石川県で震度7を観測した能登半島地震の発生から3日目となりました。亡くなられた方々に心からのお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。
<金沢駅前>
普段は仕事に追われていますので、年末年始は毎日ブログを更新するつもりでした。しかしそのような浮ついた気分は吹き飛ばされ、自然の脅威を実感する正月となりました。
<金沢城>
2023年10月から11月にかけて、金沢城について投稿させて頂きました。今回の地震で石垣の一部が崩れてしまったという話を耳にしました。それはそれで残念ですが、全ては人の命、暮らしがあってのこと。石垣の復旧は先の話で良いと思います。
あまり気の利いたことも言えませんが、またぜひ北陸を旅したいと思っている私にとって、そこで暮らす人たちの平穏が、一日も早くもどってくることが一番の望みです。ただの城好き会社員ですが、そう強く願っております。
2024年1月3日
2024年01月03日
2024年01月01日
2024年(令和6年)の幕開け
今年は辰年ということで、大雪の米沢で撮影した上杉謙信の軍旗を掲げてブログをスタートさせて頂きます。
<懸かり乱れ龍>かかりみだれりゅう
龍の一文字。この流れるような字体の龍は「懸かり乱れ龍」と呼ばれています。
越後の龍と呼ばれた謙信の旗ですから、龍そのものを指していると長らく思っていました。ただ、この文字に込められた本当の意味は不動明王だそうです。謙信の軍旗としてもうひとつ有名なのが「毘」の一文字を記した旗。これはそのまま毘沙門天を表しています。
不動明王と毘沙門天を掲げる
謙信はどのような境地だったのでしょうね
<上杉家御廟所>うえすぎけごびょうしょ
軍旗は上杉家の廟所で撮影したものです
<歴代藩主>
雪に埋もれていますが、謙信のあとを継いだ上杉景勝を筆頭に、米沢藩の歴代藩主の墓が勢ぞろいしています。
<謙信の墓>
廟所の中央は謙信の墓所です。越後の龍は米沢に埋葬されました。
新たな歳となりました。ここ数年続いた新型コロナウィルスの影響はやや緩和されていますが、まだまだ油断はできません。政治・経済、その他諸々、国内だけでもいろんな問題を抱えていますが、世界の情勢はもっと不安定です。こんな弱小ブログで、それに対してどうこう言うつもりもありませんが、せめて自分の手の届く範囲内は、どう振舞えば今よりマシになるのかを考えていきたいと思います。
不動明王は迷いや煩悩を絶ち切る道を示してくれる神です。
2024年1月 元旦 辰年
■画像:上杉家御廟所
[山形県米沢市御廟]
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<懸かり乱れ龍>かかりみだれりゅう
龍の一文字。この流れるような字体の龍は「懸かり乱れ龍」と呼ばれています。
越後の龍と呼ばれた謙信の旗ですから、龍そのものを指していると長らく思っていました。ただ、この文字に込められた本当の意味は不動明王だそうです。謙信の軍旗としてもうひとつ有名なのが「毘」の一文字を記した旗。これはそのまま毘沙門天を表しています。
不動明王と毘沙門天を掲げる
謙信はどのような境地だったのでしょうね
<上杉家御廟所>うえすぎけごびょうしょ
軍旗は上杉家の廟所で撮影したものです
<歴代藩主>
雪に埋もれていますが、謙信のあとを継いだ上杉景勝を筆頭に、米沢藩の歴代藩主の墓が勢ぞろいしています。
<謙信の墓>
廟所の中央は謙信の墓所です。越後の龍は米沢に埋葬されました。
新たな歳となりました。ここ数年続いた新型コロナウィルスの影響はやや緩和されていますが、まだまだ油断はできません。政治・経済、その他諸々、国内だけでもいろんな問題を抱えていますが、世界の情勢はもっと不安定です。こんな弱小ブログで、それに対してどうこう言うつもりもありませんが、せめて自分の手の届く範囲内は、どう振舞えば今よりマシになるのかを考えていきたいと思います。
不動明王は迷いや煩悩を絶ち切る道を示してくれる神です。
2024年1月 元旦 辰年
■画像:上杉家御廟所
[山形県米沢市御廟]
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タグ:山形への旅
2023年12月31日
熊野大社(南陽市)直江兼続も関わった東北の伊勢
2023年の晩秋、東北の伊勢とも呼ばれる山形県南陽市の熊野大社へ行ってきました。
<熊野大社>くまのたいしゃ
和歌山県の熊野三山、長野県の皇大神社とともに、日本三熊野のひとつとされています
熊野大社は806年(大同元年)に平城天皇の勅命で再建されたと伝わる歴史ある神社です。長い歴史のなかには、米沢藩の礎を築いた重臣・直江兼続が大旦那となり、社殿の修復が行われたこともありました。これが1604年(慶長9年)のお話。主である上杉景勝が、徳川家康を敵に回した代償として、会津120万石から米沢30万石に減封された僅か3年後の話です。
上杉家は所領を大幅に減らされながら、家臣の解雇はしませんでした。30万石は決して少ない石高ではありませんが、ピーク時の僅か4分の1です。そんな苦しい状況にあっても、兼続にとって熊野大社への支援は欠かせないことだったのでしょう。
慶長9年の御宮建立棟札に「大旦那直江山城守」の記録が残されているそうです。
ちなみに
熊野大社への支援では、あの伊達政宗も名を連ねています。既に仙台藩主となっており、上杉家とはまだ対立する関係でしたが、政宗は米沢の出身であり、古くからの聖地に思いがあったのではないでしょうか(あくまで個人の想像です)。
<南陽市宮内>
熊野大社の所在地は南陽市宮内。地名が熊野大社の神域に由来することは明らかですね。南陽市はかつての米沢藩の一部。ここから数百メートルのところには、上杉配下の城がありました。守っていたのは家臣の尾崎氏(泉氏)。この尾崎氏は直江兼続の母(蘭子)、つまり父・樋口惣右衛門の妻の実家です。兼続にはこういったご縁もあったわけですね。
<大銀杏>
参道の入口には樹齢900年を超えるといわれる大イチョウ。山形県指定の天然記念物です。私の訪問は11月で、ちょうど見頃でした。源義家の家臣・鎌倉権五郎景政が植えたと伝わりますので、平安時代後期からずっとここに佇んでいるわけですね。ということは、社殿の修復に尽力した直江兼続も見上げたということでしょう。
<石段>
俗世と切り離された別世界へ導かれているようです
<拝殿>
荘厳の拝殿。漂う空気が違いますね。立派な茅葺屋根は平成の大規模改修により、かなり新しく映ります。
<拝殿正面>
熊野大社は上杉家の居城である米沢城の東北にあたることもあり、鬼門の鎮守として大切にされました。正式名称は熊野神社ですが、一般には熊野大社と呼ばれています。
直江兼続を手本として改革に挑み、米沢藩中興の祖となった上杉鷹山も、熊野大社を崇敬し、社殿他の再建に関わったそうです(1778年)。
ところで
<三羽のうさぎ>
本殿裏側のこの見事な彫刻には、うさぎが三羽いるそうです。三羽すべてを見つけると、願い事が叶うとのこと。熱心な方は二羽目まではみつけるそうですが、三羽目が難しいのだそうです。しかも、見つけても人に教えてしまうとご利益はないそうです。
秘密にする以前に
私は一羽しか見つけられませんでした。しかも、周りの人のひそひそ話を耳にして見つけただけです。
<結うさぎ>ゆわいうさぎ
三羽のうさぎにちなんだ置物。境内でおみくじ付きの兎も購入できます
兎年の2023年もあとわずかです。
大晦日になると、来年は良くなりますようにと願いますが、今年も大した成果はありませんでした。個人的にも、そして世の中も。
大それたことを願うつもりはありませんが、苦しい状況に立ち向かって生きた先人たちを見習って、少しずつマシにしていく一年を始めたいと思います。
<熊野大社の鐘>
拙ブログは2024年も続けていきますので、宜しくお願い致します。
<拝殿の龍>
2023年(令和5年)12月31日
お城巡りランキング
■参考
・現地説明板(熊野大社)
・Wikipedia:2023/12/31
・熊野大社HP
https://kumano-taisha.or.jp/
<熊野大社>くまのたいしゃ
和歌山県の熊野三山、長野県の皇大神社とともに、日本三熊野のひとつとされています
熊野大社は806年(大同元年)に平城天皇の勅命で再建されたと伝わる歴史ある神社です。長い歴史のなかには、米沢藩の礎を築いた重臣・直江兼続が大旦那となり、社殿の修復が行われたこともありました。これが1604年(慶長9年)のお話。主である上杉景勝が、徳川家康を敵に回した代償として、会津120万石から米沢30万石に減封された僅か3年後の話です。
上杉家は所領を大幅に減らされながら、家臣の解雇はしませんでした。30万石は決して少ない石高ではありませんが、ピーク時の僅か4分の1です。そんな苦しい状況にあっても、兼続にとって熊野大社への支援は欠かせないことだったのでしょう。
慶長9年の御宮建立棟札に「大旦那直江山城守」の記録が残されているそうです。
ちなみに
熊野大社への支援では、あの伊達政宗も名を連ねています。既に仙台藩主となっており、上杉家とはまだ対立する関係でしたが、政宗は米沢の出身であり、古くからの聖地に思いがあったのではないでしょうか(あくまで個人の想像です)。
<南陽市宮内>
熊野大社の所在地は南陽市宮内。地名が熊野大社の神域に由来することは明らかですね。南陽市はかつての米沢藩の一部。ここから数百メートルのところには、上杉配下の城がありました。守っていたのは家臣の尾崎氏(泉氏)。この尾崎氏は直江兼続の母(蘭子)、つまり父・樋口惣右衛門の妻の実家です。兼続にはこういったご縁もあったわけですね。
<大銀杏>
参道の入口には樹齢900年を超えるといわれる大イチョウ。山形県指定の天然記念物です。私の訪問は11月で、ちょうど見頃でした。源義家の家臣・鎌倉権五郎景政が植えたと伝わりますので、平安時代後期からずっとここに佇んでいるわけですね。ということは、社殿の修復に尽力した直江兼続も見上げたということでしょう。
<石段>
俗世と切り離された別世界へ導かれているようです
<拝殿>
荘厳の拝殿。漂う空気が違いますね。立派な茅葺屋根は平成の大規模改修により、かなり新しく映ります。
<拝殿正面>
熊野大社は上杉家の居城である米沢城の東北にあたることもあり、鬼門の鎮守として大切にされました。正式名称は熊野神社ですが、一般には熊野大社と呼ばれています。
直江兼続を手本として改革に挑み、米沢藩中興の祖となった上杉鷹山も、熊野大社を崇敬し、社殿他の再建に関わったそうです(1778年)。
ところで
<三羽のうさぎ>
本殿裏側のこの見事な彫刻には、うさぎが三羽いるそうです。三羽すべてを見つけると、願い事が叶うとのこと。熱心な方は二羽目まではみつけるそうですが、三羽目が難しいのだそうです。しかも、見つけても人に教えてしまうとご利益はないそうです。
秘密にする以前に
私は一羽しか見つけられませんでした。しかも、周りの人のひそひそ話を耳にして見つけただけです。
<結うさぎ>ゆわいうさぎ
三羽のうさぎにちなんだ置物。境内でおみくじ付きの兎も購入できます
兎年の2023年もあとわずかです。
大晦日になると、来年は良くなりますようにと願いますが、今年も大した成果はありませんでした。個人的にも、そして世の中も。
大それたことを願うつもりはありませんが、苦しい状況に立ち向かって生きた先人たちを見習って、少しずつマシにしていく一年を始めたいと思います。
<熊野大社の鐘>
拙ブログは2024年も続けていきますので、宜しくお願い致します。
<拝殿の龍>
2023年(令和5年)12月31日
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■参考
・現地説明板(熊野大社)
・Wikipedia:2023/12/31
・熊野大社HP
https://kumano-taisha.or.jp/
タグ:山形への旅
2023年07月31日
2023年(令和5年)夏の米沢詣で
今年もまた米沢へ行ってきました。
<米沢城>
猛威をふるっていた新型コロナは、今年の5月に2類相当から、インフルエンザなどと同じ5類に移行しています。国内観光もかなり復活化しつつあるので、人混みのピークを避けようと思い、7月下旬の訪問にしました。今年の7月は異常なほど猛暑日が続いていますが、混むよりは暑い方がマシだろうということで。
<つばさ>
とはいえ、平日のかなり早い時間にも関わらず新幹線は混んでいました。皆さん活動的ですね。私は埼玉県民なのでここ大宮駅からスタートです。
そして
<米沢駅>
到着です。米沢牛にマスクが付けられていたこともありましたが、外してもらえたようです。よかったですね。
<駅の広告>
はい。今年も来ましたよ、慶次さん
<米沢駅改札>
あれ、今年はこんな所に甲冑が!さすがは上杉の町です。気持ちが盛り上がります。
<上杉謙信公甲冑>
米沢上杉まつり等で活躍される米沢上杉武禘式保存会が所有する上杉謙信公甲冑とのこと。ご厚意で展示されているのですね。ありがとうございます。せっかくなので細かいところまで拝見させて頂きました。
ちなみに武禘式とは、謙信が宿敵・武田信玄と対峙するため、川中島へ向かう前に行う出陣式に相当するものであり、上杉まつりの重要な行事のひとつです。
そして
<松岬神社>まつがさきじんじゃ
まずはここへ。謙信の後継者である上杉景勝が祀られている神社です。他に直江兼続や上杉鷹山も祀られています。
<米沢城本丸跡>
この日も上杉謙信の軍旗「毘」「龍」が出迎えしてくれました。何度も来ているのですが、正面から見ると、文字が裏返しになっている時の方が多いです。まさか自分で向きを変えるわけにもいかないし、この日はラッキーでした。奥に鳥居が見えていますね。ここをまっすぐ進めば謙信を祀る上杉神社です。
<上杉神社>
戦国最強の武将として語り継がれる上杉謙信が祀られています。
<松が岬公園案内>まつがさき
いつも通り松が岬公園を中心に探索したあと、今回はかなり久しぶりに、市内を歩き回りました。古地図を片手に、職人町や商人町をただただのんびりと。少し暑かったですが、時々通過する厚い雲に助けてもらいました。
<市内散策>
藩校興譲館のなごり
元細工町は細工職人の町だったことが由来
米沢上杉家の重臣・色部家屋敷跡
直江兼続の実家・樋口家屋敷跡付近の神社
公園に残る三ノ丸土塁
ここは鍛冶職人の町か
鉄砲職人には屋敷が与えられたとか
新選組局長ゆかりの地
川井小路町を経由して
むかしは暴れ川だった松川へ
方向音痴のため、同じ場所を何度も通りました。要領は悪いですが、何となく充実した散策となりました。
病を防ぐ神様
新型コロナの流行が始まって、もう3年以上になります。対応がある程度は確立され、人の移動も比較的自由に行えるようになったことは喜ばしいことですね。
ただ、私たちのコロナへの関心が薄れつつある一方で、感染者は最近また緩やかに増加傾向となっています。コロナの弱毒化を期待しつつも、油断し過ぎないようにして、今後も散策を楽しみたいと思います。
<上杉謙信像>
お邪魔致しました。ありがとうございます。
令和5年7月
お城巡りランキング
<米沢城>
猛威をふるっていた新型コロナは、今年の5月に2類相当から、インフルエンザなどと同じ5類に移行しています。国内観光もかなり復活化しつつあるので、人混みのピークを避けようと思い、7月下旬の訪問にしました。今年の7月は異常なほど猛暑日が続いていますが、混むよりは暑い方がマシだろうということで。
<つばさ>
とはいえ、平日のかなり早い時間にも関わらず新幹線は混んでいました。皆さん活動的ですね。私は埼玉県民なのでここ大宮駅からスタートです。
そして
<米沢駅>
到着です。米沢牛にマスクが付けられていたこともありましたが、外してもらえたようです。よかったですね。
<駅の広告>
はい。今年も来ましたよ、慶次さん
<米沢駅改札>
あれ、今年はこんな所に甲冑が!さすがは上杉の町です。気持ちが盛り上がります。
<上杉謙信公甲冑>
米沢上杉まつり等で活躍される米沢上杉武禘式保存会が所有する上杉謙信公甲冑とのこと。ご厚意で展示されているのですね。ありがとうございます。せっかくなので細かいところまで拝見させて頂きました。
ちなみに武禘式とは、謙信が宿敵・武田信玄と対峙するため、川中島へ向かう前に行う出陣式に相当するものであり、上杉まつりの重要な行事のひとつです。
そして
<松岬神社>まつがさきじんじゃ
まずはここへ。謙信の後継者である上杉景勝が祀られている神社です。他に直江兼続や上杉鷹山も祀られています。
<米沢城本丸跡>
この日も上杉謙信の軍旗「毘」「龍」が出迎えしてくれました。何度も来ているのですが、正面から見ると、文字が裏返しになっている時の方が多いです。まさか自分で向きを変えるわけにもいかないし、この日はラッキーでした。奥に鳥居が見えていますね。ここをまっすぐ進めば謙信を祀る上杉神社です。
<上杉神社>
戦国最強の武将として語り継がれる上杉謙信が祀られています。
<松が岬公園案内>まつがさき
いつも通り松が岬公園を中心に探索したあと、今回はかなり久しぶりに、市内を歩き回りました。古地図を片手に、職人町や商人町をただただのんびりと。少し暑かったですが、時々通過する厚い雲に助けてもらいました。
<市内散策>
藩校興譲館のなごり
元細工町は細工職人の町だったことが由来
米沢上杉家の重臣・色部家屋敷跡
直江兼続の実家・樋口家屋敷跡付近の神社
公園に残る三ノ丸土塁
ここは鍛冶職人の町か
鉄砲職人には屋敷が与えられたとか
新選組局長ゆかりの地
川井小路町を経由して
むかしは暴れ川だった松川へ
方向音痴のため、同じ場所を何度も通りました。要領は悪いですが、何となく充実した散策となりました。
病を防ぐ神様
新型コロナの流行が始まって、もう3年以上になります。対応がある程度は確立され、人の移動も比較的自由に行えるようになったことは喜ばしいことですね。
ただ、私たちのコロナへの関心が薄れつつある一方で、感染者は最近また緩やかに増加傾向となっています。コロナの弱毒化を期待しつつも、油断し過ぎないようにして、今後も散策を楽しみたいと思います。
<上杉謙信像>
お邪魔致しました。ありがとうございます。
令和5年7月
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2023年05月22日
活動を再開している2023年(令和5年)
新型コロナウイルスの影響で遠慮ぎみだった城巡りを、最近は堂々と行えるようになりました。自粛が始まったのは2020年からですから、長い長い我慢の時でした。
<上総国>かずさのくに
コロナと関係なく、城巡りは原則ひとりですが、久しぶりにお仲間の車に同乗して上総国(千葉県中央部)の城を複数訪ね歩きました。
お世話になったお仲間の愛車
むかしは城マニアではなかったお二人も、いまでは結構楽しんでいます
同じモノを私とは異なる視点で受け止めていたりするので参考になります
ひとりならやらないことに挑むこともあります
普段は全員がオフィスワーカーのため、ちょっと厳しい城巡りとなりましたが、とても充実していました。
世界中で猛威を振るった新型コロナウイルスは、まさに未知なる存在でした。感染力が異常に強く、致死率も高かったことから、連日の報道に目を離せない状態が続き、それまでの人の暮らしを大混乱に陥れました。
それが、今月からは感染症法上の位置づけがインフルエンザなどと同じ「5類」に移行。行政による外出自粛要請などの措置もなくなり、日本各地でコロナ前の活気が戻りつつあります。
まだマスクを着用している人が多い状態であり、油断は禁物ですが、このまま収束していくことを願っています。
令和5年5月
お城巡りランキング
<上総国>かずさのくに
コロナと関係なく、城巡りは原則ひとりですが、久しぶりにお仲間の車に同乗して上総国(千葉県中央部)の城を複数訪ね歩きました。
お世話になったお仲間の愛車
むかしは城マニアではなかったお二人も、いまでは結構楽しんでいます
同じモノを私とは異なる視点で受け止めていたりするので参考になります
ひとりならやらないことに挑むこともあります
普段は全員がオフィスワーカーのため、ちょっと厳しい城巡りとなりましたが、とても充実していました。
世界中で猛威を振るった新型コロナウイルスは、まさに未知なる存在でした。感染力が異常に強く、致死率も高かったことから、連日の報道に目を離せない状態が続き、それまでの人の暮らしを大混乱に陥れました。
それが、今月からは感染症法上の位置づけがインフルエンザなどと同じ「5類」に移行。行政による外出自粛要請などの措置もなくなり、日本各地でコロナ前の活気が戻りつつあります。
まだマスクを着用している人が多い状態であり、油断は禁物ですが、このまま収束していくことを願っています。
令和5年5月
お城巡りランキング
2022年08月31日
2022年の米沢詣で(本丸跡の天地人主従像)天の時・地の利・人の和
<天地人主従像>
米沢藩の初代藩主・上杉景勝と重臣・直江兼続が並んで立つ銅像。NHK大河ドラマ「天地人」の放送後に、米沢城本丸跡に設置されました。
「天地人」が放送されたのは2009年。家臣として上杉家に仕え、上杉謙信の後継者である景勝を支え続けた直江兼続の物語でした。個人的にはまだ記憶に新しいですが、もうかなりの時間が経過したようです。
<直江兼続>なおえかねつぐ
兼続の左手には「愛」の前立ての兜。当時話題になりましたね。
いまさら言うまでもありませんが、天地人、つまり「天の時・地の利・人の和」は、孟子に記されもの。戦略が成功するための3つの条件を表したものですが、これは戦に限らず、さまざまなことに当てはまるのではないでしょうか。
3つとも重要ですが、孟子によれば「人の和」が最も大切ということになります。
天の時は地の利に如かず
地の利は人の和に如かず
上杉謙信がこれを引用した言葉を残したことから、謙信亡きあとの上杉家を描いた物語のタイトルに成りえたわけですね。
<上杉謙信像>
上杉家にとって絶対的存在です
あの大河ドラマから10年以上過ぎています。当時と比べて、世の中はどうなっているのでしょうか?身の回りのことはどんどん便利になっているのに、殺伐とした話や不穏な動きが多くなったと感じざるを得ません。
天の時 地の利 人の和
むかし覚えたこの言葉が、最近になって改めて大切なことのように思えてなりません
ということで
米沢城本丸跡の景勝・兼続主従像を見て、久しぶりに天地人について考えてみたという内容でした。会社員の拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
令和4年8月
■訪問:天地人主従像
米沢城本丸跡(松が岬公園)
[山形県米沢市丸の内]
米沢藩の初代藩主・上杉景勝と重臣・直江兼続が並んで立つ銅像。NHK大河ドラマ「天地人」の放送後に、米沢城本丸跡に設置されました。
「天地人」が放送されたのは2009年。家臣として上杉家に仕え、上杉謙信の後継者である景勝を支え続けた直江兼続の物語でした。個人的にはまだ記憶に新しいですが、もうかなりの時間が経過したようです。
<直江兼続>なおえかねつぐ
兼続の左手には「愛」の前立ての兜。当時話題になりましたね。
いまさら言うまでもありませんが、天地人、つまり「天の時・地の利・人の和」は、孟子に記されもの。戦略が成功するための3つの条件を表したものですが、これは戦に限らず、さまざまなことに当てはまるのではないでしょうか。
3つとも重要ですが、孟子によれば「人の和」が最も大切ということになります。
天の時は地の利に如かず
地の利は人の和に如かず
上杉謙信がこれを引用した言葉を残したことから、謙信亡きあとの上杉家を描いた物語のタイトルに成りえたわけですね。
<上杉謙信像>
上杉家にとって絶対的存在です
あの大河ドラマから10年以上過ぎています。当時と比べて、世の中はどうなっているのでしょうか?身の回りのことはどんどん便利になっているのに、殺伐とした話や不穏な動きが多くなったと感じざるを得ません。
天の時 地の利 人の和
むかし覚えたこの言葉が、最近になって改めて大切なことのように思えてなりません
ということで
米沢城本丸跡の景勝・兼続主従像を見て、久しぶりに天地人について考えてみたという内容でした。会社員の拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
令和4年8月
■訪問:天地人主従像
米沢城本丸跡(松が岬公園)
[山形県米沢市丸の内]
2022年02月04日
閉ざされた枡形門 コロナ第6波の浜離宮
<浜離宮>
門が閉ざされているのを初めて見ました。考えようによっては貴重な経験です。
2021年の年末には1日数百だった新型コロナウイルスの新規感染者数が、あっという間に10万人を突破しました。オミクロン株は、それ以前とは比較にならない感染力のようです。猛威を振るう第6波はいつまで続くのでしょうか。
<お知らせ>
浜離宮はコロナの感染拡大防止のため臨時休園。期間は1月11日から『当面の間』とのこと
当面の間…
はい
趣旨は理解できております。
<浜離宮恩賜庭園>
徳川将軍家の庭園だったことで有名な浜離宮。正面入り口は城門そのものです。実際に江戸城の出城的な性格も有していたと考えられています。
<大手門橋>
海に架かるこの大手門橋を渡ると、待ち構えているのは石垣に囲まれた方形の区画。かつての枡形門です。今は石垣だけですが、昔は櫓門が設けられていました。
<石垣>
立派な隅石です。これだけでも見る価値があります。さぞ立派な枡形門だったのでしょうね
<閉門>
まぁもともと来るものを拒むための施設です。その役割を存分に果たしているというわけですね。ただ、閉ざされる理由が理由だけに寂しい光景です。
ということで
防ぎ手の激しい抵抗にあうわけでもなく、見えない敵のせいで退散となりました。
<帰路>
江戸時代に海を埋め立てて造った人工の島です。護岸の石垣を横目に帰路につきました
<裏門>
当然ですが、こちらも閉ざされていました
<護岸工事中>
いま防潮堤を改良工事しているとのこと。海水がここで堰き止められていました。白鷺の姿が見えます。田舎で育ったので見慣れていますが、なんだか少し物悲しく映ります。
<海面を飛ぶ白鷺>
ちょっと近寄りすぎたのか、白鷺は去っていきました
白鷺が飛ぶ姿を見るのは
幸運の兆し
そんな話を思い出しました。
本当にそうなりますように。
2022年(令和4年)2月
■訪問:浜離宮恩賜庭園
[中央区浜離宮庭園]1-1
お城巡りランキング
--------追 記--------
浜離宮については別途投稿させて頂いております。古い記事ですがよかったら覗いてみて下さい。
【画像】
【投稿】2017年11月15日
【タイトル】
海の出城・親子二代の夢の跡
→『記事へすすむ』
門が閉ざされているのを初めて見ました。考えようによっては貴重な経験です。
2021年の年末には1日数百だった新型コロナウイルスの新規感染者数が、あっという間に10万人を突破しました。オミクロン株は、それ以前とは比較にならない感染力のようです。猛威を振るう第6波はいつまで続くのでしょうか。
<お知らせ>
浜離宮はコロナの感染拡大防止のため臨時休園。期間は1月11日から『当面の間』とのこと
当面の間…
はい
趣旨は理解できております。
<浜離宮恩賜庭園>
徳川将軍家の庭園だったことで有名な浜離宮。正面入り口は城門そのものです。実際に江戸城の出城的な性格も有していたと考えられています。
<大手門橋>
海に架かるこの大手門橋を渡ると、待ち構えているのは石垣に囲まれた方形の区画。かつての枡形門です。今は石垣だけですが、昔は櫓門が設けられていました。
<石垣>
立派な隅石です。これだけでも見る価値があります。さぞ立派な枡形門だったのでしょうね
<閉門>
まぁもともと来るものを拒むための施設です。その役割を存分に果たしているというわけですね。ただ、閉ざされる理由が理由だけに寂しい光景です。
ということで
防ぎ手の激しい抵抗にあうわけでもなく、見えない敵のせいで退散となりました。
<帰路>
江戸時代に海を埋め立てて造った人工の島です。護岸の石垣を横目に帰路につきました
<裏門>
当然ですが、こちらも閉ざされていました
<護岸工事中>
いま防潮堤を改良工事しているとのこと。海水がここで堰き止められていました。白鷺の姿が見えます。田舎で育ったので見慣れていますが、なんだか少し物悲しく映ります。
<海面を飛ぶ白鷺>
ちょっと近寄りすぎたのか、白鷺は去っていきました
白鷺が飛ぶ姿を見るのは
幸運の兆し
そんな話を思い出しました。
本当にそうなりますように。
2022年(令和4年)2月
■訪問:浜離宮恩賜庭園
[中央区浜離宮庭園]1-1
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--------追 記--------
浜離宮については別途投稿させて頂いております。古い記事ですがよかったら覗いてみて下さい。
【画像】
【投稿】2017年11月15日
【タイトル】
海の出城・親子二代の夢の跡
→『記事へすすむ』
2021年11月23日
2021年(令和3年)丑年の米沢詣で
新型コロナウイルスの新規感染者数が激減した2021年11月初旬、毎年恒例にしている米沢へ行ってきました。といっても日帰りです。
<米沢駅構内>
あら、牛さんの場所が違うな
いも米沢駅のホームで出迎えてくれる米沢牛が、改札付近に引っ越していました。しかもマスクをしています。
<2020年11月撮影>
もともとはこの場所でした。『つばさ』を下車して米沢で最初に会うのがこの牛さん。いつもそのパターンでした。
あまり意識していませんでしたが、今回ブログにまとめるにあたって改めてよく見ると、米沢牛の幟には『米沢牛銘柄推進協議会』と記されています。漠然と観光協会のような団体が設置していると思っていましたが、ちょっと違うようです。米沢周辺の牛が全て米沢牛を名乗れるわけではなく、飼育に一定の要件を満たした上で、この協議会が認定した黒毛和牛だけが米沢牛とされています。味そのものだけでなく、こういった厳密さの裏付けがあるからこそ、三大和牛の一つに数えられるのですね。
<米沢牛>
後ろ姿も立派
ちなみに
三大和牛というのは定義がやや曖昧で、米沢牛と神戸牛(兵庫県)・松阪牛(三重県)・近江牛(滋賀県)の4銘柄が、各々で三大和牛を名乗っているとのこと。どれも名の知れた銘柄ですし、四大和牛とした方がすっきりしますね(事情も察しないで適当に言っています)。
さてさて
それではいつもの場所へ
<米沢城本丸跡>
毎年来ているので、活動的に観て回るというわけでもなく、休養のつもりで訪問しました。
コロナの影響で何かと行動が制約され、気分や体調が優れないという方、結構多いのではないでしょうか。災難が直接降りかからなかった人でも、漠然とした不安にいつも晒されていたら、知らず知らずのうちに本来の調子が出なくなっていることもありますよね。
そんな自分をちょっとリセットしたい。読書でも映画鑑賞でもなんでも良いのですが、外出自粛がある程度は許されるようになったいま、日常とは異なる場所へ移動してしまうという方法もあるような気がします(もちろん人によります)。温泉旅行やグルメ旅行、あるいは久しぶりに故郷を訪ねるとか、リセットできる環境は人により異なりますね。私の場合、それがここ米沢というだけです。
<謙信公御堂跡>
米沢城下を見下ろせる場所。かつて上杉謙信の遺骸を納めた御堂があった場所です。
<語り継がれる人たち>
厳しい環境下で必死に生き抜いた偉人たちゆかりの地。人が長く語り継ぐには訳があり、それを感じるためだけに今年も足を運びました。
今年は昨年以上にコロナウイルスに起因するストレスが蓄積される一年だったのではないでしょうか。夏頃の爆発的な感染拡大と比較すると、もう第6波は来ないで、このまま収束するのではないかという期待も膨らみます。しかし、なぜ新型コロナの新規感染者数が激減したのかさえ明確になっていません。引き続き一定の緊張を保ち、その時を待ちたいと思います。
<米沢駅>
また来ますよ
<米沢牛>
次回はマスクが外されてますように!
令和3年(丑年)11月
お城巡りランキング
<米沢駅構内>
あら、牛さんの場所が違うな
いも米沢駅のホームで出迎えてくれる米沢牛が、改札付近に引っ越していました。しかもマスクをしています。
<2020年11月撮影>
もともとはこの場所でした。『つばさ』を下車して米沢で最初に会うのがこの牛さん。いつもそのパターンでした。
あまり意識していませんでしたが、今回ブログにまとめるにあたって改めてよく見ると、米沢牛の幟には『米沢牛銘柄推進協議会』と記されています。漠然と観光協会のような団体が設置していると思っていましたが、ちょっと違うようです。米沢周辺の牛が全て米沢牛を名乗れるわけではなく、飼育に一定の要件を満たした上で、この協議会が認定した黒毛和牛だけが米沢牛とされています。味そのものだけでなく、こういった厳密さの裏付けがあるからこそ、三大和牛の一つに数えられるのですね。
<米沢牛>
後ろ姿も立派
ちなみに
三大和牛というのは定義がやや曖昧で、米沢牛と神戸牛(兵庫県)・松阪牛(三重県)・近江牛(滋賀県)の4銘柄が、各々で三大和牛を名乗っているとのこと。どれも名の知れた銘柄ですし、四大和牛とした方がすっきりしますね(事情も察しないで適当に言っています)。
さてさて
それではいつもの場所へ
<米沢城本丸跡>
毎年来ているので、活動的に観て回るというわけでもなく、休養のつもりで訪問しました。
コロナの影響で何かと行動が制約され、気分や体調が優れないという方、結構多いのではないでしょうか。災難が直接降りかからなかった人でも、漠然とした不安にいつも晒されていたら、知らず知らずのうちに本来の調子が出なくなっていることもありますよね。
そんな自分をちょっとリセットしたい。読書でも映画鑑賞でもなんでも良いのですが、外出自粛がある程度は許されるようになったいま、日常とは異なる場所へ移動してしまうという方法もあるような気がします(もちろん人によります)。温泉旅行やグルメ旅行、あるいは久しぶりに故郷を訪ねるとか、リセットできる環境は人により異なりますね。私の場合、それがここ米沢というだけです。
<謙信公御堂跡>
米沢城下を見下ろせる場所。かつて上杉謙信の遺骸を納めた御堂があった場所です。
<語り継がれる人たち>
厳しい環境下で必死に生き抜いた偉人たちゆかりの地。人が長く語り継ぐには訳があり、それを感じるためだけに今年も足を運びました。
今年は昨年以上にコロナウイルスに起因するストレスが蓄積される一年だったのではないでしょうか。夏頃の爆発的な感染拡大と比較すると、もう第6波は来ないで、このまま収束するのではないかという期待も膨らみます。しかし、なぜ新型コロナの新規感染者数が激減したのかさえ明確になっていません。引き続き一定の緊張を保ち、その時を待ちたいと思います。
<米沢駅>
また来ますよ
<米沢牛>
次回はマスクが外されてますように!
令和3年(丑年)11月
お城巡りランキング