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2024年02月24日

日光御成道と鎌倉街道のなごり(川口宿)鎌倉橋の碑

今回は川口の宿場跡に漂う日光御成道と鎌倉街道のなごりの話です。

<鎌倉橋の碑>
Kamakura-Bridge-Monument-Kawaguchi.JPG

■日光御成道とは■にっこうおなりみち
日光御成道とは、将軍の日光社参のために整備された街道を指します。本郷追分で中山道と分かれ、岩槻宿などを経て日光街道に合流するまでの2里30町(約48km)の道のりです。今回訪問した川口もその宿場の一つでした。

■川口宿■
古くからあった鎌倉街道の中道(なかつみち)を利用して整備された御成道は、現在の東京都北区で荒川を渡ります荒川を挟んだ岩淵宿(東京側)と川口宿(埼玉側)は、セツトで宿場の役目を果たしていました。文献によっては、2つをひとつの宿場とみなすようです。合い宿として、月の前半後半で役目を交代していました。

<川口元郷駅>
Kawaguchimotogo-Station.JPG
埼玉高速鉄道の川口元郷駅。この日はここからスタートです。

<国道122号線>
Onarimichi-Kawaguchi.JPG
駅を出たら国道沿いに南へ。この道そのものが日光御成道です。

<上之橋>かみのはし
Kaminohashi-Kawaguchi.JPG
芝川を渡ります。この先で国道を右手(西側)に逸れて川口宿方面へ向かいます。

<芝川>
Shiba-River.JPG
上之橋から撮影した芝川

<旧川口宿>
Kawaguchi-Post-Station-ruins.JPG
かつての川口宿の通りです。地元の商店街となっていますが、いまではやや活気が失われつつあります。

<旧本陣の門>
Kawaguchi-Post-Station-Honjingate.JPG
こちらは旧川口宿本陣表門です。宿場の本陣は、偉い方の宿泊する場所です。川口宿には本陣1軒と脇本陣(本陣の予備施設)1軒、そして一般の旅籠屋が10軒あったそうです。

宿場の遺構とよべるものは少ないですが、かつて賑わった古い町並みの雰囲気は残っています。

<商店>
Kawaguchi-Post-Station-ruins-old-store.JPG
素敵な景色です。

<商店街>
Kawaguchi-Post-Station-Ato.JPG
商店街を通り抜け、振り返って撮影。賑わった街道にシルバーゾーンと記されているのが印象的でした。

そして

<鎌倉橋記念緑地>
Kamakura-Bridge-Monument.JPG
冒頭の「鎌倉橋の碑」です。この画像では伝わりにくいですが、見開き型の碑となっており、左側には文字が刻まれています。

<説明板>
Kaido-History-Information-Board.JPG
『日光御成道と鎌倉街道』というタイトルで説明がなされています。抜粋させて頂くと、日光御成道が中世の鎌倉街道中道をもとにして整備されたこと、奥州への要所であったこと、そして義経記には『源義経が奥州から鎌倉に向う際に小川口で兵をあらためたと記されて』いることが説明されています。鎌倉街道中道が『将軍社参にふさわしい道として整備されたのは寛永年間(1624-44)』といわれているとのこと。

そして鎌倉橋について。以下にそのまま転記します。
『荒川北側の小川に架かっていた土橋は鎌倉橋と呼ばれ、江戸時代においても重要な橋の一つで、たびたび修築を加えられ昭和初期まで残されていました。しかし、荒川の河川改修などにより消滅し、現在はこの緑地内にかっての橋の存在を記念して、石碑が建てられています。』

<地図拡大>
Kamakura-Bridge-pictorial-map.JPG
荒川北側の小川に架かっていた土橋が鎌倉橋と呼ばれたわけですね。そして橋の名に「鎌倉」がつくのは、ここがもともと奥州に繋がる鎌倉街道であることに由来する。納得しました。

鎌倉橋記念緑地の南側は荒川のスーパー堤防です。更に南下するために登ってみました。

<荒川>
Arakawa-River.JPG
堤防の上から撮影した荒川です。徳川家臣の伊奈氏によって荒川の流路は変更され、入間川と合流する川となりました対岸は岩淵宿です。

<善光寺>
Zenkoji-Temple-Kawaguchi.JPG
こちらは川口市舟戸町の善光寺です。独特の雰囲気を醸し出す近代的な建物となっていますが、川口宿の入り口といってもいいこの地に古くからある寺院です。かつては荒川の河川敷でしたが、現在は幅広の堤防上です。

WIKIさんから引用させて頂くと『江戸時代、「日本三大善光寺」の一つとされ、大いに賑わった。『江戸名所図会』『名所江戸百景』でも取り上げられる程の江戸近郊の名所であった。』とのこと。

信濃や甲州と並び称される善光寺だったわけですね。

ということで
川口宿付近の日光御成道・鎌倉街道のなごりのご紹介でした。遺構のようなものは少ないですが、歴史は明らかであり、その雰囲気だけでも共有できれば幸いです。

会社員の拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。

■訪問:鎌倉橋の碑
(鎌倉橋記念緑地)
[埼玉県川口市本町]1丁目8-19

--------■ 参考画像 ■--------

<錫杖寺>しゃくじょうじ
shirononagori311 (2).JPG
こちらは別の日に訪問した川口市の錫杖寺。川口宿の北の外れに位置する由緒正しき寺院です。1622年には、徳川秀忠が日光社参の際に休息所として立ち寄りました。私はこちらの山門が宇都宮城からの移設と聞き、訪問させて頂きました。

<岩淵渡船場跡>いわぶちとせんばあと
Iwabuchi-Ferry.JPG
[北区岩淵町]41先
こちらは対岸の岩淵渡船場跡です。川口の飛地であったことから「川口の渡し」とも呼ばれていました。


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■参考及び出典
・現地説明板
(鎌倉橋記念緑地)
・Wikipedia:2024/2/24

posted by Isuke at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 街道・古道
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