今回は米沢市の市街地に取り残された城のなごりの話です。
<市街地の土塁>
ここは米沢城三の丸跡です。開発でかつての遺構はほぼ取り除かれていますが、土塁が残されています。とても貴重な遺構ですね。
<粡町公園>あらまち
遺構は児童公園(粡町公園)の一部となっています。炎天下の訪問のためか、子供の姿もなく…
米沢城の歴史はかなり古いですが、本丸を中心に、二ノ丸・三ノ丸で囲う広大な城に改修されたのは近世になってからです(江戸時代初期)。改修者は上杉景勝の命を受けた直江兼続でした。石垣は使用せず、それぞれの曲輪を土塁で囲みました。
土塁とセットの堀の掘削も同時に行われました。現在はその姿は確認できませんが、位置的にこの画像の向こう側が水堀だったことになります。
<稲荷神社の鳥居>
土塁の上に鳥居が見えます
<五穀稲荷神社>
土塁上の五穀稲荷のお堂です。推定ですが、神様が祀られているから、土塁も取り除けなかったのではないかと思います。本丸からみて北東に位置していることから、鬼門の守り神として神社が建てられたとも考えられています。
<土塁滑り台>
あれ、これはもしかしたら
<コンクリート滑り台>
土塁を利用した滑り台です。かなり頑丈そうですね。ここは土塁跡にして神社の境内、そして児童公園でもあるので、相応しい光景なのかもしれません。
滑り降りてみたかったですが、ヘンなオジサンがいると思われること100%のため、やめておきました。
<石碑>
比較的新しい石碑が設置されています。刻まれた文字は、米沢城三の丸土塁…竹?何で竹?
説明を呼んで納得しました。
『土居の崩壊を防ぐために植えられた矢竹は約四百年の風雪に耐え…』と刻まれています。土塁だけでなく矢竹を含めて、貴重な遺跡を残してくれた先人を偲ぶためにこの碑は造られたようです。
<矢竹>
ただの笹かと思いきや、矢の材料にもなる矢竹だったようです。
<現存土塁>
直江兼続により築かれた三の丸土塁の総延長は約4kmだったと伝わります。今はそのほとんどが失われましたが、これは造り直しではなく、当時の土塁がそのまま残っているわけです。
まさに近世の城として生まれ変わった時の米沢城のなごりです。
■訪問:
米沢城三の丸残存土塁
(五穀稲荷神社)
[山形県米沢市中央]4丁目
■参考及び出典
現地石碑(米沢城三の丸土塁・竹碑)
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2023年08月05日
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