城下町を堀や土塁で取り囲んだ小田原城の総構。今回はそのなごりをいまに留める川の話です。
<渋取川>しぶとりがわ
どこにでもありそうな水路ですが、この水の流れの背景には、かつて小田原北条氏が築いた総構と深く関係しています。
<説明板>
川沿いに説明が設置されていましたので、冒頭を以下に転記させて頂きます。『』内は原文のままです。
『戦国時代・小田原北条氏が本拠として小田原城は東西約2.9q、南北9qの規模を誇る戦国時代最大級の城郭です。その一番外側の守りは「総構」と呼ばれています。総構の東縁部、「井細田」から「山王口」にかけては、天然の湿地帯に堀を掘り、その内側に土塁を構築していたと考えられます。この地域は小字「渋取」と呼ばれ、この一帯は堀の跡地ではないかと考えられています。』
総構の外周は広範囲に及びましたので、山だったり谷だったり、場所によって環境が異なります。東側の低地部は湿地帯だったので、これを活かす工夫がなされたわけですね。
説明文の続きを要約させて頂くと、冒頭の画像の渋取川は、江戸時代に堀を埋めた水田の排水路と考えられているそうです。総構の構造は、秀吉の小田原攻めで北条氏が滅んだ後も存在し続けましたが、この説明を読む限りでは、堀の一部が水田に転用されるなど、運用がやや緩和されたということでしょうか。
<総構のなごり>
稲などから染み出る液を意味する『渋』が、渋取の名の由来のようです
説明板の最後には『令和3年に渋取川にかかっていた「新逢橋」は解体され、川は一部暗渠となりました。「新逢橋」lの銘板は、地域の歴史を物語る資料として小田原市郷土文化館に保管されています。』 と記されています。暗渠(あんきょ)とは、地下に埋設された川のことですね。渋取川もこの付近では水面が見えていますが、場所によっては地上からは姿を消しています。
このあと
説明板の地図にもある「山王口」方面へ向かいました。その途上にある蓮上院土塁は堀の内側築いた土塁跡です。これについては次の投稿にさせて頂きます。
<説明板の地図>
■訪問:渋取川
(広小路南交差点付近)
[神奈川県小田原市栄町]
■参考及び出典:
現地説明板
「小田原城総構〜渋取〜」
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2023年04月30日
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