日光御成街道は、将軍の日光東照宮参拝のために整備された街道です。今回はその通り沿いの三叉路の話です。現地はさいたま市岩槻区です。
<分かれ道>
左へカーブする日光御成街道、そして右へそれる脇道
<南辻の三叉路>
街道の分かれ道にはありがちな光景ですね
<南辻の地蔵>
祠にはお地蔵さん。やや大きめのお地蔵さんです。
<地蔵菩薩>
雨ざらしではないせいか、保存状態もよいように思われます(素人意見として)。
<お地蔵さんの背中>
刻まれた背中の文字もくっきり。ただ…當安楽?證菩提之(處かな?)…全部は読めず、意味も想像できず。菩提だけは確かです。
<路傍の石>
道路沿いのお地蔵さんのそばには丸い石が二つ。文字か刻まれています。奉???ほぼ読めません。力石でしょうか?神社の境内などに、地元で使われていた力石が置かれている光景をよく見ます。この付近はかつて岩槻領に属する辻村でした。村民が実際に使った力石の納まる先が、古くから親しまれているお地蔵さんの足元だったのかもしれませんね。
<石塔>
こちらには複数の石塔。こちらはまったく字が読めず、私には何だかわかりませんでしたが、街探索のお仲間の話では、これは道しるべのようです。
<粕壁道>かすかべ
道しるべによればこの脇道は粕壁道。日光御成道から分かれて春日部方面へ向かう道ということになります。そもそも辻という言葉が、道が交差する場所を意味しています。ここがかつて辻村と呼ばれたのは、街道の分岐点だったからかもしれませんね。
<日光御成街道岩槻宿>
岩槻は城下町であると同時に、日光御成道の宿場でした。宿場の本陣他には、名だたる大名や幕府の役人が宿泊したと思われます。さすがに将軍ご本人は、警護の行き届いた岩槻城を宿としましたが、日光御成道の宿場で、将軍が宿泊場としたのは岩槻だけです。
今回訪問の辻村の三叉路は、宿場を北に抜けて少し進んだところです。
ということで
地蔵菩薩に呼び止められたような感覚で足を止めた場所は、日光御成街道と粕壁道の分岐点だったというお話でした。いつもにも増して「字が読めない」を連発して失礼しました。ただの会社員の街探索に過ぎませんので、内容についてもその程度に受け止めてくださるようお願い致します。
<旧辻村の日光御成街道>
都市化の波が押し寄せても、ずっとここを動かないで欲しいですね。お地蔵さんはもちろん、道しるべも力石も。
■訪問:南辻の三叉路
(日光御成道)
[埼玉県さいたま市岩槻区南辻]1
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2024年02月24日
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