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2022年05月10日

木曾義仲の嫡男・義高の終焉の地(狭山市)清水八幡宮

木曾義仲の嫡男・義高終焉の地を訪ねました。

<清水八幡宮>
Shimizu-hachimangu-shrine-Sayama.JPG
こちらは義高を祀る神社です。場所は埼玉県狭山市の入間川沿い。

鳥居の近くに説明板が設置されていますのでご紹介させて頂きます。

<説明板>
History-Kiso-Yoshitaka.JPG
冒頭『清水八幡には源義高(清水冠者源義高)がまつられています』と記されています。清水冠者とは義高の別名です。つづいて、義高があの木曽義仲の嫡子であること、人質として鎌倉の源頼朝に預けられたこと、その娘である大姫の婿となっていたことが紹介されています。

義高が人質となることで、不仲となっていた義仲と頼朝の間には和睦が成立しました。その後の展開によっては、義高は大姫と仲睦まじく暮らしせたのかもしれません。しかしこの場合、人質という立場は形式では済まされませんでした。義仲と頼朝の和議は翌年には破綻。頼朝は義仲追討軍を派遣します。義仲はこれを迎え撃ちますが「宇治川の戦い」で敗れ、「粟津の戦い」で討たれました。

説明文の続きです。
『義仲が頼朝に討ち果たされたのを知った義高は、自分にふりかかる難をのがれるため従者六人ばかりと共に祖父義賢の地(大蔵館)や義仲を助けた畠山重能の地(菅谷館)がある現在の嵐山町をめざして逃亡しましたが、当地入河原で頼朝の追手に討ち果たされました。』

源義賢(よしかた)の館も畠山重能の館も嵐山(らんざん)にありました。義賢が討たれた時、当時2歳の木曽義仲(駒王丸)は畠山重能らの計らいで信濃国へ逃れることができました。鎌倉を脱出した義高は、そういった縁のある場所に活路を見出そうとしたわけですね。

説明文の続きを要約すると、北条政子と大姫は嘆き悲しみ、義高を手にかけた藤内光澄(とうないみつすみ)を打ち首にし、義高が葬られた河原に霊を祀るための社を建てました。これが清水八幡宮の始まりです。

<社額>
Shimizu-hachimangu.JPG
八幡という名からは源氏の氏神を連想してしまいますが、清水八幡宮の祭神は清水冠者源義高のみです。

<社殿>
simizuhatimangu-Shrine.JPG
長年の暴風や洪水のため当時の祠の姿はなく、正確な場所も不明となっているようです。しかし義高はいまもこうして終焉の地に祀られています。狭山市のホームページによれば『本殿は昭和34年(1959)に再建されたもの』で、中には『永享2年(1430)の石祠が安置されていますが、これは江戸末期に近くを流れる赤間川から掘り出されたもので、そこには義高が入間川で殺害されたことなどが刻まれています』とのこと。

<本殿>
simizuhatiman-Main-Shrine.JPG
なかは見ることができませんが、石祠が安置されているわけですね

<国道沿い>
With-heavy-traffic.JPG
右側は国道16号線です。交通量が多く、静かな境内とは言い難いですが、凛とした空気が漂います。

<北側から撮影>
simizuhatiman-sayama.JPG
国道の逆側は住宅地で、更に北へ向かうとそこはもう入間川です。

<清和源氏の流れ>
minamoto-family-tree.JPG
こちらには清和源氏略系図が記されています。

<源氏略系図>
Seiwagenji-family-tree.JPG
戦国武将好きの目には、足利氏が隅に寄せられているのが新鮮に映ります。源義仲・義高を軸に考えればこの通り。まっすぐ上に八幡太郎こと源義家の名を見ることができます。


それにしても
ここは鎌倉からはかなりの距離です。鎌倉街道上道を利用したとすれば、現在の横浜市戸塚区や町田市・府中市を経由して、所沢市を更に越えて狭山市まで辿りついたことになります。距離にして約90q前後。遠くまで逃れてきたわけですね。しかし街道が川にさしかかったところで義高は討たれてしまいました(1184年6月6日)。

<入間川>
Iruma-River.JPG
義高は奥州平泉の藤原氏を頼ろうとしていたとする説もあるようです。しかし、とりあえずは嵐山を目指してここまで来たのだ。そう受け止め、現地をあとにしました。

■訪問:清水八幡宮
 (清水冠者源義高終焉の地)
[埼玉県狭山市入間川] 3丁目

■参考及び出典
現地説明板
・狭山市教育委員会
・狭山市文化財保護審議会
Wikipedia:2022/5/10
狭山市ホームページ
・指定文化財〉清水八幡

https://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/dentou/siteibunkazai/simizuhatiman.html



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posted by Isuke at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ゆかりの地
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