戦国武将・伊達政宗は米沢城で生まれました。
<伊達政宗公生誕の地>
米沢城本丸跡の伊達政宗生誕地の石碑。米沢はもともと伊達家の領地でした。
ところが…
最近では、伊達時代の「米沢城」は、現在の米沢城より西方の舘山城の近くに存在したのではないかといわれ始めています。ちょっと言い換えると、伊達政宗の生誕地が米沢城なのはいいとして、当時の米沢城はどっちなのかということになります。その結果、同じ米沢市で、現在の米山城と舘山城の双方が「伊達政宗生誕の地」をアピールしている状態になっています。
<説明板>
現在の米山城本丸跡の説明板です。上杉家御廟所・上杉家と伊達家の家紋に関する説明と並んで、舘山城の紹介も掲載されています。
<米沢城と舘山城>
右側です。私の主観が入らないようそのまま引用させて頂きます(『』内が原文)。
『米沢城跡(松が岬公園)から約3キロ西側の舘山地区に、山城と平城からなる舘山城跡があります。伊達家の正史「伊達治家記録」には、地元の有力者新田氏の居城であったり、伊達輝宗の隠居所、伊達政宗が地割した記載があります。また、平成25年の発掘調査で山城から石垣が発見されました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い以降の石積技術であることから、上杉景勝が築いた石垣とみられます。舘山城は、米沢城の西側の拠点として、伊達家や上杉家が整備した重要な城と考えられます。米沢市はこのような歴史遺産が多く残るまちです。』
舘山城では石垣も見つかっていますが、これは上杉時代のものとのこと。伊達家・上杉家双方に関わりのある城ということですね。そして、見落とせないのは『米沢城の西側の拠点として、伊達家や上杉家が整備した』という表現ですかね。つまり、本城はあくまで現在の米沢城ということになります。
<舘山城画像>
舘山城は南と北に川が流れる舌状丘陵の先端付近に築かれました。画像中央、山麓の平地に居館を配置し、平時はそこに居住していたと思われます。そして山には戦に備えた堀や曲輪。政宗出生地をめぐる論争とは別に、ごくごく普通に魅力的な、そして典型的な中世の山城だと思います。
ということで
政宗生誕の地とされる「米沢城」については、私なりにずっと気になってはいるのですが、今回の米沢再訪で改めて、「上杉家が居城とした米沢城と同じで良いかな…」などと思ったという内容でした。
<米沢城本丸跡>
拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
■訪問:
伊達政宗公生誕の地碑
[山形県米沢市丸の内]
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■参考及び引用
・現地説明板(米沢市)
・Wikipedia:2024/8/17
2024年08月17日
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