かつての大宮宿南方にあったとされる刑場跡を訪ねました。
<火の玉不動>
さいたま新都心駅近くの『火の玉不動』です。左の道路は中山道です。
江戸の刑場跡を訪問する際はかなり躊躇しましたが、今回の訪問は大宮の『涙橋跡』を目にした時に既に決めていました。縁起の良い場所とは言い難いものの、人が訪れ手を合わせ、何かを感じる方が、忘れさられるより良いように思えるからです。
<火の玉不動とお女郎地蔵>
祠には火の玉不動とお女郎地蔵が祀られています。左側が 火の玉不動です。
江戸時代、この付近には下原と呼ばれる原野が広がり、そこに引かれた高沼用水の流れがありました。そして水路に架かる高台橋のすぐそばに、刑場があったとされています。
高台橋付近では、ふわふわと飛ぶ火の玉が目撃されたそうです。人魂を連想するのが自然ですね。ある男がその正体を突き止めるべく火の玉を斬りつけたところ、不動明王を斬ってしまった。火の玉不動の名はこんな話に由来します。
ちなみに、一緒に祀られているお女郎地蔵は、大宮宿の美しい女郎の悲恋にまつわるもの。思い悩み高台橋から身を投げ、その後まもなく火の玉が飛ぶようになったことから、供養の為に地蔵が建てられたと伝わります。
<現地説明板>
祠の裏側に説明がなされていますが、火の玉不動に関する説明はないようです。『北袋町と吉敷町の境を流れる鴻沼(高沼)用水にかかる橋が高台橋』であることや、水路が造られた経緯が記されています。
当時原野のようだったところに造られた水路なら、水も清らかだったことでしょう。闇に飛び交う蛍が、火の玉に映ってもおかしくない。私は霊感とは無縁の男なので、そんな程度の想像しかできませんでした。
それにしても
いまでは橋はおろか、付近に水路も見当たりませんね。ただ、注意深く見れば、そのなごりは残されています。
<高沼遊歩道>
火の玉不動の左手の道に『高沼遊歩道』と記されています。もう見つけたのも同然です。
<暗渠>
これはただの道ではありません。いわゆる暗渠です。この地下がそのまま水路ということです。個人的に、暗渠をみつけるとその出口を探したくなります。
<暗渠の出口>
この日はすぐに見つかりました。火の玉不動と中山道を挟んだ逆側。つまり駅側です。敷地に入れないのでこんな画像となりますが、線路を潜った水路はここで一瞬空と出会い、再び地下へ隠れます。
高台橋は高沼用水と中山道が交差する場所に架けられた橋ですので、まさにこの地点ということですね。刑場そのものではありませんが、橋の位置は納得です。江戸の刑場は、街道沿いに設けられました。見せしめの意味があったようです。そして大宮宿の刑場も中山道沿い。同じ意味なのかもしれませんね。
最後に
下原刑場は明治時代なってすぐに廃止となっています。つまり古い古いお話です。その後跡地は牧場であったり工場の敷地として使われ、今では立派な商業施設が建ち並んでいます。刑場跡というとあまり良いイメージはありませんが、そもそも当ブログの主たるテーマの城跡も、多くの人が亡くなった場所なのです。気付きもしないより、残された痕跡に足を止めて何かを思う。今回訪問の供養塔も、そういう場所であり続けて欲しいと思いました。
■訪問:火の玉不動
[埼玉県さいたま市大宮区吉敷町]
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2019年11月04日
この記事へのコメント
コメントありがとうございます!
Posted by Isuke at 2021年04月27日 21:28
素晴らしい記事を有難うございます。
Posted by at 2021年04月27日 06:31
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