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2023年08月15日

興譲館設立に尽力した儒者(米沢市)神保綱忠の菩提寺

(興譲館の追記です)

米沢の藩校興譲館について調べているうちに、かなり前にお邪魔させて頂いた寺院のことを思い出しました。

<田澤山乗善寺>じょうぜんじ
JinboRanshitsu-Bodai-ji.JPG
米沢市中央3丁目の乗善寺さんで撮影しました。山号は田澤山。浄土真宗の寺院です。こちらは興譲館設立に尽力した米沢藩家臣・神保綱忠の菩提寺です。

<神保蘭室の墓説明>らんしつ
JinboRanshitsu-Explanation.JPG
現地に『神保蘭室の墓』と題した説明板が設置されていました。『米沢藩の儒者で、藩校興譲館の督学(総長)となった神保綱忠の墓。蘭室は号である。』と記されています。

続きを要約させて頂くと、神保綱忠(蘭室)は幼い頃から学問に優れ、米沢の藩医だった藁科松伯のもとで学びを深め、上杉鷹山の学友にも選ばれているそうです。鷹山が生涯師と仰ぐ細井平洲の門人となり、藩校興譲館創設の際には提学(校長)に命じられたとあります。

いま風に言えば初代校長先生ということですかね。そして学校の総長にもなった。

ちなみに
最初の総長は莅戸(のぞき)善政だったようです。莅戸善政といえば、竹俣当綱らと共に鷹山の抜擢人事によって活躍の場を与えられ、藩政改革に挑んだ人物。今では鷹山とともに松岬神社に祀られています。

神保綱忠について
説明文には『政治参与も兼務し藩政にも尽力』とあります。藩校設立だけでなく、幅広い領域で藩主である鷹山に信用されていたようです。更に、説明の最後には、細井『平洲の高弟として名声は広まり、全国の著名な儒学者と親交し、数多の門人を指導した』と記されています。

米沢藩だけでなく、儒者として全国に影響を及ぼしたわけですね。

ということで
興譲館設立に尽力した神保綱忠(蘭室)とその菩提寺のご紹介でした。

最後に
文中の『』内は説明板の原文のままです。また、使用した画像はかなり古く、2010年頃のものです。あまり高級ではない当時のデジカメで撮影しました。

以上です。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。

■訪問:田澤山 乗善寺
[山形県米沢市中央]3丁目

■参考及び出典
・Wikipedia:2023/8/15
・現地説明板(米沢市)
 2010年頃の説明文



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posted by Isuke at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ゆかりの地
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