米沢藩の藩校跡地を訪ねました。
<興譲館跡地>こうじょうかん
貫禄がある石碑です。比較的新しいようですね(建立2008年)。
この地はあの上杉鷹山が、藩の人材育成を目的に設立した藩校の跡地です。「興譲館」と名付けたのは細井平洲。鷹山の師ですね。細井平州は尾張国の出身の儒学者で、37歳のときに当時14歳の鷹山の師となり、教育にあたりました。鷹山は藩主となったのちも、平洲を生涯の師と仰ぎました。興譲館には、藩政改革を成し遂げた名君と、その師である儒学者の、両方の思いが込められているわけですね。
江戸時代初期に米沢藩の礎を築いたのは、初代藩主の上杉景勝、そして重臣の直江兼続です。会津120万石から出羽米沢30万石へ減移封となった当時、上杉家には財政的ゆとりはありませんでした。危機を脱するため、直江兼続は城下町の整備や治水、荒地の開墾などを精力的に行う一方で、本人の私財も投入し、学問所を創設しました。長い目で藩を繁栄させるには、人の育成が必要であると考えたからですね。
兼続の学問所「禅林文庫」はその後廃れてしまいすが、中興の祖となる上杉鷹山の登場で、100年以上の時を経て、また藩としての学問の場が再興されたことになります。
<興譲館の図>
当時の藩校の様子です。2階建て?のようですね。全てがゼロからのスタートだったわけではなく、私塾を藩としての学問所として再建したようです。そして、医師も含めた多くの優秀な藩士を輩出しました。
現在の県立米沢興譲館高校は、この藩校の流れを継承しているとのこと。ということは、300年以上の歴史のある高校ということになります。凄いことですね。そして、とても羨ましいです。
<記念碑>
苦しいからこそ、学びが必要。そして、具体的に実践する。あまり評価されていなかった直江兼続を手本とした上杉鷹山らしい足跡ですね。
■訪問:藩校興譲館跡地
[山形県米沢市中央]2丁目
■参考:米沢市HP
「藩校興譲館の跡地」
https://www.city.yonezawa.yamagata.jp/5663.html
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2023年08月13日
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