北区の赤羽駅近くを歩いていたら、こんな坂道と出会いました。
<大坂>おおさか
大坂…東京の北区で?
<標柱>
標柱に説明が記されています。そのまま抜粋させて頂きます。
『この坂は、赤羽駅西口から赤羽台団地へ登る坂で、古くから往来の多い坂です。昔は、赤羽から上の台に登り、旧板橋街道に抜ける坂でした。大坂の名は、その昔「小坂」と呼ばれた清瀧不動の石段に対するものとして付けられました。ここは、狸にまつわる民話が残っているところで、狸坂とも呼ばれます。また政右衛門坂と呼ぶ人もいます。』
小坂と呼ばれた石段に対して、大坂と呼ばれたわけですね納得。いわゆる大阪とは無関係でした。清瀧不動の石段がどこを指すのか分かりませんでしたが、きっとそう遠くないところだったのでしょう。
そして
この坂は旧板橋街道に抜ける道とのこと。私が歩いていたのは中世の岩槻街道です。江戸時代に、将軍が日光に参拝する時に使った街道(日光御成道)でもあります。今回見つけた急な坂道は、そこからそれて板橋街道へ抜ける道ということのようです。
板橋といえば中山道の宿場ですね。板橋街道の正確な道筋がわかりませんが、岩槻街道と板橋宿のある中山道を結ぶ外環道的な街道だったのでしょう。大坂はそこへつながる坂道。わざわざ赤羽の台地を登っていくわけですから、近道だったと受け止めることにしました。
それと
狸にまつわる民話から狸坂とも呼ばれるとのこと。
<坂の途中の稲荷神社>
狐は見つけましたが、狸と縁のありそうなものは見当たりませんでした。狐も狸もむかしは人の暮らしのそばにいた動物。どんな民話なのでしょうね。調べましたが分かりませんでした。政右衛門さんは名前からして侍と思われますが、こちらも手がかりがなく、分かりませんでした。
ということで
中途半端ではありますが、昔の岩槻街道を歩いていたら、脇に急勾配の坂道を見つけ、そこが古くからある板橋街道に抜ける脇道だったというお話でした。拙いブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
<古道の坂道>
きっと人の行き来の多い坂道だったのでしょう
■訪問:大坂
(別名:狸坂 政右衛門坂)
[東京都北区赤羽西]1丁目
■出典
現地標柱説明文
(東京都北区教育委員会)
2024年02月03日
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