<伝源経基館跡>でんみなもとのつねもと
源経基が行政官として坂東に赴いた時の館と推定されています。あくまで、そう「伝」えられている場所ですが、埼玉県指定史跡となっている貴重な館跡です。
<微高台地>
一定の高低差のある台地上に築かれているようなので、分類すると山城ということになります。
<低地>
逆側(西側)は低地です。むかしは荒川の湿地帯が広がっていたと思われます。低湿地に面した台地上に館を構えたわけですね。
<内部>
入口付近より高い位置へ登ると視界が開けます
<郭>
なるほど。中世の館に相応しく単郭式の城跡ですね。東西約95m、南北約85mとのこと
<土塁>
縄張り図はありませんが、ほぼ方形の区画の周囲に、こういう堀を巡らせていたのでしょう
<堀跡>
低湿地に面した西側を除く三方に土塁と空堀をめぐらしたようです。
国司として武蔵国へ入ったといっても、地場の領主や領民が諸手を挙げて歓迎してくれるわけではありません。万が一備えた念入りな館を設備したのでしょう。
<館跡の北側>
フェンスの向こう側は県立高校です
<堀と土塁>
土塁の上に塀または柵を設けていたと思われます
<六孫王経基城阯>ろくそんおうつねもとじょうし
立派な石碑です。皇族の時に六孫王と名乗ったとされる源経基の城跡であることが記されています。経基は清和天皇の皇子の子で、第6子であったことから六孫王と称したと伝わります。
源経基は、清和源氏の中で最も子孫が族繁栄した経基流清和源氏の初代です。具体的に言うと、東国における源氏勢力の基盤をつくった源義家、鎌倉幕府を開いた源頼朝、足利将軍家やその一門の祖となった人物です。
そんな人物がここを拠点とした。
そう思えば、遺構のひとつひとつが奥深いです。
<つわものどもが夢の跡>
まだまだ環境の整わない武蔵へ下った経基は、ここで何を思いましたかね?
■訪問:伝源経基館跡
(別称:箕田城)
[埼玉県鴻巣市大間]
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■参考
・Wikipedia:2023/12/30
タグ:埼玉