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2024年02月18日

沼が消えても地形は残る(岩槻城)天然堀のなごり

<さいたま市岩槻区>
X-Twitter-Isuke230210.jpg
この下り坂はさいたま市岩槻区で撮影しました。都市化によりコンクリの街となっていますが、坂を下ったところには、かつて岩槻城の天然堀だった巨大な沼がありました。

<久伊豆神社一の鳥居>
Hisaizu-Shrine-Main-Gate.JPG
撮影場所は宮町の久伊豆神社参道入口の南側です。東武野田線(アーバンパークライン)の踏切を渡ってすぐのところで撮影しました。

<縄張り図>
shirononagoriMAPiwa (5).jpg
[出典:岩槻城址公園説明板]
岩槻城はご覧の通り自然地形を利用した平城でした。本丸や二ノ丸・三ノ丸といった城の中核部分は、天然堀である沼に囲まれています。

<縄張り図拡大>
Mapfocusedon-Hisaizujinja.JPG
先ほどの久伊豆神社は、この巨大な沼の北側に設けられた新正寺曲輪に鎮座しています。

沼はやがて姿を消しました。

しかし地形は残り続けます。

<岩槻城の天然堀のなごり>
Iwatsuki-geography.JPG
ここはそのなごりを感じられる場所ということになります。この道を真っすぐ進めば、岩槻城三ノ丸跡になります。

普段当たり前に通り過ぎてしまう都市の風景も、地形を手がかりにちょっと視点を変えると、別なものに映りますね。

■訪問:久伊豆神社前踏切付近
 (新正寺曲輪跡)
[さいたま市岩槻区本丸]2丁目


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posted by Isuke at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]

2024年01月27日

佐枝氏館のなごり(岩槻)龍門寺境内の土塁跡

戦国時代の館跡を訪ねました。

<佐枝氏館跡>さえだしやかた
Saedashiyakata-Dorui-Ryumonji-Iwatsuki.JPG
場所はさいたま市岩槻区の龍門寺境内です。佐枝若狭守館土塁であることが記されています。

<土塁跡>
Saedashiyakata-Dorui-Iwatsuki.JPG
昔はもっと高かったのでしょう。土塁が途切れるところもありますが、虎口の跡なのか、何らかの都合で取り崩したものなのかはわかりませんでした。

<墓所付近の土塁>
Saedashiyakata-Oruiato-Iwatsuki.JPG
こちらは墓所との間をブロック塀で隔てていますが、土塁がよく見えています。迫力があります。

<龍門寺>
X-Twitter-Isuke-Ryumonji.jpg
お邪魔させて頂いた龍門寺は、1550年に北条家臣の佐枝若狭守秀成が、自身の居館敷地内に開山した寺院です。地形の話をすると、元荒川のかつての流路沿いの微高地に位置しています。元荒川は岩槻城にとって重要な天然堀。佐枝氏の館は、岩槻城の外郭の守りを担っていたと考えられています。

<土塁>
Saedashiyakata-Ato-Iwatsuki.JPG
岩槻城は戦国末期(1590年)に豊臣軍によって攻め落とされます。土塁はその時に備えたものか、あるいはそれ以前から館の土塁として存在していたのかは分かりません。豊臣軍来襲時には、館を築いた佐枝秀成は既に亡くなっていたので、後継者の嫡男(佐枝植行)が土塁を築いた可能性もあるわけですね。私個人は、直線の土塁が直角に折れ曲がるところを見て、方形館の土塁を想像しました。まぁいずれにせよ、いまでも生々しい土塁が、戦国時代のなごりであることは間違いありません。素晴らしい遺構です。


最後に
ご先達の方々の城ブログを見ると、龍門寺さんが立ち入りを規制している時期もあったようです。龍門寺さんは岩槻藩主大岡氏の菩提寺でもあり、歴史的に興味深い寺院であることに間違いありませんが、著名な方だけでなく、一般の方々の墓所でもあります。門が開かれていても、寺の関係者ではないことを意識し、マナーを守った見学が望まれます。

<有形文化財の山門>
Ryumonji-Gate-Iwatsuki.JPG
龍門寺さんのご厚意に感謝申し上げます

■訪問:佐枝氏館
(龍門寺境内 佐枝若狭守館土塁)
[さいたま市岩槻区日の出町]


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■参考及び出典
・Wikipedia:2024/1/27
・猫の足あと「龍門寺」

https://tesshow.jp/saitama/saitama/temple_iwa_ryumon.html
posted by Isuke at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]

岩槻城大手門のなごり

岩槻城のかつての大手門付近を探索しました。

<岩槻城大手門跡>
Otemon-Iwatsukijo-sign.JPG
ここは大手門があった場所です。正確な位置が分からないので、とりあえずこのプレートを目指して歩いてきました。柵の向こう側はかつての大手門の堀跡になります。

<堀跡>
Otemon-Hori-Iwatsukijo.JPG
内部は私有地(宗教法人敷地)となっているため、立ち入ることはできません。道から見える範囲で撮影しました。今でも結構な高低差があります。この堀は三ノ丸・二の丸・本丸といった城の中核部を取り囲む巨大沼と繋がっていました。沼の水が堀まで入ってきていたのか、それとも空堀の状態だったのかは分かりません。

<堀の上部>
Otemon-Dorui-Iwatsukijo.JPG
こちらも道から見える範囲で撮影。土が露わになっているため、いかにも城跡という雰囲気が漂います。

岩槻城の歴史は室町時代の末期から始まりますが、江戸時代も存続した近世城郭です。さいたま市のホームページに記載がある通りで、岩槻城は戦国時代の関東の歴史において欠かすことのできない重要な城郭でありながら、今では江戸時代の面影さえも失われつつあります。急速な近代化の波に飲み込まれ、跡形もなく取り壊されてしまったわけですね。それはそれで仕方のないことですが、人が手を加えた地形がそのまま残っているということは、とても貴重なことだと思えます。姿を消した城のなごりですね。

<付近の地形>
Otemon-horiato-Iwatsukijo.JPG
大手門跡のすぐ近くで撮影しました。縄張り図を見る限り、マンションの駐車場となっているこの窪みも、別の堀のなごりと思われます。

私には難しい文献を解読する力がありませんが、専門の方々の研究の成果を、実際に足を運んで感じるくらいのことならできます。情報を得るだけならネットで充分ですが、現地へ行ってみると、思ったより距離があったとか、距離はないが高低差があったとか、現地ならではの発見があったりします。

<大手口>
Otemon-Iwatsukijo-Ato.JPG
こちらは大手門へ通じる大手口の跡です。古い街並みが残っているわけではないので、石柱がなければただ通り過ぎたことでしょう。こうして記してもらうだけでありがたいです。こういう目印と有難い古地図とを見比べ、あとは勝手に想像する。それだけで満足とまでは言いませんが、来れて良かったという気持ちにはなります。

街のなかの城跡巡り
似たような感覚をお持ちの方と共有できれば幸いです。

<城のなごり>
Iwatsukijo-Otemon-Dorui.JPG
大手門付近の城のなごりです

■訪問:岩槻城大手門跡
[埼玉県さいたま市岩槻区太田]1丁目5


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■参考
・Wikipedia:2024/1/27
・さいたま市HP
>文化財>知って楽しむ文化財>深掘り文化財>
「岩槻城跡を探る」

https://www.city.saitama.lg.jp/004/005/006/013/002/p078002.html
posted by Isuke at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]

2024年01月20日

総構えの北の守り(岩槻市)新正寺曲輪のなごり

今回は岩槻城の北側の守りの要だった新正寺曲輪の話です。

<新正寺曲輪跡>
Stonepillar-Shinsyojikuruwa.JPG

岩槻城の歴史は長いですが、今回訪問の新正寺曲輪が注目されるのは戦国時代末期。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の時です。秀吉は小田原城を大軍で包囲するとともに、別働隊で関東に点在する北条配下の城を落としていきました。当時北条配下だった岩槻城は、その別働隊によって攻め落とされます

「別働隊」といっても小隊ではなく、約2万の大軍です。いくら堅固な城といっても、2万の攻め手に対し、守る側は2千です。更に、城主・太田(北条)氏房と主力は小田原城へ移っていたため、兵力の差は明らか。城を任された家老・伊達房実を中心に岩槻城は奮闘しますが、城兵約1千の死傷者を出して、降伏となりました。

岩槻城を攻め落としたのは浅野長政率いる豊臣軍ということになりますが、本多忠勝や鳥居元忠といった徳川勢も加勢しています。守りの固かった当時の岩槻城に対し、豊臣軍は北側からの攻撃を選びました。秀吉からの催促もあり、持久戦にはしませんでした。

<新正寺曲輪石柱>
Stone-Pillar-Shinsyojikuruwa.JPG
こちらは岩槻区宮町の久伊豆神社前の新正寺曲輪の石柱です。新正寺曲輪は岩槻城本丸から巨大な沼を隔てた北側に設けられた防衛施設。石柱を設置してもらったお陰で、かつての城跡にいることが実感できます。

<石柱の説明文>
Shinsyojikuruwa-Stone-Pillar.JPG
側面に岩槻市教育委員会による説明が記されています。平成元年のものですね。この10年後、岩槻市はさいたま市岩槻区となっています。内容を以下に転記させて頂きます。
『元荒川沿いに広がり、沼を隔てて本丸を南に望む。西は新正寺口より田中町に続き、東は明戸口より岩槻城主郭に連なる。曲輪内には岩槻城総鎮守・久伊豆神社がある。』
説明文に登場する新正寺は、久伊豆神社の別当・光明院の寺号で、曲輪の名の由来でもありますが現在は存在しません。

<縄張り図>
shirononagoriMAPiwa (5).jpg
[出典:岩槻城址公園説明板]
こちらは別の日に岩槻城址公園で撮影した説明板です。ご覧の通り、岩槻城は沼地を利用した平城です。近くに元荒川が流れる台地上に、城の中核がありました。岩槻城は江戸時代を通して存続しましたが、城の中核と地形は戦国末期も同じです。

大きくカーブしている元荒川の内側に、新正寺曲輪があります。川と沼にはさまれた微高地だったのでしょう。ここをあえて曲輪とする理由は、まずは天然の堀である元荒川を敵が渡ろうとするのを妨害するため。そして、川を越えられてしまった場合は、敵が久伊豆神社の境内を含む広々とした微高地を足場にしかねないため、予め城に内包して守りを強化しておく必要があった。そんな感じでしょうか(他にもいろんな評価があるかと思います)。

そんな守る側の心配が的中したのでしょうか。豊臣軍はこの新正寺曲輪から攻め込んだと伝わります。結果は先述の通りです。多大な犠牲者を出しながらの抵抗は3日で終了しました。


ちょっと殺伐とした内容で終わってしまうので、簡単ではありますが、かつての新正寺曲輪に現在も鎮座する久伊豆神社をご紹介しておきます。

<久伊豆神社参道>ひさいずじんじゃ
Shrine-Chinju-Iwatsuki.JPG
岩槻城を築城した太田道灌が、城の鎮守としたと伝わります。

<鳥居>
Torii-Hisaizujinja-Iwatsuki.JPG
久伊豆神社は元荒川沿いに多く、埼玉県では有名な神社です。創建はかなり古く6世紀頃とされています。

<拝殿>
Hisaizu-Shrine-Guardian-God.JPG
この日も多くの人で賑わっていました。人を避けての撮影は無理だったので、ちょっと画像を加工させて頂きました。

<本殿>
Main-shrine-Hisaizujinja-Iwatsuki.JPG
ここが本社と勘違いするほど立派な神社です(本社は加須市)。岩槻の総鎮守として地元民に親しまれています。

■訪問:新正寺曲輪石柱
(久伊豆神社鳥居前)
[埼玉県さいたま市岩槻区宮町]2


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■参考及び出典
・新正寺曲輪石柱説明文
・岩槻城址公園説明板
・Wikipedia:2024/1/20
・MY神社HP 埼玉の神社一覧
「武州岩槻総鎮守 久伊豆神社」

https://myjinja.com/jinja/detail/id/15
・久伊豆神社HP
【説話】岩槻城落城伝説と久伊豆神社

https://www.hisaizu.jp/infomation03/269/
posted by Isuke at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]

天然と人工の二重堀(岩槻城総構え北側)赤間堀緑地

岩槻市の赤間堀緑地を訪ねました。

<赤間堀緑地>
Akamaboriryokuchi-Iwatsuki.JPG
この付近は岩槻城総構えの北側に位置し、古くは荒川(のちの元荒川)が流れていました。

<窪んだ地形>
Akamabori-Natural-Levee-Iwatsuki.JPG
ということは、この窪みが川跡ということだな

ごく自然にそう思いました。しかし、この日は岩槻の地形や湧水に詳しい方と散策していたので、そうではないことを教えて頂きました。

<元荒川沿いの堀川>
Natural-Levee-Moto-Arakawa.JPG
元々の荒川(以下元荒川)はこの緑地よりもう少し北側、この画像だと右手の道路より更に先を流れていたようです。ではこの窪みは何かというと、川に沿うように設けられた堀でした。もう少し具体的に言うと、岩槻城の堀と繋がって、水路の役割を担っていたようです。

どんな堀だったのでしょうね?

純粋に水を引き込むためだけなのか、物資の運搬に耐えうるものなのか、あるいは、土塁も兼ね備えて防衛施設としての堀を兼ねたものだったのか、勝手な想像だけが膨らみました。

まぁどうであれ
岩槻城は城の外側に防衛ラインを拡張したいわゆる総構えだったわけですから、大きな意味では防衛施設と言えなくもないですね。

<自然堤防>
WaterwaytraceNaturalLevee.JPG
周囲の状況からして、赤間堀緑地そのものが元荒川により形成された自然堤防です。

ということで
岩槻城の天然堀により形成された自然堤防には、更に人工の堀があったというお話でした。


訪問は2024年の1月中旬で、とても寒い日でした。豊臣軍の岩槻城攻めのルートを訪ねてみようということで、私を含めた4名で岩槻の街を歩き回りました。ご紹介の赤間堀緑地内に人の手による堀があったことは事実として、今回の投稿内容には私個人の妄想も多分に含まれます。その点はご理解をお願いします。

<久伊豆神社>ひさいず
Hisaizu-Shrine-Guardian-God.JPG
こちらは緑地のすぐ南側に鎮座する久伊豆神社です。この付近は新正寺曲輪と呼ばれ、岩槻城の北側を守る重要な防衛施設でした。地形的には元荒川に接する台地の端っこです。そして、豊臣秀吉による小田原征伐(1590年)の際に、豊臣軍の別働隊が当時北条配下だった岩槻城へ攻め込む時に突破した曲輪跡でもあります。神聖な神社の境内ですが、当ブログがきっかけで、そんなことを思い出してくれる方がいれば嬉しいです。

<赤間堀跡>
Akamabori-Natural-Levee-Iwatsuki.JPG

■訪問:赤間堀緑地
[埼玉県さいたま市岩槻区宮町]1丁目


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--------追 記--------
文中の「岩槻の地形や湧水に詳しい方」のブログを紹介させて頂きます。「大宮台地の湧水巡り」を中心に、街歩きを含む探索を続けている『いこ〜』さんのブログです。ご紹介は、たくさんある記事のほんの一例に過ぎませんが、ご興味のある方はのぞいてみて下さい。

さいたま市岩槻区南下新井「宮前の湧水」
https://iko.hatenablog.jp/entry/2020/12/12/230519


posted by Isuke at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]

2023年12月30日

武蔵へ下った清和源氏のなごり(鴻巣市)伝源経基館跡

鴻巣市の微高台地に築かれた館跡を訪問しました。

<伝源経基館跡>でんみなもとのつねもと
Den-Minamoto-no-Tsunemoto-Yakataato.JPG
源経基が行政官として坂東に赴いた時の館と推定されています。あくまで、そう「伝」えられている場所ですが、埼玉県指定史跡となっている貴重な館跡です。

<微高台地>
Minamoto-no-Tsunemoto-Yakata-Ato.JPG
一定の高低差のある台地上に築かれているようなので、分類すると山城ということになります。

<低地>
Arakawalowland-Den-Minamotonotsunemoto-Yakataato.JPG
逆側(西側)は低地です。むかしは荒川の湿地帯が広がっていたと思われます。低湿地に面した台地上に館を構えたわけですね。

<内部>
Samurai-Yakata-Konosu.JPG
入口付近より高い位置へ登ると視界が開けます

<郭>
Samurai-Yakata-Earthwork.JPG
なるほど。中世の館に相応しく単郭式の城跡ですね。東西約95m、南北約85mとのこと

<土塁>
Earthwork-Den-Minamotonotsunemoto-Yakataato.JPG
縄張り図はありませんが、ほぼ方形の区画の周囲に、こういう堀を巡らせていたのでしょう

<堀跡>
Samurai-Yakata-Moat-Minamoto-no-Tsunemoto.JPG
低湿地に面した西側を除く三方に土塁と空堀をめぐらしたようです。

国司として武蔵国へ入ったといっても、地場の領主や領民が諸手を挙げて歓迎してくれるわけではありません。万が一備えた念入りな館を設備したのでしょう。

<館跡の北側>
MinamotonoTsunemotoYakataato-NexttoHighSchool.JPG
フェンスの向こう側は県立高校です

<堀と土塁>
Den-Minamotonotsunemoto-Yakataato-Moat.JPG
土塁の上に塀または柵を設けていたと思われます

<六孫王経基城阯>ろくそんおうつねもとじょうし
Castle-Ruins- Monument-Den-Minamotonotsunemoto-Yakataato.JPG
立派な石碑です。皇族の時に六孫王と名乗ったとされる源経基の城跡であることが記されています。経基は清和天皇の皇子の子で、第6子であったことから六孫王と称したと伝わります。

源経基は、清和源氏の中で最も子孫が族繁栄した経基流清和源氏の初代です。具体的に言うと、東国における源氏勢力の基盤をつくった源義家、鎌倉幕府を開いた源頼朝、足利将軍家やその一門の祖となった人物です。

そんな人物がここを拠点とした。
そう思えば、遺構のひとつひとつが奥深いです。

<つわものどもが夢の跡>
Single-Compartment-Yakata.JPG
まだまだ環境の整わない武蔵へ下った経基は、ここで何を思いましたかね?

■訪問:伝源経基館跡
(別称:箕田城)
[埼玉県鴻巣市大間]


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■参考
・Wikipedia:2023/12/30

posted by Isuke at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]

2023年12月03日

畠山館跡(深谷市)畠山重忠ゆかりの地

つわものどもが夢の跡
清廉潔白な人柄から坂東武士の鑑とまで称された畠山重忠の館跡を訪ねました。

<畠山重忠像>はたけやましげただ
Shigetada-Favorite-Horse.JPG
馬を背負う畠山重忠の銅像です。騎馬像は時々見かけますが、馬を背負う像は珍しいですね。

■訪問記■
<永田駅>
Nagata-Station.JPG
最寄り駅は秩父鉄道の永田駅


<荒川の重忠橋>しげただばし
Arakawa-flowing-through-Fukaya.JPG
南へ向かって歩くと荒川に出ます。畠山重忠がそのまま橋の名になっています

ところで

<橋沿いの要塞>
Shigetada-Bridge.JPG
何だかかなり重厚な施設がありますね

<六堰頭首工>ろくせきとうしゅこう
Fortress-Along-Bridge.JPG
水路好きのためしばし見学。どうやら、荒川を一旦せき止めて、周辺の用水路に取り入れる仕組みになっているようです。歴史は古く、江戸時代初期に6つの堰を設け、それぞれの用水に水を供給したことに始まるとのこと。何も知らずに私が渡った重忠橋は、この施設とセット(管理橋)のようです。

再び南へ

<田畑>
Countryside-Fukaya.JPG
先ほどの施設の恩恵を受けているのかもしれません。私の訪問は10月下旬。秋らしいのどかな景色が続きました

そして

<畠山重忠公史跡公園>
Hatakeyama-Shigetada-History-Remains-Park.JPG
目的地に到着しました。入口付近から有名な畠山重忠の銅像が見えています。ここは畠山氏の館跡で、重忠とその家臣の墓と伝わる五輪塔があります。

<鵯越の逆落>ひよどりごえのさかさおとし
Statue-Hatakeyama-Shigetada.JPG
訪問した時間が良くなかったのか逆光でうまく撮れず。冒頭の画像はちょっと画像を明るく加工しました。愛馬・三日月を背負う畠山重忠の雄姿です。源義経の奇襲で知られる「鵯越の逆落」の際に、馬が怪我をしないように背負って崖を降りたという伝説にちなんでいます。

この話を聞いた時、いくらなんでも馬を担ぐのは無理なので、それくらい強靭な武将だったのだろうと受け止めました。日本在来馬がいくら小さめでも、裕に300sは越えますからね。

<三日月と重忠>
Shigetada-Carrying-Horse.JPG
ただ、この担ぎ方なら何とかできたかもしれませんね?そのまま背負うのではなく、前足の負担を軽くしてやって崖での歩行を楽にしてあげる。それでも、そうとう足腰が丈夫でないとできませんが…。

馬を粗末に扱う武士もいたかもしれませんが、「坂東武士の鑑」がそんなことをするはずはありません。そういう人柄だらこそ、愛馬を担いだという話が語り継がれるのかもしれません。

<石碑と公園>
Stone-Monument-Hatakeyama-Shigetada-Park.JPG
重忠が生まれたとされる畠山館跡は、市民のための公園として整備されています。右手の石碑は、奥が史蹟保存碑、手前は没後八百年慰霊碑と刻まれています。

<公園奥>
Hatakeyama-Shigetada-Park.JPG
重忠の館といえば、現在の嵐山町の菅谷館が有名ですね。ここ深谷市(旧川本町)の館跡は、菅谷へ移る前の拠点だったようです。

<畠山重忠と家人の墓>
Grave-Hatakeyama-Shigetada-Fukaya.JPG
中には五輪塔が六基ならんでいます。中央のひときわ大きな五輪塔が重忠のものとされています。

<板石塔婆>いたいしとうば
Itaishitouba-1304.JPG
こちらの説明板によれば、畠山重忠の百年忌に建立された板碑のようです。重忠の生きざまは百年たっても霞むことがなかった。私はそう受けとめました。


■つわものどもが夢の跡■
秩父平氏の嫡流である畠山重忠は、武蔵国を代表する知勇兼備の武将でした。鎌倉幕府の有力御家人として活躍しましたが、源頼朝の亡き後、執権・北条時政の謀略により謀反の疑いをかけられ、一族ともども滅ぼされました。ここ畠山の地で生を受けたのが1164年、二俣川(横浜市旭区)で亡くなったのが1205年でした(享年42)

<重忠の幟>
Flag-Shigetada-Park.JPG
盛土したと思われる僅かな起伏を除くと、館跡に遺構らしきものは残されていません。ただ畠山重忠ゆかりの地であることは存分に味わえました。

<坂東武士の鑑>
hero-of-musashi.JPG
埼玉県の英雄です

■訪問:畠山館跡
(畠山重忠公史跡公園)
[埼玉県深谷市畠山]510-2


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■出典及び抜粋■
・現地説明板(深谷市)
・現地説明板(埼玉県)
・深谷市観光協会HP
「畠山重忠公史跡公園」

http://www.fukaya-ta.com/midokoro/shigetada/
・埼玉県HP
「六堰頭首工」
> 六堰頭首工って何?

https://www.pref.saitama.lg.jp/b0906/rokuseki/whatsrokuseki.html

posted by Isuke at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]

2023年02月12日

空堀の斜面に立つ巨木(さいたま市) 岩槻城跡のケヤキ

岩槻城の出丸的な存在だった曲輪の堀跡に、毅然と佇む巨木の姿があります

<岩槻城跡のケヤキ>
Iwatsukijo-atono-keyaki-tree.JPG
高さ20mのケヤキです

ここは岩槻城址公園内

<説明板>
Iwatsukijoatonokeyaki-Direction-Board.JPG
説明板が設置されています。折角ですので以下に転記します。『』内は原文のままです。

『このケヤキは、県史跡岩槻城跡の新曲輪西側の空堀の傾斜面に生え、目通り4m、根回り6mあり、高さ20mに達する。市内に生えるケヤキの中では最巨木の一つであり、岩槻城の古さを示す証拠ともなっている。また、このケヤキには平地には珍しいヤドリギが寄生している。
ケヤキはニレ科に属する落葉高木で、葉は長卵形で、縁に鋭い鋸歯があり、淡い黄緑色の小花が、その年に伸びた枝の葉の付いた部分に咲き、雄花と雌花の別がある。北海道を除く日本全土に分布する。ケヤキは、古くは槻とよばれたことから、市の木となっている。』


平成8年3月8日付の岩槻市による説明です。岩槻市は現在さいたま市岩槻区となっていますのが、当時の説明板がいまも残っているあたりが、ほのぼのしていいですね(個人的に)。

<巨木>
iwatsukijo-giant-tree-keyaki.JPG
長年風雪に耐えてきたこのケヤキの樹齢は200年以上と推定されています。江戸時代以降の岩槻城の栄枯衰退を見てきたわけですね。

私の訪問時には、近くの野球場から元気な子供たちの声が響きわたっていました。そういった人の営みとは関係なく、まったくもって尺度の異なる時間が流れているような気がしました。

<城跡のケヤキ>
iwatsuki-castle-ruins.JPG
                     
■訪問:岩槻城跡のケヤキ
(岩槻城址公園)
[埼玉県さいたま市岩槻区太田]3

■参考及び抜粋
現地説明板
(旧岩槻市教育委員会)



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