<小峰城>こみねじょう
■2023年再訪■
白河市の小峰城跡は、2011年の東日本大震災により、石垣崩壊やひび割れなど多大な被害を受けました。深い歴史が刻まれ、盛岡城・若松城とともに東北三名城のひとつとされる名城です。そしてなにより、白河市のシンボルです。本格的な復旧工事が2013年から始まり、2018年に完了しました。
私の前回の訪問は2018年です。戊辰戦争から150年という年であり、復旧作業にも目途がたったという情報を得て、現地を訪問しました。城は見事に復旧していました。ただ、ちょっと早すぎたのか、城の裏側(北側)はまだ立ち入り禁止の状態でした。その時の続きのつもりで、今年再訪しました。
<城山公園入口>
現地到着
<城内案内>
今回はまず矢之門方面へ
<堀跡>
この景色は前回も見ていますが、二の丸の外側の曲輪跡と勘違いしていました。あとから縄張り図を見てびっくり。埋められた堀の跡です。
そして
<城門跡>
堀が途切れるところに城門があります。本丸からみて西側の矢之門の跡です
■小峰城の帯曲輪■
<矢之門跡>やのもん
ここから探索スタートです
<矢之門説明板>
矢之門が『本丸を囲む帯曲輪の北東側の出入口』であることが記されています。右下に再現イメージがありますね。今は石垣だけですが、こういう櫓門が設けられていたようです。
<三重櫓と帯曲輪>おびくるわ
実質天守の三重櫓。正面から見た美しさとは別の魅力です。こちら側から見上げると、妙な迫力がありますね。右に広がるのが今回のお目当ての帯曲輪です。まぁ私が攻め手なら、ここから直接本丸を攻めようとは思いません。
<石垣の説明板>
一部の石垣が、不定形で粗く割った面が表面になっていることから、江戸時代開始前後に築かれたと考えられるとのこと。
<石垣>
石垣の裾野の部分ですね。なるほど。勉強になりました。
<高低差>
平面図で見ればお隣の曲輪同士ですが、実際は凄い高低差。小峰城は標高約370mの丘に築かれた城。本丸を頂点とする山城です。
<帯曲輪>
そして広い帯曲輪。一段低くなった位置から、大切な本丸をととり囲んでいます。帯曲輪というと、主たる曲輪の補助的な施設で、形状は細長いというイメージですが、ここは違うようです。独立した別の曲輪に思えます。
<石垣の再生>
凄いなぁ…壮大な帯曲輪と石垣。前回この景色は見られなかったので、再訪して良かったと思える瞬間でした。
<修復に関する説明板>
石垣崩落したの様子が記されています。写真を見る限りかなり広範囲です。石材の個数だと1201個になるとのこと。
積み上げるだけでも大変ですが、ここ小峰城の修復では、石材に番号をつけ、伝統的な工法に従って石垣を造り直しました。それって、かなり地道な作業になりますよね。その経験値は、熊本地震で石垣が崩落した熊本城の修復作業にも活かされています。
<西側>
この付近も幅にして21mの崩落があったそうですが、見事に修復されています。
<南西角>
城の南西角に設けられた富士見櫓付近です。角を曲がると城の大手側(南側)になります。
<帯曲輪門>
帯曲輪はここまでです。画像は帯曲輪から内部へ通じる虎口に設けられた帯曲輪門跡。
ということで
小峰城の裏側を中心に、帯曲輪をゆっくり見学したというお話でした。
<城の正面>
あいかわらず見事な前門と三重櫓
小峰城は国の史跡に指定され、日本100名城のひとつにも選ばれています。
--------■ 小 峰 城 ■--------
別 名:白河小峰城 白河城
築城年:1340年
築城者:結城親朝
改修者:丹羽長重
城 主:結城氏・丹羽氏
榊原氏・松平氏 他
廃城年:1871年
[福島県白河市郭内]
■参考及び抜粋
・現地説明板(白河市)
・Wikipedia:2023/12/10
お城巡りランキング
■当ブログ過去記事■
2018年に訪問した時の投稿です。よかったら覗いてみて下さい。
<小峰城>
『小峰城 戊辰150年の夏』
(クリックで記事に移動します)
2023年12月10日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12335598
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック