つわものどもが夢の跡
今回の訪問は天守台の発掘調査真っ最中の駿府城跡です。一般人も見学できると聞き、訪問しました。
こちらは復元された駿府城の櫓です
■近世城郭■
戦国の世に終止符を打ち、江戸幕府を開いた徳川家康は、将軍職を三男の秀忠に譲り駿府へ移住しました。古い歴史の駿府城は、この時に家康の手によって近世城郭として築城し直されます。
<家康像>
駿府城内で撮影。まぁ分かり易く言えば、駿府城は大御所の拠点ということですね。
<大手門跡>
城の南側の大手門跡。食い違い虎口になっています。
<縄張り図>
三重の堀を持つ輪郭式平城です。近世城郭らしく石垣を廻らせました。本丸の北西には5重7階の天守を配置したと伝わります。
天守はのちの火災(1635年)で焼失してしまい、その後再建されることはありませんでした。でも石垣で固められた天守台は残ります。明治時代に軍の誘致で取り壊され、堀も埋められてしまいますが、今回の発掘調査で地中に埋もれていた天守の基礎部分が明らかにされようとしています。
<発掘調査>
一般人も見学できます。予約も必要なく無料です!
埋められてしまったことが幸いしたとも言えますね。上部が取り壊されても、土中には基底部分が残されていました。
今回の調査で、天守台の下層から別の天守台も発見されたようです。別の天守?
<2つの天守台>
2016年からの発掘調査により、まず家康が築いた天守台が見つかりました。更に、その天守台とは別の天守台が確認されました。これは豊臣時代のもの?というのが有力です。駿府城を築城した家康は、その後関東に国替えしています。もうひとつの天守台は、その後城に入った秀吉の家臣・中村一氏が築いたものとみられています。
奥が深いですね
■駿府城公園■
縄張り図では堀が三重になっていましたが、内側の堀は埋められ、外側の堀は一部埋められ、中堀が当時を思わせる雰囲気で残っている状態です。中堀の内側、つまり二の丸と本丸が駿府城公園として整備され、遺構と復元された櫓により、かつての城のなごりを楽しむことができます。城好きの方々からは厳しい言葉も聞かれますが、都市開発の波のなかで、平城を良くここまで残してくれているなと私は感心しました。
<中堀>
<巽櫓>
<二の丸>
<坤櫓>ひつじさるやぐら
二ノ丸の南西の方角に復元された櫓です。未(ひつじ)と申(さる)は方角を表しています。
公園を中心にご紹介しましたが、外にも断片的に城のなごりが漂います
■つわものどもが夢の跡■
長らく埋められていたことで確認できる遺構。正真正銘のなごりですね。
----------■ 駿府城 ■----------
別 名:府中城 静岡城
築城年:1589年(天正17)
(今川氏居館時代除く)
築城者:徳川家康
改修年:1607年(慶長12)
改修者:徳川家康
城 主:徳川氏 中村氏
内藤氏(松平氏)
廃 城:1869年(明治2)
[静岡県静岡市葵区駿府城公園]
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2019年11月04日
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