所沢市の古戦場へ向かう途中で、こんな標柱に足が止まりました。
<標柱>
何となく嬉しい標柱でした。この日は、上州から鎌倉街道を南下して鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞を意識しての訪問だったので。
<古道>
東村山駅付近(南側)から府中街道を北上すると、こんな光景が目に入ります。この付近までは右側の道路(府中街道)が鎌倉街道ということになりますが、ここから先は左手の細い道になります。先ほどの標柱もここを入ってすぐのところで撮影しました。
関東統治のため、鎌倉幕府は諸国と鎌倉を結ぶ街道を整備しました。そのうちのひとつ、鎌倉街道上道(かみつみち)は、武蔵国をひたすら北上するように整備された街道です。その通過点である東村山でも、南北に貫くように道が通っています。
<鎌倉古街道>
鎌倉からみれば北上する道ですが、鎌倉へ向かう側にしてみれば南下する道ですね。そのまま新田軍の進軍ルートとなりました。幕府のめだてはなく、幕府を倒すためとなりましたが「いざ鎌倉」への道です。
当たり前のことですが、この時代の関東の中心は小田原でも江戸でもなく、鎌倉なんですよね。
■訪問:鎌倉古街道跡
[東京都東村山市本町]2丁目
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2024年02月03日
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