<平八石>
平八石と呼ばれています。
<説明板>
説明板には『沼田平八郎景義の首級を載せた石』と記されています。この説明文によれば、沼田平八郎景義は、沼田城築城者の沼田顕泰の側室の子とのこと。摩利支天の再来とまでいわれたつわものだったようです。身内の争いから沼田勢に追われ会津へ逃れていましたが、時を経て、平八郎は旧領奪還の兵を挙げて沼田に迫りました。この挙兵に対し、武田配下として沼田の地を任されていた真田昌幸は、勝ち目がないことを悟ります。ただし、戦国時代屈指の食わせ者である昌幸が、それで諦めるはずはありません。激突は避け、調略によって平八郎の武装を解き、沼田城内に招き入れて殺害しました。これが1581年の話。沼田平八郎は42歳でした。討ち取られた平八郎の首級は、真田昌幸が実検の後、この石の上に置いたとされています。
<古城>
平八石が置かれた捨て曲輪は「古城」とも呼ばれています。初期の沼田城、つまり沼田氏時代の曲輪なのかもしれません。平八石はその曲輪の西側すみに置かれています。
最後に
説明板によれば沼田平八郎景義の亡骸は、町田町の小沢城に葬られ、沼田大明神として祀られたようです。平八郎の首級は、亡骸を埋めたところまで飛んで行ったと伝わります。領地奪回を夢見た沼田平八郎景義とは、そういう話が語り継がれるほどの勇将だったのでしょう。
<沼田城古城からの眺め>
つわものどもが夢の跡
■訪問:平八石
(沼田城古城)
[群馬県沼田市西倉内町]
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■参考・出典
・現地説明板(平八石の由来)
・沼田市観光協会HP
>遊ぶ-観る>平八石
https://www.numata-kankou.jp/activity/sight/heihachiishi/index.html
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