沼田公園の真田信之・小松姫夫婦の石像です。むかしは無かったような?それもそのはず。2015年に設置されたそうです。NHK大河ドラマ『真田丸』が放送されたのが2016年ですので、それに合わせて建立されたのかもしれません。
真田信之は父・昌幸や弟・信繁(幸村)と比較すると地味な印象ではありますが、見方を変えると、かなり大きな仕事を成しとげた武将です。
<真田信之>さなだのぶゆき
真田昌幸の長男です。祖父は真田幸隆。真田家の三男だった父・昌幸は、既に武藤家の養子(武藤喜兵衛)となっていたので、信之は武藤家で生まれました。しかし長篠の戦いで跡取りがいなくなったてしまった真田家に父・昌幸が戻ることになり、信之は真田家を継ぐ嫡男として期待されるようになりました。主に上田領を支配していた昌幸から、信之は沼田を任され、沼田城主として北上州を治めていました。やがて天下分け目の関ヶ原の戦いにおいて、父と弟が石田三成率いる西軍に味方したのに対し、信之は徳川家康率いる東軍に与する道を選びました。
信之の元々の名は信幸です。「幸」は真田家の通字。信之は関ケ原で西軍についた父と弟の助命嘆願をする一方で、決別を周囲に知らしめるべく、「幸」を「之」に改めました。領民思いで統治力のあった信之は名君とされ、真田松代藩の礎を築き上げました。
<小松姫>こまつひめ
徳川四天王のひとり本多忠勝の娘で、稲姫(いなひめ)とも称されました。政治的な理由を背景に、徳川家の養女を経て信濃国上田を本拠とする真田家に嫁ぎました。真田家はのちに親子・兄弟が敵味方に分かれることになりますが、小松姫は徳川方についた真田信之を正室として支え続け、難しい局面に立たされた真田家を守り抜きました。小松姫の武勇を物語る有名な逸話が、孫の顔見たさに沼田城に立ち寄った義父・真田昌幸を、門前で追い返した話です。夫の信之が出陣中のため城の留守を預かっていた小松姫は、例え義父でも敵方となった者を通すことはできないとして、昌幸と義弟の信繁(幸村)の入城を拒みました。一方で、小松姫は昌幸たちを密かに近くの寺へ案内し、そこで孫たちと対面させたと言う話もあります。これら伝わる話から言えることは、小松姫は男勝りの勇ましさ、機転に富んだ行動力、そして深い情を備えた女性だったようです。
二人の婚姻は真田信之25歳、小松姫18歳のときでした。
最後に
小松姫が48歳で生涯の幕を閉じたのに対し、信之は当時としては異例の93歳まで生きました。50代半ばで小松姫に先立たれた信之は「わが家の灯火が消えたり」と言って悲しんだと伝わります。
■訪問:
真田信之像・小松姫像
(沼田公園)
[群馬県沼田市西倉内町]
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■参考
・Wikipedia:2024/9/25
・沼田市観光協会HP
―信之・小松姫像―
https://www.numata-kankou.jp/activity/sight/numatakoen/index.html
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