<円筒分水>えんとうぶんすい
こちらです。水は円の中心から外へ向かって放射状広がり、均等に溢れます。円の外側には、中心からの角度を決めて仕切りを設けてあります。仕切りで分けられた水は各水路へ流れることになりますが、全体の水量が増減しても、分配される水の比率は変わりません。
<各水路>
こちらは円筒分水の下流で撮影しました。交わることのないそれぞれの水路。水の量はそれぞれ違いますが、比率は一定に保たれています。
<長野堰用水円筒分水>ながのぜきようすい
現地説明板によれば外円筒12.6m、内円筒8.0m。轟々と音を立てて水が絶え間なく噴き出しているせいか、実物はこの画像以上に迫力があります。水路(長野堰用水)の上流から流れてきた水を、ここで行き先ごとに分けています。
<長野堰説明板>
こちらによれば、水を引き込むための堰の形が造られたのは千年以上も前の話。具体的な記載はありませんが、着手したのは戦国時代に名を馳せた箕輪城主・長野業正のご先祖のようです。長野氏が築いたから長野堰。わかりやすいですね。
ここ高崎は烏川と井野川に挟まれていながら、台地となっていることから、水不足に悩まされていた歴史がありました。まぁ川がすぐそばでも、水は高い方へは流れてくれませんからね。川の標高がもっと高いところ、つまり上流で水を引き込んで、水路でつないでくるしかありません。長野堰用水の整備には、現在の用水路の原形を造ったとされる長野業正は勿論のこと、その後の支配者たちも関与しています。高崎にとって、いかに重要なインフラなのか伝わってきますね。
<説明板>
こちらの説明板によれば、長野堰用水は、ここ円筒分水から9q離れたところから水を引き込んでいるようです。灌漑用水として利用され、高崎城址のお堀の水にも利用されているとのこと。そして円筒分水を通過した水は、地獄堰、鳴上堰、矢中堰、倉賀野の4堰に正確に受益分配されるようになっています。
<説明板拡大>
平面図(上)と断面図(下)。断面図を見ると、円の中心から水が溢れ出る仕組みがよくわかります。理科で習ったいわゆるサイフォンの原理(ここでは逆サイフォンの原理)ですね。平面図には各水路の比率も記されています。地獄堰が28%で鳴上堰は4%、矢中堰31%そして倉賀野堰は37%とのこと。
倉賀野か・・・
実は、私が長野堰を意識したのは倉賀野を訪問した時でした。倉賀野城本丸跡のすぐ近くには、烏川が流れています。ただ高低差があって、城下に水を引き込むことはできません。城下に設けられた水路(五貫堀川)を調べた結果、すぐ近くを流れる烏川のはるか上流の長野堰から水が供給されていたことを知りました。
<記念碑>
水路近くのこちらの石碑には「倉賀野・矢中堰改修記念碑」と刻まれています。現代も改良は続けられています。
話を長野堰用水戻すと
<分水地点>
水をめぐる集落同士の争いは何百年も続いていました。雨の少ない時には、分水地点であるこの地は修羅場と化したかもしれませんね。円筒分水がその問題を根底から解決してくれたのは昭和になってからです。
ということで
長野堰用水と円筒分水のご紹介でした。円筒分水は地域によっては円形分水とも呼ばれるそうです。水を分配する原理と役割は同じですね。
<世界かんがい施設遺産>
世界かんがい施設遺産に登録されています
■訪問:長野堰用水円筒分水
[群馬県高崎市江木町]134
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■参考・出典
・現地説明板
(群馬県西部農業事務所)
・Wikipedia:2024/9/1
・高崎市HP
https://www.city.takasaki.gunma.jp/page/5515.html
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