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2024年02月03日

いざ鎌倉への道(東村山市)鎌倉古街道跡

所沢市の古戦場へ向かう途中で、こんな標柱に足が止まりました。

<標柱>
signpost-Kamakurakodo.JPG
何となく嬉しい標柱でした。この日は、上州から鎌倉街道を南下して鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞を意識しての訪問だったので。

<古道>
Ancient-Road-Kamakurakaido-Higashimurayama.JPG
東村山駅付近(南側)から府中街道を北上すると、こんな光景が目に入ります。この付近までは右側の道路(府中街道)が鎌倉街道ということになりますが、ここから先は左手の細い道になります。先ほどの標柱もここを入ってすぐのところで撮影しました。

関東統治のため、鎌倉幕府は諸国と鎌倉を結ぶ街道を整備しました。そのうちのひとつ、鎌倉街道上道(かみつみち)は、武蔵国をひたすら北上するように整備された街道です。その通過点である東村山でも、南北に貫くように道が通っています。

<鎌倉古街道>
Kamakurakodo- Higashimurayama.JPG
鎌倉からみれば北上する道ですが、鎌倉へ向かう側にしてみれば南下する道ですね。そのまま新田軍の進軍ルートとなりました。幕府のめだてはなく、幕府を倒すためとなりましたが「いざ鎌倉」への道です。

当たり前のことですが、この時代の関東の中心は小田原でも江戸でもなく、鎌倉なんですよね。

■訪問:鎌倉古街道跡
[東京都東村山市本町]2丁目


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タグ:鎌倉街道
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東京の大坂(北区)岩槻街道から板橋街道への抜け道

北区の赤羽駅近くを歩いていたら、こんな坂道と出会いました。

<大坂>おおさか
Osaka-Kita-Ku-Tokyo.JPG
大坂…東京の北区で?

<標柱>
Osaka-Signpost.JPG
標柱に説明が記されています。そのまま抜粋させて頂きます。

『この坂は、赤羽駅西口から赤羽台団地へ登る坂で、古くから往来の多い坂です。昔は、赤羽から上の台に登り、旧板橋街道に抜ける坂でした。大坂の名は、その昔「小坂」と呼ばれた清瀧不動の石段に対するものとして付けられました。ここは、狸にまつわる民話が残っているところで、狸坂とも呼ばれます。また政右衛門坂と呼ぶ人もいます。』

小坂と呼ばれた石段に対して、大坂と呼ばれたわけですね納得。いわゆる大阪とは無関係でした。清瀧不動の石段がどこを指すのか分かりませんでしたが、きっとそう遠くないところだったのでしょう。

そして
この坂は旧板橋街道に抜ける道とのこと。私が歩いていたのは中世の岩槻街道です。江戸時代に、将軍が日光に参拝する時に使った街道(日光御成道)でもあります。今回見つけた急な坂道は、そこからそれて板橋街道へ抜ける道ということのようです。

板橋といえば中山道の宿場ですね。板橋街道の正確な道筋がわかりませんが、岩槻街道と板橋宿のある中山道を結ぶ外環道的な街道だったのでしょう。大坂はそこへつながる坂道。わざわざ赤羽の台地を登っていくわけですから、近道だったと受け止めることにしました。

それと
狸にまつわる民話から狸坂とも呼ばれるとのこと。

<坂の途中の稲荷神社>
Inari-Shrine-Akabanenishi.JPG
狐は見つけましたが、狸と縁のありそうなものは見当たりませんでした。狐も狸もむかしは人の暮らしのそばにいた動物。どんな民話なのでしょうね。調べましたが分かりませんでした。政右衛門さんは名前からして侍と思われますが、こちらも手がかりがなく、分かりませんでした。

ということで
中途半端ではありますが、昔の岩槻街道を歩いていたら、脇に急勾配の坂道を見つけ、そこが古くからある板橋街道に抜ける脇道だったというお話でした。拙いブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。

<古道の坂道>
Osaka-Kita-Ward-Tokyo.JPG
きっと人の行き来の多い坂道だったのでしょう

■訪問:大坂
(別名:狸坂 政右衛門坂)
[東京都北区赤羽西]1丁目

■出典
現地標柱説明文
(東京都北区教育委員会)

タグ:岩槻街道
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2023年12月24日

中山道鴻巣宿 将軍ゆかりの宿場町

<鴻巣本陣跡>こうのすほんじんあと
Post-Station-Center-Konosu.JPG
鴻巣宿の本陣跡です。中山道六十九次のうち、日本橋から数えて7番目の宿場でした。

WIKIさんによれば、江戸末期(1843年)の調べで、宿場内の人口は2千人以上、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠58軒とのこと。69ある中山道の宿場のなかで、比較的大きい方だったようです。

<旧中山道>
Cityscape-Post-Station-Konosu.JPG
この街並みは宿場として栄えたなごりです。鴻巣宿はもともと北本市にあり、中山道が整備された時に、北本宿を鴻巣宿として移設してできたとのこと。

また
鴻巣宿は将軍家ゆかりの宿場でもあります。徳川家康に始まり、秀忠、家光が鷹狩りの際に利用した鴻巣御殿もありました。

<鴻巣御殿跡>
ToshoguKonosu.JPG
Explanation-Board-Toshogu-Shrine-History.JPG
地元豪族所有の土地に建てられた将軍の為の御殿。跡地には東照宮が祀られました

<御成町>
Related-to-Tokugawa.JPG
将軍が御成りになった街です

<勝願寺>
Shoganji-Nioumon-Kounosu.JPG
Shoganji-Kounosu.JPG
境内のあちらことらに三つ葉葵の紋。徳川ゆかりの寺院です。


鴻巣宿は桶川宿と熊谷宿の間に位置し、将軍ゆかりの宿場であるとともに、忍行田道・松山道といった街道の分岐点でもあました。交通の要衝として栄えた鴻巣は、古くから雛人形の生産地としても知られています。

<本陣跡の標石>
Post-Station-Konosu.JPG
長きに渡って重要な役割を担った街なのです

私を含めた埼玉県民にとって、鴻巣は運転免許センターのある街です。用事だけ済ませて帰ってしまう方が多いと思いますが、せっかくですので、長くて深い鴻巣の歴史に触れてみては如何でしょうか。

拙ブログがそのきっかけになれば幸いです。

■訪問:鴻巣本陣跡の碑
[埼玉県鴻巣市本町]4丁目6-21


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■参考
Wikipedia:2023/12/24



-------- 追 記 --------
宿場と直接関係しませんが、鴻巣は古くから源氏ゆかりの地でした。
<伝源経基館跡>
Castle-Ruins-Konosu.JPG
武蔵介となって関東へ下った源経基が館を構えたのは現在の鴻巣市でした

<大野神社>
Ono-Shrine-Konosu.JPG
古くは源仕(みなもとのつこう)が社を造営したと伝わります

また近年では花火も有名です
<鴻巣駅前>
In-front-of-Konosu-Station.JPG
四尺玉打ち上げで元世界一(重さ)
タグ:中山道
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2023年09月05日

雑木林の古道を歩く(さいたま市)鎌倉街道跡

さいたま市北区の鎌倉街道跡を訪ねました。

<鎌倉街道>
Kamakurakaido-Kitaku-Saitamashi.JPG
ここは大宮台地の雑木林。鎌倉街道跡と伝わる土の道が数百メートル続きます。

<古道>
Kamakurakaido-Saitama.JPG
良い雰囲気ですね。すぐ近くまで宅地化が進んでいますが、こういう自然を、そして鎌倉街道跡として確保して頂けるとありがたいですね。

<台地の縁>
Sanganshimizu-Ryokuchi-kodou.JPG
雑木林の西側は低地になっているようです。街道は大宮台地の縁を通っていたことになります。

<脇道>
Sanganshimizu-Wooded-path.JPG
脇道があるので低地へ降りてみることにしました。

<鴨川沿いの低地>
Kamogawa-lowland.JPG
台地を降りて鴨川沿いの低地へ。川の対岸は上尾市になります。

<湿地帯>
SanganshimizuRyokuchi-Saitama.JPG
Sanganshimizu-Ryokuchi.JPG
先ほどの雑木林と街道を含め、この付近一帯が緑地として整備・保護されています。

<斜面>
Sanganshimizu-Kamakurakaido.JPG
鴨川が長年かけて削った台地の斜面を撮影。この地は台地から溢れ出る水の恩恵をうけ、湧水地としても知られています。鎌倉街道を行き交う人が、足を止めてひと休みする場所だった可能性もありますね。あの太田道灌が、狩りの途中で立ち寄ったという逸話も残されています。

一般的に、街道は足元の悪い低地をなるべく避け、台地上や尾根道に整備される方が多いですが、低地のこの道が古道ではないかという話もあるそうです。


ところで
そもそも鎌倉街道とは、鎌倉を起点に放射状に延びる中世期の街道をいいます。一般的には基幹道として上道(かみつみち)・中道(なかつみち)・下道(しもつみち)と呼ばれる3本の道筋を指す場合が多いですね。

今回訪問の付近は、どれにも該当しません。

支道?

鎌倉街道と呼ばれる故道は、3ルート以外にも存在しています。今回訪問の鎌倉街道は羽根倉道と呼ばれる道筋で、所沢からこの付近を経由して加須へ至ります。もう少し具体的に言うと、所沢で鎌倉街道上道から分かれ、北東に進んだ先で鎌倉街道中道と合流します。

よって
一般的な解釈だと、鎌倉街道の上道と中道を繋ぐ道ということになりますね。

<羽根倉道>はねくらみち
Kamakurakaido-hanekura.JPG
枝道と受け止めるのが妥当のようですが、鎌倉街道の定義にも諸説あるようなので、ここが基幹道だった可能性だって、絶対ないとは言えません(よね?)

以上、さいたま市北区の鎌倉街道跡のご紹介でした。
最後のひとことは素人の妄想ですので、その程度に受け止めて下さい。いずれにせよ、中世からあった道です。

<いにしえの道>
Saitamacity-The-road-to-Kamakura.JPG
古道の原風景を思わせる素敵な場所でした

■訪問:
鎌倉街道跡[羽根倉道]

 (三貫清水緑地内)
[埼玉県さいたま市北区奈良町]

■参考及び出典
・Wikipedia:2023/9/5
・さいたま市HP 
  北区プロフィール>歴史>
 「北区の歴史、伝統と文化」

https://www.city.saitama.jp/kita/001/003/001/p019515.html


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タグ:鎌倉街道
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2023年04月29日

東海道の見附跡(小田原市)江戸口見附のなごり

<江戸口見附跡>
Oadawara-Edoguchi-Mitsuke.JPG
ここは東海道に設けられた見附の跡です

<東海道>
Oadawara-Toukaido.JPG
いうまでもなく、東海道は江戸の日本橋から京の三条大橋に至る街道。ここは江戸から数えて9番目の宿場、そして城下町としては最初の宿場となる小田原です。

<おだわら まちしるべ>
Oadawara-Toukaido-Sannouguchi.JPG
標柱の側面に『山王口』というタイトルで説明が記されています。これによれば『山王口は「江戸口見附」とも呼ばれ、小田原城から江戸に向かう出入り口であるとされています。また、ここは東海道小田原宿の入口でもあり、江戸日本橋から山王口までは、約八十三キロの距離となっています。』とのこと。山王口は北条氏の時代の呼び方かと思っていましたが、江戸口見附とほぼ同義語として扱われていると受け止めることにします。この地点で日本橋から『約八十三キロ』ですから約21里ということですかね。

<現地説明板>
Oadawara-Edoguchi-Mitsuke-Guide-Plate.JPG
見附跡には立派な説明板が設置されています。少し長いので、抜粋しながら要約させて頂きます。『』内は原文のままです。

まず、小田原北条氏が、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めに対し、総構を築いたことが記されています。『周囲約9kmの堀や土塁を構築し、 城のみならず城下町までを取り込んだ戦国期最大級の城郭を築きました。』とのこと。この付近は総構の最南端で、小田原の役の時は、徳川家康の部隊が、天然の堀である『山王川の対岸に陣取って』いました。かなり重要な場所だったようですね。実際に、徳川軍の一部(井伊直政)が川を越えてきたため、戦闘に至っています。

さて
その徳川が天下を取ったあとの話になります。
『江戸時代には、小田原城下に入る東海道の東の出入口として、西の板橋口及び甲州道の井細田口とあわせて、城下を警護する重要な門としての役割を担っていました。
 江戸方面から来た場合、上図(文久図)のように門の土塁を一旦右に曲がり さらに左に折れてから城下に入る形になっています。また、入るとすぐ右手(北側)には番所があり、通行人の監視などに 当っていました。』


<文久図>
Oadawara-Edoguchi-Mitsuke-Guide-Map.JPG
周囲約9kmの総構え

<江戸口見附付近を拡大>
Oadawara-Edoguchi-Mitsuke-Map.JPG
見附では道がクランク状になっています。いわゆる「喰違」の構造ですね。そして見張りの番所も設けられていました。城好きが見附と聞くと城門をイメージしますが、街道の見附も同じですね。


小田原には北条氏が築いた町ぐるみの巨大な城郭がありましたので、もともと多くの人で賑わう場所でした。そんな城下への入口である江戸口見附は、関所とは別のいわば検問所であり、行きかう人を監視する重要な役割を担っていました。

Historic-Spot-Oadawara-Edoguchimitsuke.JPG
今は静かな見附の跡

■訪問:江戸口見附跡
[神奈川県小田原市浜町]2丁目

■参考及び出典
・現地説明板
「江戸口見附跡」
・小田原宿標柱
「おだわらまちしるべ【山王口】」



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タグ:東海道
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2022年11月23日

岩瀬宿のなごり(北陸街道)北前船寄港地

富山市にお邪魔する機会があったので、海沿いの宿場跡を訪ねてみました。

<岩瀬の町並み>
twitter-Isuke-Iwase.jpg
雰囲気のある街並みです

■北前船寄港地・街道の宿場■
岩瀬は神通川河口に位置し、北前船の重要な寄港地として栄えた町です。同時に、北陸街道の宿場でもありました。北陸街道は新潟県(越後)から富山県(越中)や石川県(加賀)を経由して滋賀県(近江)へと繋がる街道。この付近では、内陸を南下して富山城下へ直接繋がるルートと、海岸線を西に行くルートの二手に分かれていました。いうまでもなく、岩瀬は後者の街道沿いということになります。

街道・海路、両方に恵まれた場所だったわけですね。

<岩瀬運河>
Iwase-Unga.JPG
この運河の先は日本海。神通川の河口でもあります。

かつて岩瀬には加賀藩の年貢米を貯蓄するための蔵が設けられ、廻船問屋が軒を並べていたそうです。明治の大火で多くの建物が焼失してしまったそうですが、むかしの面影をいまも漂わせる町並みが維持されています。

<旧森家住宅>
Iwase-Morike.JPG
こちらは岩瀬の有数の廻船問屋・森家の住宅

<旧馬場家住宅>
Iwase-Babake.JPG
こちらも岩瀬を代表する廻船問屋の家です。馬場家、米田家、森家、畠山家、宮城家を岩瀬の五大家と呼ぶそうです。

<岩瀬銀行>
twitter-Isuke-Iwasebank.jpg
こちらは町並みに調和している現役の北陸銀行岩P支店。かつての岩瀬銀行本店です。岩瀬銀行?いかに繁栄したか伝わってくるようですね。

<北前船のモニュメント>きたまえぶね
merchant-ship.JPG
先ほどの森家住宅付近に設置されているモニュメント。北前船は蝦夷地(北海道)とも海路で繋がっていました。行きは本州から米などを、帰りは北海道から海の幸を運びました。行きと帰りの両方で儲けたということになります。北前船は荷物を預かって運送費を得るのではなく、船主自体が商品を買いとり、それを販売することで大きな利益を得ていました。


そして
ここ岩瀬には、富山県を代表する日本酒「満寿泉」の酒造所もあります

<桝田酒造店>
iwase-sakagura.JPG
twitter-Isuke-Sakagura.jpg
ルーツは北海道(旭川)のようですが、明治には既にこの地で創業していました。昔の雰囲気を漂わせる岩瀬に蔵を構えている。素敵ですね。

ということで
駆け足で通り過ぎたに過ぎませんが、北前船寄港地にして北陸街道の宿場だった岩瀬の雰囲気を、少しだけ味わったというお話でした。

最後に
<東岩瀬駅休憩所>
twitter-Isuke-Higashi-Iwase.jpg
こちらは畳にほっこりした駅の待合室(休憩所)です。かつての駅舎とのこと。足が棒になっていたので、5分ほど座らせてもらいました。ありがとうございます。

<旧東岩瀬駅ホーム>
higashiiwase-station-platform.JPG
このホームは現役ではありませんが、何となく心が和みました

以上です。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。

■訪問:岩瀬浜〜東岩瀬
[富山県富山市岩瀬町付近]

<富山港線>
Iwasehama.JPG
岩瀬へは富山駅から富山港線を利用すると便利です。画像は岩瀬浜駅(終点)。

■参考及び出典
現地説明板(森家住宅)
Wikipedia:2022/11/23



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タグ:北陸街道
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2022年11月05日

板橋宿のなごり(中山道)

中山道六十九次のうち日本橋から数えて最初の宿場である板橋宿を訪ねました。

Itabashi-syuku-Explanation-board.JPG


■ 板橋宿 ■いたばししゅく
板橋宿という呼び名は実は総称で、上宿・中宿・下宿の3つの宿場で構成されていました。かなり大雑把に位置を説明すると、JR板橋駅付近から都営三田線の板橋本町駅付近までがかつての板橋宿です。一番北側が上宿となりますが、これは中山道の経路で最も京に近いからです。

<JR板橋駅西口>
itabashi-stone-monument.JPG
板橋駅の西口駅前広場で撮影。この日のスタート地点です。

<国道17号>
Route17-nakasendo.JPG
現在の中山道(国道17号)に出ました。旧中山道はこの道の東側です。

<旧中山道>
oldnakasendo-1.JPG
oldnakasendo-2.JPG
かつての宿場らしい雰囲気が漂う場所に到着しました。このまま南北に長い商店街を北に向かいます。

<案内板>
oldnakasendo-information.JPG
oldnakasendo-information-map.JPG
東光寺・観明寺といった街道沿いの寺院が記されていますが、ひときわ目をひくのは宿場の東側の加賀藩下屋敷ですね。21万坪という広大な敷地です。さすがは加賀百万石。板橋には今でも加賀という地名が残っています。

この日は加賀藩下屋敷跡へは足を延ばしませんでしたが、加賀藩前田家がこの地を拠点としたなごりを少しご紹介します。

<東光寺>
itabashi-tokoji.JPG
先ほどの場所から少し南へ戻って東光寺を訪問。ご本尊は阿弥陀如来。現地説明板によれば延徳3年(1491)に入寂した天誉和尚が開山とのこと。歴史ある寺院です。

<宇喜多秀家供養塔>
itabashi-ukita-hideie.JPG
境内にある宇喜多秀家供養塔。石塔には秀家卿と刻まれています。関ヶ原で敗れ流罪となったため墓は八丈島ですが、秀家の妻が前田利家の娘であったことから、前田家ゆかりのここ板橋に供養塔が建てられました。

つづいて

<観明寺>かんみょうじ
itabashi-kanmyoj-gate.JPG
創建が室町時代と伝わる真言宗寺院。この山門は、板橋宿お隣の加賀藩下屋敷の裏門が移設されたものと伝わります。

<本堂>
itabashi-kanmyoj-main-hall.JPG
本尊の聖観音立像は12世紀頃の作とのこと

<境内の稲荷社>
itabashi-kanmyoj-inari.JPG
こちらの稲荷社は、もともとは加賀藩下屋敷内に祀られていました。明治になって遷されたそうです。

加賀前田家との深いつながりが伝わってきますね。せっかく立ち寄らせて頂いたので、観明寺さんの境内の古い庚申塔もご紹介させて頂きます。

<観明寺寛文元年庚申塔>
itabashi-kanmyoj-Koshinto.JPG
itabashi-kanmyoj-Koshinto-Explanation-board.JPG
こちらが観明寺境内の庚申塔です。寛文元年(1661年)に造立されたものとのことです。

<青面金剛像>しょうめんこんごうぞう
kanmyoj-Koshinto.JPG
説明板によれば青面金剛像が彫られたものとしては都内で最古とのことです。


さて
旧中山道をもう少し進みます

<平尾脇本陣豊田家跡>
itabashi-wakihonjin-ato.JPG
下宿(平尾宿)の脇本陣跡。この地はその役割を担っていた豊田市右衛門の屋敷跡です。板橋で新政府軍に処刑される近藤勇が幽閉されていた場所でもあります

下宿を出て中宿へ

<仲宿>
itabashinaka.JPG
旧中山道と交差する王子新道を渡って中宿(仲宿)へ

<板五米店>いたごこめてん
itabashi-255.JPG
むかしの雰囲気が漂います。この土蔵造りの建物は、築100年を越えており、板橋区の登録有形文化財となっています。もともとは大きなお米屋さんでした。しばらく空き家となっていたようですが、現在は店舗として活用されており、仲宿商店街の人気スポットとなっています。


<遍照寺>へんしょうじ
itabashi-henshyoji.JPG
itabashi-henshyoji -2.JPG
天台宗寺院でしたが明治初期に一旦廃寺となりました。のちに復活し、現在は成田山新勝寺末寺です。現地の説明板によれば、宿場だったころ、境内は馬つなぎ場だったそうです。

そしていよいよ板橋宿の本陣へ

<板橋宿本陣跡>
itabashi-honjin-ato.JPG
こちらは注意していないと素通りしてしまいそうな石碑です。ここが本陣跡です。一般のご家庭の入り口と思われるため、かなり遠慮して撮影しました。

<説明板>
itabashi-honjin-Explanation-board.JPG
板橋区教育委員会さんの説明によれば、板橋は江戸から近いため、本陣は宿泊より休憩所として利用されていたようです。まぁ日本橋から10q程度ですからね。これと関係して『他宿に比べ小振りな本陣は、宿泊に供することが少ない板橋宿の性格を示しています。』とのこと。納得です。本陣のお役目は飯田家が務めていました
[『』内は原文からそのまま転記]

<ライフストア>
itabashi-honjin.JPG
先ほど本陣跡の石碑は、こちらのスーパーの南側です。この付近一帯が本陣でしたが、明治の火災で建物は失われ、今は何も残っていません。

そして

<中宿脇本陣跡>
itabashiwakihonjin.JPG
こちらは板橋宿の中宿名主を務めた飯田家の屋敷跡。あれ、また飯田?本陣も飯田さんでしたよね。

説明板によれば、こちらが飯田家の総本家のようです。板橋宿の本陣は分家に譲り、脇本陣として役割を担ったようです。詳細が説明板に記されていますので、以下に転記させて頂きます。

<説明板>
itabashi-wakihonjin-Explanation-board.JPG
『当家は、飯田家の総本家であり、宝永元年(一七〇四)に本陣を飯田新左衛門家に譲っていますが、江戸時代を通じて名主・問屋・脇本陣を努めました。世襲名は宇兵衞。
 飯田家は、大阪の陣で豊臣家に仕えたとされ、その後、区内の中台村から下板橋村へと移り、当地を開発して名主となりました。元禄期頃宿場絵図には、当家の南側に将軍が休息するための御茶屋が設けられており、元和〜寛永期に板橋の御林で行われた大規模な鹿狩りの際に使用されたとみられます。そして当家が御茶屋守としてとしてこれを管理していたと思われます。なお、御林四〇町歩は、後に当家に下賜されたといわれています。
 江戸時代を通じ、名主家と本陣家の両飯田家は、お互いに養子縁組を行うなど、その機能を補完し合いながら、中山道板橋宿 の中心である中宿の管理と宿駅機能の維持・運営にあたってきました。
 そのような中で、文久元年(一八六一)の和宮下向に際しては、宇兵衛家が本陣役となっています。その後も慶応四年(一八六八)の岩倉具定率いる東山道軍の本営となり、明治初期の明治天皇行幸などでも宇兵衛家が本陣を務めました。
平成二十年三月』

[出典:板橋区教育委員会]
明治の話になりますが、大宮の氷川神社へ向かう明治天皇が休憩した場所でもあるようですね。現在は石碑と説明板のみですが、深い歴史が刻まれた場所です。板橋宿の歴史そのものが伝わってくるようです。

最後に

<板橋>
Symbolbridge-itabashi.JPG
旧中山道と石神井川が交差する地点に架かる橋。いわば街道の一部です。とんでもなく身分の高い方も、そうでもない人も、ここで石神井川を越えていったわけですね。板橋という地名の由来ともいわれています。

以上です。
宿場跡はまだ続きますが、この日の私の探索はここまででした。

都市化が進んだ街並みですが、その気になって歩いてみると、まだまだ昔の雰囲気を感じることができる通りです。当ブログがきっかけで、足を運んでくれる人がいたら幸いです。

拙ブログにお付き合い頂きありがとうございました。

twitter-Isuke-2022.jpg

■訪問:旧板橋宿(下宿・中宿)
[東京都板橋区仲町付近]

■参考及び出典
現地説明板
・板橋区教育委員会
Wikipedia:2022/11/5


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2022年11月03日

地名の由来となった橋(板橋)距日本橋二里二十五町三十三間

<旧中山道の橋>
Symbolbridge-itabashi.JPG
こちらは旧中山道と石神井川が交差する地点に架けられている橋です。

<板橋>
itabashi.JPG
橋の名は板橋。地名の由来となったとされる橋です。

板橋という地名は古い軍記にも登場していることから、かなり昔からの呼び名と言えます。板の橋?もともとは石神井川を何とか渡れる程度の簡素な橋だったのでしょう。江戸時代になると、板橋は中山道の宿場町として栄えました。その頃には、長さ9間・幅3間(約16m×5m強)の立派な橋が架かけられていたようです。

<石神井川>
syakujiigawa.JPG
かつては深い渓谷でした

<板橋宿>
2210板橋宿 (63).JPG
中山道の板橋宿は、東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、そして日光街道の千住宿と並んで江戸四宿の一つとして栄えました。大勢の人が行き来する重要な道だったわけですね。

<現在の板橋>
itabashi-nakasendo.JPG
距日本橋二里二十五町三十三間と記されています。日本橋を起点として約10.6kmの距離。中山道最初の宿場に架かる橋です

■訪問:板橋
[東京都板橋区加賀]

■参考
・Wikipedia:2022/11/3
・板橋区ホームページ

https://www.city.itabashi.tokyo.jp/1014983/1015448/1015453/1015885.html


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