沼田市で真田信守の墓所を訪ねました。
<舒林寺山門>じよりんじ
立派な佇まい。ここ舒林寺は曹洞宗の寺院。初代藩主・真田信之により境内を寄進され真田氏の菩提寺となりました。
<案内板>
奥へ進むと「真田又八郎信守の墓」と記された標識をみつけました。
真田信守は信濃松代藩の第2代藩主・真田信政の次男として生まれました。長男の信就は、身分不確かな側室の子であることから、早々に後継ぎを辞退していました。これにより、信守はやがて真田家当主、そして信濃松代藩の藩主となることが期待されていました。
しかし
沼田城内で、論争の末に弟の信武を殺害するに至り、自らも自刃しました(1645年)。まだ18歳。真田家としては、身内の争いで一度に二人の男子を失うこととなりました。
その場の論争だけで弟を殺すというのは考えにくいですね。背景にどんな事情があったのでしょうか?兄弟の争いを止めようとした真田家臣の佐久間善八も巻き添えで命を落としています。沼田城で突然起きた、異例の騒動でした。
<宝篋印塔>ほうきょういんとう
こちらが真田信守の墓です(右側)。周囲には一般の方の墓石もありますので、画像を多少加工させて頂きましたが、宝篋印塔がひときわ目をひく墓所の雰囲気は伝わると思います。
<真田六文銭> さなだろくもんせん
信守の墓石には真田六文銭。当主になるはずだった若武者の墓です。
■訪問:舒林寺
[群馬県沼田市材木町]
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■参考
・Wikipedia:2024/9/15
・WEB GUNMA HP
>真田信守の墓
http://www.webgunma.com/1757/
2024年09月15日
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