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2024年08月13日

草木塔(米沢市)石碑に込められた畏敬の念

<草木塔>そうもくとう
Stone-Monument-Somokuto-Yonezawa.JPG
米沢市の松が岬公園で撮影した草木塔草木への感謝の念を記した石碑です。諸説ありますが、草木塔のはじまりは、江戸の米沢藩邸焼失(1772年)や、米沢城下の大火(1780年)により、山林の木々が大量に伐採されたことがきっかけとなったようです。この時の藩主は、米沢藩の中興の祖となる上杉鷹山でした。

<石碑と説明板>
Somokuto-Yonezawa.JPG
説明板が設置されています。引用しながらご紹介させて頂きます(『』内は原文)。
『草木塔は、江戸時代中期の安永9年(1780)に現在の米沢市田沢地区に建てられたものが最古とされ』ています。草木塔は草木供養塔ほかいくつかある呼び名の総称とのこと。『全国で34基確認されている江戸期の草木塔のうち、32基が山形県南部の置賜地方に分布し、米沢市には17基が建てられています』。つまり大半は山形県南部、約半数は米沢ということになります。そのうち10基は田沢地区にあり、これにより田沢地区は「草木塔の里」と呼ばれているようです。

田沢地区は米沢の中心からみて西側の山岳地帯。伐採した木材を川を使って輸送する「木流し」が盛んに行われていました。そこで暮らす人々が『草や木にも魂があることを感じ取り、自然への畏敬や感謝、供養の気持ちを込めて草木塔を建立した』と考えられているようです。

ここに記載されていませんが、江戸屋敷再建に際して、藩主である上杉鷹山が感謝の念を込めて草木塔を建てたとも伝わっているようです。また、草木塔の分布が山形県南部集中していることから、鷹山が推奨したのではないかという説もあります。

いずれにせよ
江戸時代中期に生きた人たちが、自然をおそれ敬う思いが石碑に刻まれているわけですね。

以下は原文そのままです。
『近年、「自然との共生」という観点で改めて注目されるようになり、草木塔の精神に共感する人々によって、全国各地や海外にも新たな草木塔が建立されています。なお、米沢市にある江戸期の草木塔は、全て市指定有形民俗文化財となっています。』

自然との共生

現代人がいま最も見つめ直そうとしている観点ですね。

■訪問:草木塔
(松が岬公園)
[山形県米沢市丸の内]


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■参考及び引用
・現地説明板(米沢市)
・Wikipedia:2024/8/13

posted by Isuke at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | その他
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