沼田公園で撮影した真田信之のバネルです。ちょっと格好良すぎますね
真田信之(信幸)について調べているうちに、あの前田慶次郎利益(とします)との接点があったことを知りました。
Wikiさんによれば、真田信之(信幸)は『前田利益とは懇意の仲であり、信長の死も利益から聞かされたという。その時、信幸は大将となって佐久・小県をおさえるため軍勢を率いて進んでいたが、敵か味方かも定かではない真田軍を相手に信長の死を明かした利益の態度に感心し、軍勢を引き上げた』とのこと(『』内は転記)。真田家の家臣が記した史書『加沢記』などが情報源のようです。
織田信長が本能寺で亡くなった時(1582年6月21日)、織田四天王のひとり・滝川一益は、関東に派遣されていました。前田利益はもともとは滝川一族の出で、この時も親戚関係の滝川一益の軍勢に加わっていたと思われます。また、同時期に滝川一益の甥・滝川益重(ますしげ)が沼田城に入城していますが、これが利益の実父という説もあり、こちらと行動を共にしていた可能性もあります。もしそうだとすれば、沼田は前田慶次郎利益にとってもゆかりの地ということになります。いずれにせよ、信長の重臣・滝川一益に加担していました。
<沼田城跡>
真田信之はもちろん、前田利益にとってもゆかりの地だった?可能性のある城跡
一方の真田信之は、父・昌幸とともに、他の国人衆と歩調を合わせて関東管領である滝川一益に従っていました。ただ、それは織田信長という権威の裏付けがあってのこと。当時の関東最大勢力・小田原北条氏の動向に気を使う必要もあり、立場はかなり流動的でした。
そんな最中に、京へ引き上げようとしていた前田利益が、滝川一益の所領でもある佐久・小県で兵を指揮していた真田信之と遭遇。信長がいなくなっても、前田利益が滝川一族を見限ることはありませんが、真田勢は状況によります。にもかかわらず、前田利益は「信長の死」という極めて重要な軍事機密を信幸に話してしまいました。
これは
どういう関係だったのでしょうね?
他に詳しい史料も見つからなかったので、Wikiさん記載の『懇意の仲』というふうに漠然と受け止めるしかなさそうです。二人とも滝川家と接点がありましたので、どこかで陣をともにし、意気投合したのかもしれません(あくまで個人の想像です)
ということで
むかし漫画『花の慶次』に熱中したオジサンが、真田信之について調べていたら、慶次と接点があることを知り、やや嬉しくなったというだけの内容でした。歴史素人の個人ブログですので、内容につきましてはその程度受け止めて頂きますようお願い致します。
<前田慶次パネル>
吉祥寺で開催されていた「花の慶次 原画展」で撮影しました。威風堂々の前田利益です。
拙ブログに訪問頂きありがとうございました。
■訪問:沼田公園
[群馬県沼田市西倉内町]
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■挿入パネルと撮影場所
・戦国無双パネル
[沼田公園(沼田市)]
・花の慶次原画展パネル
[GALLERY ZENON(武蔵野市)]
■参考・出典
・Wikipedia:2024/9/26
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