<進徳館>しんとくかん
城跡の一部と言ってよい場所にあります。
城址敷地内に藩校の建物が現存しているのは珍しいそうです。
こちらは先生用の玄関
ここが教室ですね。えっと、その奥は……
和室はみんな応接間に見えてしまうので、玄関に掲示されていた間取り図でもう一度確認したいと思います。
そういうことなんですね
進徳館開校は1860年といいますから、すでに江戸末期です。藩主は第8代の内藤頼直でした。三の丸で空き家となっていた家老の屋敷を、学問所として利用したようです。明治となり、高遠県学校を経て1873年(明治6年)には廃校。学校として機能したのは13年ほどでした。
こちらは学生専用の出入り口。高遠藩では、藩士の子は全員出席させたそうです。学校として存在した期間は短いですが、5百人を超える人材がここで学びました。
他藩と同様に、高遠藩も財政は窮迫していました。しかし、優秀な人材の育成に重きを置いた結果が、進徳館だったのでしょう。
■訪問:進徳館
[長野県伊那市高遠町東高遠]2007
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■参考
・現地説明板・ 間取り図
・Wikipedia:2024/4/14
・伊那市HP(進徳館)
https://www.inacity.jp/shisetsu/kankoshisetsu/shintokukan.html
・おいでな伊那HP(進徳館)
https://inashi-kankoukyoukai.jp/locate/%e9%80%b2%e5%be%b3%e9%a4%a8/
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