なんでこんな場所に橋の供養塔が?
周囲に川や水路の雰囲気は漂いません。ただ、ちょっとしたヒントはありました。
これは水の流れを模したものか
この時点では半信半疑でしたが、延々と続く歩道が、実は水路かもしれないと思った瞬間でした。
ちょっとこの日は別な目的があったので、帰宅してからゆっくり調べました。するとやはり、私が歩いていたのは府中用水とよばれる水路でした。多摩川の水を引き込むための水路で、その始まりは江戸時代初期にまで遡ります。歴史ある水路ということですね。
水路には人が行き交うために橋が架けられ、安全祈願あるいは感謝の気持ちとして橋の供養塔が建てられたということのようです。
現代人にもそういった感覚は多少引き継がれていると思いますが、むかしの人は、橋に魂が宿ると考える傾向が強かったようです。
むかしってどの程度?
素人なので明言はできませんが、少なくとも江戸時代にはそういう考え方はありました。
府中用水そのものはいまでも現役です。
しかし、ここ分倍河原付近は都市化にともない、地下に埋設されています。いわゆる暗渠ですね。
地表から姿を消し、道を隔てることもなくなった用水路沿いに、かつてあった石橋の供養塔が残されている。
水辺だったなごり。そして、橋に込めた人の思いのなごりですね
■訪問:石橋供養塔
[東京都府中市分梅町]1丁目27-3
■参考
Wikipedia:2022/5/21
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