<沼田城本丸堀跡>
発掘調査後の沼田城本丸堀跡です。
<沼田城本丸発掘調査説明板>
こちらは調査に関する説明板です。左下の図解が分かり安い。これによれば、現存の石垣は堀底から約1m50pですが、もともとは6mくらいだったようです。石垣の更に上に塀を設けていたとすると、かなりの高さになります。また石垣の裏側に積まれる小石などは、堀底から約3mのところまで確認できたとのこと。沼田城につぎ込まれた技術を知る貴重な調査結果です。
<沼田城本丸跡説明板>
こちらには『幕府に提出した絵図(正保城絵図)によると、本丸側に唯一石垣が積まれた沼田城で最も規模が大きな堀』と紹介されています。また『絵図には堀幅12間(約24m)で本丸に入る櫓門付近の石垣高は3間(約6m)と記されています』とのこと。以下は要約すると、平成9年の調査で、植え込みの中から石垣の一部や、崩された石や瓦が多数出土したようです。このことから、地中にはさらに石垣の下部が現存しており、城が壊された時に埋められた大量の瓦や石が埋没していると考えられているそうです。(『』内は原文のまま)
前回訪問した時には、本丸の南側にはテニスコートがありました。
<ビッフォー>
前回訪問時に撮影した本丸の南側です。市民の憩いの場として活用されていることが伝わってくる光景です。テニスコートの区画がくっきりと整備されていたため、私はこの敷地がそのまま堀跡だと受け止めました。
<アフター>
しかし今回の訪問でわかったことは、かつての堀はテニスコートの一部(北側)で、他は公園として整備した時のものだということ。そして本来の本丸堀は、お隣のグラウンド(東側)からこの区画を通り越し、現在の観光案内所(西側)付近までつながっていたということ。
再訪したおかげで、やっと本当の姿を知ることができました。
説明板によれば、調査で出土した瓦には、信州上田城との類似性が認められるそうです。沼田城の歴史は長いですが、本丸堀付近の造作は真田時代のなごりということですね。戦国の乱世を生き残り、ここ沼田にも根をはった真田家は五代続きました。専門家による発掘調査により、そのなごりがまた明らかになったということですね。
<本丸堀石垣跡>
つわものどもが夢の跡
■訪問:沼田城本丸堀跡
[群馬県沼田市西倉内町]
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■参考・出典
・現地説明板
(沼田市教育委員会)
・沼田市HP
> 沼田市教育委員会 > 歴史・文化財
> 沼田城発掘調査事業 >
https://www.city.numata.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/1012083/1010197.html
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