2023年の晩秋、東北の伊勢とも呼ばれる山形県南陽市の熊野大社へ行ってきました。
<熊野大社>くまのたいしゃ
和歌山県の熊野三山、長野県の皇大神社とともに、日本三熊野のひとつとされています
熊野大社は806年(大同元年)に平城天皇の勅命で再建されたと伝わる歴史ある神社です。長い歴史のなかには、米沢藩の礎を築いた重臣・直江兼続が大旦那となり、社殿の修復が行われたこともありました。これが1604年(慶長9年)のお話。主である上杉景勝が、徳川家康を敵に回した代償として、会津120万石から米沢30万石に減封された僅か3年後の話です。
上杉家は所領を大幅に減らされながら、家臣の解雇はしませんでした。30万石は決して少ない石高ではありませんが、ピーク時の僅か4分の1です。そんな苦しい状況にあっても、兼続にとって熊野大社への支援は欠かせないことだったのでしょう。
慶長9年の御宮建立棟札に「大旦那直江山城守」の記録が残されているそうです。
ちなみに
熊野大社への支援では、あの伊達政宗も名を連ねています。既に仙台藩主となっており、上杉家とはまだ対立する関係でしたが、政宗は米沢の出身であり、古くからの聖地に思いがあったのではないでしょうか(あくまで個人の想像です)。
<南陽市宮内>
熊野大社の所在地は南陽市宮内。地名が熊野大社の神域に由来することは明らかですね。南陽市はかつての米沢藩の一部。ここから数百メートルのところには、上杉配下の城がありました。守っていたのは家臣の尾崎氏(泉氏)。この尾崎氏は直江兼続の母(蘭子)、つまり父・樋口惣右衛門の妻の実家です。兼続にはこういったご縁もあったわけですね。
<大銀杏>
参道の入口には樹齢900年を超えるといわれる大イチョウ。山形県指定の天然記念物です。私の訪問は11月で、ちょうど見頃でした。源義家の家臣・鎌倉権五郎景政が植えたと伝わりますので、平安時代後期からずっとここに佇んでいるわけですね。ということは、社殿の修復に尽力した直江兼続も見上げたということでしょう。
<石段>
俗世と切り離された別世界へ導かれているようです
<拝殿>
荘厳の拝殿。漂う空気が違いますね。立派な茅葺屋根は平成の大規模改修により、かなり新しく映ります。
<拝殿正面>
熊野大社は上杉家の居城である米沢城の東北にあたることもあり、鬼門の鎮守として大切にされました。正式名称は熊野神社ですが、一般には熊野大社と呼ばれています。
直江兼続を手本として改革に挑み、米沢藩中興の祖となった上杉鷹山も、熊野大社を崇敬し、社殿他の再建に関わったそうです(1778年)。
ところで
<三羽のうさぎ>
本殿裏側のこの見事な彫刻には、うさぎが三羽いるそうです。三羽すべてを見つけると、願い事が叶うとのこと。熱心な方は二羽目まではみつけるそうですが、三羽目が難しいのだそうです。しかも、見つけても人に教えてしまうとご利益はないそうです。
秘密にする以前に
私は一羽しか見つけられませんでした。しかも、周りの人のひそひそ話を耳にして見つけただけです。
<結うさぎ>ゆわいうさぎ
三羽のうさぎにちなんだ置物。境内でおみくじ付きの兎も購入できます
兎年の2023年もあとわずかです。
大晦日になると、来年は良くなりますようにと願いますが、今年も大した成果はありませんでした。個人的にも、そして世の中も。
大それたことを願うつもりはありませんが、苦しい状況に立ち向かって生きた先人たちを見習って、少しずつマシにしていく一年を始めたいと思います。
<熊野大社の鐘>
拙ブログは2024年も続けていきますので、宜しくお願い致します。
<拝殿の龍>
2023年(令和5年)12月31日
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■参考
・現地説明板(熊野大社)
・Wikipedia:2023/12/31
・熊野大社HP
https://kumano-taisha.or.jp/
2023年12月31日
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