<石段>
<鳥居>
<拝殿>
場所は埼玉県狭山市です。上野国新田荘(現在の群馬県太田市)を出て鎌倉へ向かって南下する新田義貞は、入間川を渡ったところでこの地に立ち寄りました。
<入間川>
一級河川の入間川です。当時の正確な流路はわかりませんが、この川によって造られた広い低地が広がっていたのでしょう。鎌倉幕府軍は、新田義貞がこの川を渡る前に迎え撃つ目論見だったようです。しかし新田軍の動きは速く、激突は更に南の小手指ヶ原(現在の埼玉県所沢市)となりました。
<台地>
八幡神社は入間川に近い台地の上に祀られています。入間川を渡った義貞は、幕府軍との戦いを前に、高台で戦勝祈願をしました。境内には、この時に義貞が馬をつないだとされる松の木が残されています。
<本殿東側>
彫刻が見事に本殿(画像奥)の東側です。階段を上った先に新田義貞ゆかりの松の木があります。
<駒繋の松>こまつなぎのまつ
少し分かりにくいですが、中央の若い松ではなく、両脇の老木です。
かなり疲れていますが、こちらは根元付近がまだ残されています。
こちらはほぼ朽ちていますが、同じ松の木と思われます
新田義貞の挙兵は1333年(元弘3年)のことですので、700年近く前の話です。松は他の木と比べて長生きと言われていますが、さすがに風雪にさらされ続ければ、朽ちていて当然ですね。こうして形として残っているだけでもありがたいことです。
更に南下する新田義貞は、行く先々で幕府軍と戦い続け、最後は鎌倉へ攻め込んで北条氏を滅ぼすことになります。上野国で挙兵し、ここで戦勝祈願した時はどのような気持ちだったのでしょうね。
ということで
新田義貞ゆかりの神社と、境内の松のご紹介でした。八幡神社には、文化財に指定されている社宝、そして数々の境内社がありますが、新田義貞ゆかりの松に焦点を絞ってご紹介させて頂きました。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
<八幡神社>
新田八幡とも称される神社です
■訪問:八幡神社 [入間川]
(新田八幡・新田の八幡宮)
[埼玉県狭山市入間川] 3丁目
■参考
現地説明板
Wikipedia:2022/5/18
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