南北朝時代に北朝方が拠点とした山城跡を訪ねました。
<井上城>いのうえじょう
ここは旧真壁郡関城町。南朝方の関城を攻略するための臨時の城だったと考えられています。
南朝勢力を鎮圧すべく、北朝方は足利尊氏の重臣・高師冬を関東へ派遣。高師冬は巨大な沼(大宝沼)に囲まれていた関氏の城を攻略するために、約2q北のこの地に陣を敷いたと考えられています。
<現地説明板>
冒頭に『北朝軍武将高師冬の本陣址』と記されています。攻め手の本陣は普通なら仮設の陣地、しかしここ井上城は堀と土塁を備えた本格的な城だったようです。このことから、攻略すべき関城は攻めるのに難儀な要害で、攻め手も長期戦を想定していたのではないかと考えられているようです。
<説明板縄張り図>
Aが現在位置で主郭ですね。Bが二ノ郭、Cが三ノ郭。城は更に北にまで達していたようです。臨時の城といっても、兵が長期的に滞在する必要があったようですから、あまり手狭だと困りますよね。各曲輪に分散して待機していたのでしょう。
曲輪と曲輪は谷で仕切られています。人の手も加えられたかもしれませんが、この時代ですから、ほぼ自然地形を活かしたものなのでしょう。説明文によれば、この付近の低湿地は、関城の天然堀である巨大沼と水路で繋がっていたとのこと。戦で舟が大きな役割を果たしたようです。各曲輪に船着き場があったなんてこともあるかもしれませんね(想像です)。
<微高地>
奥が城跡。手前はむかし低湿地だったのでしょう
<城内>
長期戦に備えて北朝方の兵が寝泊まりしたかもしれない場所
事実として、敵である関城は長期間籠城を続けました。敵地に乗り込んだ北朝の兵は、どんな思いで過ごしたのでしょうね
<城内からの眺め>
城の外は当時は足場の悪い低湿地。逆に攻め込まれたら逃げ場はありません
ということで
遺構はほぼありませんが、現地でいろいろ想像して楽しめたので満足な訪問となりました。ただの城好き会社員のブログですので、その程度に受け止めてください。
<高師冬の陣城>こうのもろふゆ
北朝軍を率いる高師冬が指揮を取った陣城跡です
-----■ 井上城 ■-----
築城者:北朝方
築城年:南北朝時代
城 主:高師冬
廃城年:不明
[茨城県筑西市木戸]
<黒子駅>くろご
最寄り駅の黒子駅。井上城跡はここから北西に約1q弱です。
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■参考及び出典
現地説明板(梨想の会)
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