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2024年08月17日

伊達政宗生誕の地(米沢城)

戦国武将・伊達政宗は米沢城で生まれました
<伊達政宗公生誕の地>
Masamune's birthplace-Yonezawacastle.JPG
米沢城本丸跡の伊達政宗生誕地の石碑。米沢はもともと伊達家の領地でした。

ところが…
最近では、伊達時代の「米沢城」は、現在の米沢城より西方の舘山城の近くに存在したのではないかといわれ始めています。ちょっと言い換えると、伊達政宗の生誕地が米沢城なのはいいとして、当時の米沢城はどっちなのかということになります。その結果、同じ米沢市で、現在の米山城と舘山城の双方が「伊達政宗生誕の地」をアピールしている状態になっています。

<説明板>
yonezawahistoryinformationboard.JPG
現在の米山城本丸跡の説明板です。上杉家御廟所・上杉家と伊達家の家紋に関する説明と並んで、舘山城の紹介も掲載されています。

<米沢城と舘山城>
historyinformation.JPG
右側です。私の主観が入らないようそのまま引用させて頂きます(『』内が原文)。
『米沢城跡(松が岬公園)から約3キロ西側の舘山地区に、山城と平城からなる舘山城跡があります。伊達家の正史「伊達治家記録」には、地元の有力者新田氏の居城であったり、伊達輝宗の隠居所、伊達政宗が地割した記載があります。また、平成25年の発掘調査で山城から石垣が発見されました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い以降の石積技術であることから、上杉景勝が築いた石垣とみられます。舘山城は、米沢城の西側の拠点として、伊達家や上杉家が整備した重要な城と考えられます。米沢市はこのような歴史遺産が多く残るまちです。』

舘山城では石垣も見つかっていますが、これは上杉時代のものとのこと。伊達家・上杉家双方に関わりのある城ということですね。そして、見落とせないのは『米沢城の西側の拠点として、伊達家や上杉家が整備した』という表現ですかね。つまり、本城はあくまで現在の米沢城ということになります。

<舘山城画像>
Photo-Tateyamacastle.JPG
舘山城は南と北に川が流れる舌状丘陵の先端付近に築かれました。画像中央、山麓の平地に居館を配置し、平時はそこに居住していたと思われます。そして山には戦に備えた堀や曲輪。政宗出生地をめぐる論争とは別に、ごくごく普通に魅力的な、そして典型的な中世の山城だと思います。

ということで
政宗生誕の地とされる「米沢城」については、私なりにずっと気になってはいるのですが、今回の米沢再訪で改めて、「上杉家が居城とした米沢城と同じで良いかな…」などと思ったという内容でした。

<米沢城本丸跡>
DateMasamune's birthplace.JPG

拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。

■訪問:
伊達政宗公生誕の地碑

[山形県米沢市丸の内]


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■参考及び引用
・現地説明板(米沢市)
・Wikipedia:2024/8/17
posted by Isuke at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]

竹に雀 類似した伊達家と上杉家の紋

<米沢城本丸跡>
matsugasakikouen-yonezawa.JPG
ここ米沢城を居城とした伊達家と上杉家の紋は、どういう訳か似ています。両家ともに「竹に雀」の紋。歴史ファンにはよく知られていることですが、その経緯について、詳しい説明を記した説明板をみかけましたのでご紹介させて頂きます。

<説明板>
yonezawahistoryinformationboard.JPG
こちらです。上杉家廟所・米沢城と舘山城、そして上杉家と伊達家の紋について説明がなされています。

<よく似た「竹に雀」>
historyinformation.JPG
左側が家紋に関する説明です。一部を下記に転記させて頂き来ます(『』内は原文のまま)。
『上杉家と伊達家の紋はどちらも「竹に雀」。二羽の雀とともに上杉家は輪竹、伊達家はたくさんの葉が広がる根竹が描かれます。そもそも「竹に雀」を最初に用いたのは藤原氏の一族・勧修寺家ですが上杉家の祖が勧修寺重房であることから、「竹に雀」の紋を使用しました。一方、伊達家は稙宗(政宗の曽祖父)の三男・時宗丸が越後上杉家(謙信が継いだ山内上杉家とは別)の養子に決まり、越後上杉家から「竹に雀」の幕紋(陣幕に描かれる紋)が贈られたことに始まります。養子の幕紋は華やかにアレンジされ伊達家の紋として用いられるようになったのです。』

この説明だと、婚姻にともなう引出物のような形で上杉家から贈られ、受け取った伊達家では、これを原型とした紋を代々受け継いできたということですね。つまりそれ以前、政宗よりわずか三代前まで、伊達家の紋は別のものでした。婚姻の話そのものは、諸事情でなくなってしまいましたが、紋だけは残ったということのようです。

<両家の紋>
Familycrest-Date-Uesugi.JPG
伊達家と上杉家。生命力が強い竹と雀の家紋です。


■訪問:米沢城本丸跡
 (松が岬公園)
[山形県米沢市丸の内]


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■参考及び引用
・現地説明板(米沢市)
・Wikipedia:2024/8/17
posted by Isuke at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]

2024年08月03日

失われた城の残存土塁(福島城)

遺構はほぼ無いと思っていた福島城跡で、見事な土塁跡を見ることができました。

<土塁跡>
Fukushima-Castle-earthworks.JPG
福島城跡の大半はいま福島県庁になっています。この土塁は県庁西庁舎の南側。阿武隈川に面した駐車場付近です。ありがたいことに、説明板も設置されています。

<説明板>
Explanation-Board-Fukushimajo-Earthworks.JPG
説明文によれば、城が現役の時は阿武隈川にまで達する土塁が設けられており、この土塁跡はその一部のようです。

実は、訪問は今回で二度目です。言い訳になりますが、あまり予習をしないで訪問したため、小学校の敷地で偶然みつけた土塁を、福島城唯一の遺構と受け止め退散してしまいました。最近になって今回訪問の土塁の存在を知り、改めて訪問しました。まぁ福島市内、他にも見どころはたくさんありますので、満足な再訪となりました。

<城だった証>
Ruins-Fukushima-Castle-Earthworks.JPG
これも福島城のなごり

■訪問:福島城
(福島県庁西庁舎南側)
[ 福島県福島市杉妻町 ]


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■参考:
・現地説明板
(福島市観光コンベンション協会)
・Wikipedia:2024/8/3
・福島市HP
地図から探る城下町・福島
>福島城下散策マップ 

https://www.city.fukushima.fukushima.jp/bunka-kyodo/fureai/jokamachi/fureai07-01/index.html


-----------( 追 記 )-----------
最初の訪問記です。とりあえず行ってみたという程度の内容ですが、よかったら覗いてみてください。
<福島城本丸跡>
shirononagori263 (1).JPG
■投稿:2018年09月04日
■タイトル:福島城のなごり
→『記事へすすむ
タグ:福島
posted by Isuke at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]

2023年12月10日

小峰城の富士見櫓(白河市)富士山は見えたのだろうか

<小峰城富士見櫓跡>
Fujimiyagura-ato-Kominejo-Fukushima-Prefecture.JPG
富士見?福島県からも富士山は見えるのだろうか?

小峰城探索中の素朴な疑問です。遠くを眺めましたが、見える気配はなし。天候にもよると受け止め、現地ではあっさり諦めました。ただブログをまとめるにあたり、どうしても気になって、調べることにしました。

<縄張り図>
Reconstruction-Diagram-Kominejo.JPG
こつらは白河駅近くの歩行者トンネル内に展示されているパネルです。小峰城の復元図ですね。本丸には小峰城のシンボルである三重櫓、そして城の要所要所に櫓が設けられています。問題の富士見櫓は本丸の南西角(この画像だと本丸の左上隅)です。富士見櫓という名は江戸城をはじめ、多くの城郭で耳にしますが、ここは福島県ですからね。

<本丸の南西角>
Fujimiyagura-Ato-Kominejo.JPG
ここを登ってすぐが富士見櫓跡

<櫓跡の下>
Fujimi-Yagura-Ato-Kominejo.JPG
本丸より一段下の帯曲輪から見るとこの石垣の上あたり

方角的には分かるが…

結論を言うと、ここ白河市より更に北でも富士山は見えるそうです。WIKIさんによれば、富士山が見える最北端は、同じく福島県の川俣町と飯舘村の堺にある花塚山とのこと。ただし、これは辛うじて確認できるというレベルのようです。


ということで
福島県南端の白河市から富士が見えても何ら不思議ではないというお話でした。日記が如き内容にお付き合い頂き、ありがとうございました。

<富士見櫓跡の石碑>
FujimiyaguraatoKominejo-Fukushima.JPG
きっと見える、あるいは見えたのでしょう

■訪問:小峰城富士見櫓跡
[福島県白河市郭内]

■参考
・白河駅歩行者通路展示パネル
「復元図想定図(日本建築研究所蔵)」
・Wikipedia:2023/12/10


[補足]
今回はこちらの記事の追記として投稿しました。よかったら覗いてみて下さい。
Komine-Castle-tower.JPG
矢之門から帯曲輪へ
(クリックで記事に移動します)

■当ブログ過去記事■
小峰城は2018年にも投稿しています。
shirononagori260 (1).JPG
小峰城 戊辰150年の夏
(クリックで記事に移動します)
タグ:福島
posted by Isuke at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]

矢之門から帯曲輪へ(白河市)小峰城

<小峰城>こみねじょう
Komine-Castle-tower.JPG

■2023年再訪■
白河市の小峰城跡は、2011年の東日本大震災により、石垣崩壊やひび割れなど多大な被害を受けました。深い歴史が刻まれ、盛岡城・若松城とともに東北三名城のひとつとされる名城です。そしてなにより、白河市のシンボルです。本格的な復旧工事が2013年から始まり、2018年に完了しました。

私の前回の訪問は2018年です。戊辰戦争から150年という年であり、復旧作業にも目途がたったという情報を得て、現地を訪問しました。城は見事に復旧していました。ただ、ちょっと早すぎたのか、城の裏側(北側)はまだ立ち入り禁止の状態でした。その時の続きのつもりで、今年再訪しました。

<城山公園入口>
Revisit2023-Komine-Castlet-Entrance.JPG
現地到着

<城内案内>
Revisit2023-Komine-Castle-Guide-Post.JPG
今回はまず矢之門方面へ

<堀跡>
Revisit2023-Kominejo.JPG
この景色は前回も見ていますが、二の丸の外側の曲輪跡と勘違いしていました。あとから縄張り図を見てびっくり。埋められた堀の跡です。

そして

<城門跡>
Kominejo-Castlegate-Yanomon.JPG
堀が途切れるところに城門があります。本丸からみて西側の矢之門の跡です


■小峰城の帯曲輪■

<矢之門跡>やのもん
Shirakawa-Kominejo-Castle Gate-Yanomon.JPG
ここから探索スタートです

<矢之門説明板>
Shirakawa-Kominejo-Yanomon-Explanation-board.JPG
矢之門が『本丸を囲む帯曲輪の北東側の出入口』であることが記されています。右下に再現イメージがありますね。今は石垣だけですが、こういう櫓門が設けられていたようです。

<三重櫓と帯曲輪>おびくるわ
Kominejo-Castletower.JPG
実質天守の三重櫓。正面から見た美しさとは別の魅力です。こちら側から見上げると、妙な迫力がありますね。右に広がるのが今回のお目当ての帯曲輪です。まぁ私が攻め手なら、ここから直接本丸を攻めようとは思いません。

<石垣の説明板>
Stone-Wall-Explanationboard.JPG
一部の石垣が、不定形で粗く割った面が表面になっていることから、江戸時代開始前後に築かれたと考えられるとのこと。

<石垣>
shirakawa-Kominejo-Stone-Wall.JPG
石垣の裾野の部分ですね。なるほど。勉強になりました。

<高低差>
Kominecastle-Stonewall.JPG
平面図で見ればお隣の曲輪同士ですが、実際は凄い高低差。小峰城は標高約370mの丘に築かれた城。本丸を頂点とする山城です。

<帯曲輪>
Kominecastle-Obikuruwa.JPG
そして広い帯曲輪。一段低くなった位置から、大切な本丸をととり囲んでいます。帯曲輪というと、主たる曲輪の補助的な施設で、形状は細長いというイメージですが、ここは違うようです。独立した別の曲輪に思えます。

<石垣の再生>
Shirakawa-Kominejo-Ishigaki.JPG
凄いなぁ…壮大な帯曲輪と石垣。前回この景色は見られなかったので、再訪して良かったと思える瞬間でした。

<修復に関する説明板>
Stone-Wall-Explanation-Board.JPG
石垣崩落したの様子が記されています。写真を見る限りかなり広範囲です。石材の個数だと1201個になるとのこと。

積み上げるだけでも大変ですが、ここ小峰城の修復では、石材に番号をつけ、伝統的な工法に従って石垣を造り直しました。それって、かなり地道な作業になりますよね。その経験値は、熊本地震で石垣が崩落した熊本城の修復作業にも活かされています。

<西側>
Stone-Wall-Kominejo.JPG
この付近も幅にして21mの崩落があったそうですが、見事に修復されています。

<南西角>
Shirakawa-Kominejo-Kuruwa.JPG
城の南西角に設けられた富士見櫓付近です。角を曲がると城の大手側(南側)になります。

<帯曲輪門>
Kominejo-Castlegate-Obikuruwamon.JPG
帯曲輪はここまでです。画像は帯曲輪から内部へ通じる虎口に設けられた帯曲輪門跡。

ということで
小峰城の裏側を中心に、帯曲輪をゆっくり見学したというお話でした。

<城の正面>
Shirakawa-Kominejo-2023.JPG
あいかわらず見事な前門と三重櫓

小峰城は国の史跡に指定され、日本100名城のひとつにも選ばれています。

--------■ 小 峰 城 ■--------
別 名:白河小峰城 白河城
築城年:1340年
築城者:結城親朝
改修者:丹羽長重
城 主:結城氏・丹羽氏
榊原氏・松平氏 他
廃城年:1871年
[福島県白河市郭内]

■参考及び抜粋
・現地説明板(白河市)
・Wikipedia:2023/12/10



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■当ブログ過去記事■
2018年に訪問した時の投稿です。よかったら覗いてみて下さい。
<小峰城>
shirononagori260 (1).JPG
小峰城 戊辰150年の夏
(クリックで記事に移動します)
posted by Isuke at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]

2023年09月17日

霞城三の丸跡の石碑(山形市)歌懸稲荷神社

山形市の歌懸稲荷神社の境内奥には、この地が山形城三の丸跡であることを記した石碑が建てられています。

<霞城三の丸跡の石碑>かじょう
Stone-monument-Kajo-sannomaruato.JPG
立派です。霞城三の丸跡と刻まれています。石碑は昭和36年に建てられました。

霞城は山形城の別称。城は大大名となった最上義光の時代に拡張され、全国有数の規模を誇る平城となりました。今回訪問の歌懸稲荷神社は、本丸跡などが整備されている霞城公園からけっこう離れていますが、広大な霞城(山形城)はこの付近にまで及んだということですね。

<三の丸土塁>
Revisit2023-Sannomaru-Yamagata.JPG
実は、この土塁を見るのは初めてではありません。前回は土塁の向こう側、細かいことを言うとかつての城内から眺めました。今回は城の外側からです。よくみると、土塁だけでなく、堀跡も確認できます。貴重な遺構です。


<歌懸稲荷神社>うたかけ
Utakakeinari-Gate.JPG
お邪魔させて頂いた歌懸稲荷神社についてですが、歌懸とは、そのむかし歌を短冊に書き奉納する風習に由来するそうです。何となく高尚な感じがして近寄りがたいし、短冊もありませんが、とりあえずは拝殿で手を合わせておきました。

<拝殿>
Utakakeinari-Yamagata.JPG

<本殿>
Utakakeinari-Honden-Yamagata.JPG

歌懸稲荷神社の創建年代は不詳ですが、最上家初代にして山形城の築城者である斯波兼頼が、城の守り神として建立したと伝わります。また、最上義光は天童氏との開戦に際して勝利祈願したとも伝わります。最上家ゆかりの神社ということになりますね。

もともとは山形城内でしたが、最上家が改易されてあとの鳥居忠政の時代に、この地、三の丸堀の外側へ移転したようです。

山形城を築き、城下繁栄の礎を作った最上家ゆかりの神社が、城外へと追い出された感がありますね。
ただそれ以後、縁日である10日ごとに門前で市が開かれ、十日町の名の起こりとなり、城下の人たちとのつながりは深まったようです。それはそのまま多くの人たちの信仰にもつながるわけですよね。殿様の神社とは別の価値が、そこにあるように思えます(あくまで個人感想です)。

<市神>
Ichigami-Yamagata-Utakake.JPG
商の神が祀られています

ということで
霞城三の丸跡石碑と、最上家と深い関りのある歌懸稲荷神社のご紹介でした。

<土塁と石碑>
Stonemonument-Kajosannomaru.JPG
石碑は社殿の裏手になります。

■訪問:霞城三の丸跡碑
歌懸稲荷神社境内)
[山形県山形市十日町] 1-1-26


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■参考
・現地説明板「山形城跡」
(山形県教育委員会)
(山形市教育委員会)
・山形市十日町商店街HP

http://tokamachi.sunnyday.jp/uta.html
posted by Isuke at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]

2023年08月05日

近世米沢城のなごり 三の丸残存土塁

今回は米沢市の市街地に取り残された城のなごりの話です。

<市街地の土塁>
Remains-earthworks-Sannomaru.JPG
ここは米沢城三の丸跡です。開発でかつての遺構はほぼ取り除かれていますが、土塁が残されています。とても貴重な遺構ですね。

<粡町公園>あらまち
sannomaro-dorui-yonazawa.JPG
遺構は児童公園(粡町公園)の一部となっています。炎天下の訪問のためか、子供の姿もなく…

米沢城の歴史はかなり古いですが、本丸を中心に、二ノ丸・三ノ丸で囲う広大な城に改修されたのは近世になってからです(江戸時代初期)。改修者は上杉景勝の命を受けた直江兼続でした。石垣は使用せず、それぞれの曲輪を土塁で囲みました。

土塁とセットの堀の掘削も同時に行われました。現在はその姿は確認できませんが、位置的にこの画像の向こう側が水堀だったことになります。


<稲荷神社の鳥居>
Yonezawa-Gokokuinari-Torii.JPG
土塁の上に鳥居が見えます

<五穀稲荷神社>
Yonezawa-Gokokuinari.JPG
土塁上の五穀稲荷のお堂です。推定ですが、神様が祀られているから、土塁も取り除けなかったのではないかと思います。本丸からみて北東に位置していることから、鬼門の守り神として神社が建てられたとも考えられています。


<土塁滑り台>
Playground-slid.JPG
あれ、これはもしかしたら

<コンクリート滑り台>
Yonezawa-Castle-Playground-slid.JPG
土塁を利用した滑り台です。かなり頑丈そうですね。ここは土塁跡にして神社の境内、そして児童公園でもあるので、相応しい光景なのかもしれません。

滑り降りてみたかったですが、ヘンなオジサンがいると思われること100%のため、やめておきました。


<石碑>
stone-monument-sannonarudorui.JPG
比較的新しい石碑が設置されています。刻まれた文字は、米沢城三の丸土塁…竹?何で竹?

説明を呼んで納得しました。
『土居の崩壊を防ぐために植えられた矢竹は約四百年の風雪に耐え…』と刻まれています。土塁だけでなく矢竹を含めて、貴重な遺跡を残してくれた先人を偲ぶためにこの碑は造られたようです。

<矢竹>
Yadake.JPG
ただの笹かと思いきや、矢の材料にもなる矢竹だったようです。

<現存土塁>
Third-compartment-Yonezawa-Castle.JPG
直江兼続により築かれた三の丸土塁の総延長は約4kmだったと伝わります。今はそのほとんどが失われましたが、これは造り直しではなく、当時の土塁がそのまま残っているわけです。

まさに近世の城として生まれ変わった時の米沢城のなごりです。

■訪問:
米沢城三の丸残存土塁
(五穀稲荷神社)
[山形県米沢市中央]4丁目

■参考及び出典
現地石碑(米沢城三の丸土塁・竹碑)




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2022年08月27日

舞鶴橋(米沢城)本丸正面に架かる橋

米沢城本丸跡の正面入り口に架かる橋の話です。

<舞鶴橋>
Maizuru-bridge.JPG
この橋は過去に何度も渡っているのですが、橋の名はあまり意識しませんでした。舞鶴橋という名は米沢城の別称「舞鶴城」に由来します。

<アーチ式石橋>
Maizuru-Yonezawacastle.JPG
現地には橋に関する説明板もちゃんと設置されていました。以下に転記させて頂きます(『』内は原文)。
『米沢城本丸跡の堀に架かるアーチ式の石橋で、上杉神社の参道として明治19年(1886)に完成した。江戸時代は米沢城の正面にあたり、木製の太鼓橋が架けられていた。舞鶴橋の名称は米沢城の別称「舞鶴城」に由来する。平成10年に国の登録有形文化財に指定された。』

江戸時代は木製の太鼓橋だったわけですね。そして明治に架けられたこの橋は有形文化財。またひとつ勉強になりました。せっかくですので、横から撮った過去画像も貼っておきます。

<撮影2018年>
Maizurubashi-Yonezawa-2018.JPG
よく見ると重厚感がありますね

<撮影2014年>
Maizurubashi-Yonezawa-2014.JPG
本丸跡玄関口の橋です

■訪問:舞鶴橋
米沢城本丸跡(松が岬公園)
[山形県米沢市丸の内]1丁目

■参考及び出典
現地説明板



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