ここは忍城跡のお隣の諏訪神社境内。諏訪曲輪と呼ばれたかつての忍城の一郭です。神域に足を踏み入れると、ひときわ杉の木が目にとびこんできます。
<大木>
天を衝く大木…
<説明板>
杉の木に関する説明板が設置されています。廃城となる忍城の話も含め詳細が記されていますが、少し長いので、要約してご紹介させて頂きます。
まず、忍城は江戸に近く徳川家と親しい関係を保っていたこともあり、新政府から徹底した取り壊しが命じられたようです。ただ、城内の建物を取り壊すにも費用が足りず、入札という形式で払い下げ、費用に充てました。旧忍城の物件であることを名乗る門や蔵が存在するのは、そういう背景があったからとのこと。そして、建物のみならず、樹木までも伐採されることになり、大木も並木もほとんど切りとられてしまいました。
諏訪曲輪の木も次々と切りとられ、伐採は諏訪神社の拝殿近くに及びましたが、ここで止まりました。以下は原文をそのまま転記させて頂きます(『』内は原文)。
『突然に杉の木から、生血のような赤いものが流れだした。「ご神木から生血が流れた、切る人にバチがあたる」と、人夫だれひとり手をだす者がなくなってしまった。そのために諏訪の森だけは、ご神木ということで、現在まで残ったのである。』
このお話をどのように受け止めるかは、その人しだいです。ただ、神の領域で人が触れてはならないものを察する気持ちは、現代人でも想像が及ぶ範囲ではないでしょうか。
<忍諏訪神社鳥居>おしすわじんじゃ
この地を支配した忍一族が創建したことに始まる神社です。
<忍諏訪神社拝殿>
成田氏が築いた忍城よりも古い神社です。
<忍城鳥瞰図>おしじょうちょうかんず
境内で撮影した忍城の鳥瞰図です。諏訪曲輪は本丸の北側に位置する曲輪です。成田氏が去ったあと、忍城には徳川家とゆかりのある大名が代々城主として入り、江戸時代を通して城として機能し続けました。明治となり、忍県の県庁が置かれたもののその後に廃城。忍城は徹底的に破壊されました。
<行田市郷土博物館の鐘楼>
いまはかつての本丸付近が行田市郷土博物館として整備されています。
<諏訪の大木>
郷土博物館お隣の諏訪神社の大木は、そのまま忍城諏訪曲輪のなごりということになります。
■訪問:忍諏訪神社
[埼玉県行田市本丸]12-5
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■参考・引用
・現地説明板
「諏訪の大木」
・猫の足あと
>行田市の神社>忍諏訪神社
https://tesshow.jp/saitama/gyoda/shrine_honmaru_suwa.html
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