思われる窪みを見つけたというお話でした。
最後に
沼田城の大手門というと、真田昌幸が息子の嫁の小松姫に門前払いにされた話をどうしても思い出してしまいます。昌幸が孫の顔が見たさに沼田城に立ち寄ったものの、敵方についた者を城内に入れるわけにはいかないと、城の留守を預かる小松姫に追い払われるという逸話です。その逸話の舞台、ここだったのかもしれませんね。まぁ沼田城の城門は他にもありましたが、真田昌幸にしてみれば、息子に与えたといっても元々自分の城です。何の躊躇もなく、堂々と正面玄関である大手門から入ろうとしたのではないでしょうか?
<大手門のなごり>
■訪問:沼田城大手門跡
(沼田市立沼田小学校)
[群馬県沼田市西倉内町]
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■参考
・沼田市観光協会冊子・地図
(上州沼田 真田の里 沼田城址)
・ニッポン城めぐりHP
https://cmeg.jp/w/castles/1912/pins/21392
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