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2024年01月27日

佐枝氏館のなごり(岩槻)龍門寺境内の土塁跡

戦国時代の館跡を訪ねました。

<佐枝氏館跡>さえだしやかた
Saedashiyakata-Dorui-Ryumonji-Iwatsuki.JPG
場所はさいたま市岩槻区の龍門寺境内です。佐枝若狭守館土塁であることが記されています。

<土塁跡>
Saedashiyakata-Dorui-Iwatsuki.JPG
昔はもっと高かったのでしょう。土塁が途切れるところもありますが、虎口の跡なのか、何らかの都合で取り崩したものなのかはわかりませんでした。

<墓所付近の土塁>
Saedashiyakata-Oruiato-Iwatsuki.JPG
こちらは墓所との間をブロック塀で隔てていますが、土塁がよく見えています。迫力があります。

<龍門寺>
X-Twitter-Isuke-Ryumonji.jpg
お邪魔させて頂いた龍門寺は、1550年に北条家臣の佐枝若狭守秀成が、自身の居館敷地内に開山した寺院です。地形の話をすると、元荒川のかつての流路沿いの微高地に位置しています。元荒川は岩槻城にとって重要な天然堀。佐枝氏の館は、岩槻城の外郭の守りを担っていたと考えられています。

<土塁>
Saedashiyakata-Ato-Iwatsuki.JPG
岩槻城は戦国末期(1590年)に豊臣軍によって攻め落とされます。土塁はその時に備えたものか、あるいはそれ以前から館の土塁として存在していたのかは分かりません。豊臣軍来襲時には、館を築いた佐枝秀成は既に亡くなっていたので、後継者の嫡男(佐枝植行)が土塁を築いた可能性もあるわけですね。私個人は、直線の土塁が直角に折れ曲がるところを見て、方形館の土塁を想像しました。まぁいずれにせよ、いまでも生々しい土塁が、戦国時代のなごりであることは間違いありません。素晴らしい遺構です。


最後に
ご先達の方々の城ブログを見ると、龍門寺さんが立ち入りを規制している時期もあったようです。龍門寺さんは岩槻藩主大岡氏の菩提寺でもあり、歴史的に興味深い寺院であることに間違いありませんが、著名な方だけでなく、一般の方々の墓所でもあります。門が開かれていても、寺の関係者ではないことを意識し、マナーを守った見学が望まれます。

<有形文化財の山門>
Ryumonji-Gate-Iwatsuki.JPG
龍門寺さんのご厚意に感謝申し上げます

■訪問:佐枝氏館
(龍門寺境内 佐枝若狭守館土塁)
[さいたま市岩槻区日の出町]


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■参考及び出典
・Wikipedia:2024/1/27
・猫の足あと「龍門寺」

https://tesshow.jp/saitama/saitama/temple_iwa_ryumon.html
posted by Isuke at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
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