創建は938年。嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏の祖・源仕(みなもとのつこう)が建立したと伝わる神社です。
源仕は武蔵国の国司として関東に下向しました。官物の横領や国府の襲撃を働いたという物騒な話も伝わりますが、処分されたという記録もないそうです。何か深い事情でもあったのでしょうか?
源仕は任期終了後も京都へは戻らず、そのまま箕田(現在の鴻巣市北部)に土着し、豪族となりました。清和源氏3代目・源頼光に従事した四天王の筆頭・渡辺綱(わたなべのつな)はその孫です。
源仕が大国主命のおつげにより神社を造営したことに始まります
御由緒には『嵯峨源氏の末流の渡部仕』と記されていますね。もともとは氷川神社として創建されましたが、明治になって大間地区と北中野地区から文字(大と野)をとって大野神社に改称されたようです。
氷川山大野神社です。
こちらの「大野神社記」には『鎌倉末期に改築されその後文禄年中に北條の家臣道祖士満兼が再建に努力されました』とあります。
鎌倉末期の改築はよいとして、文禄は戦国末期ですので、既に小田原北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされています。よって、武蔵国に定着していた元家臣ということになりますね。道祖土という名は全国的には珍しいですが、埼玉県では時々耳にする苗字です。遡ると下野の名族那須氏の一族と言われていますが、ここに登場した満兼の祖先についてはよくわかりません。
現在の祭神は大国主命・須佐之男命・奇稲田姫の3柱です。
ということで
箕田源氏による建立から始まる大野神社のご紹介でした。拙ブログにお付き合い頂きありがとうございます。
<大願成就>
理屈抜きにいいですね!
■訪問:大野神社
[埼玉県鴻巣市大間]2丁目
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■参考及び出典
・現地説明板(大野神社御由緒)
・現地説明板(大野神社記)
・猫の足あと「大野神社」
https://tesshow.jp/saitama/konosu/shrine_oma_ono.html
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