復原された米沢藩の米蔵です。場所は福島県庁の南側の阿武隈川沿い。福島市御倉町です。
なんで福島に?
米沢藩は有効な物流の拠点として、福島藩内の阿武隈川河岸に米蔵を設けました。当時、阿武隈川を利用した舟運は盛んで、河岸(かし)と呼ばれる荷物の揚げ下ろしをする船着場が設けられ、地元の蔵だけでなく、会津藩や米沢藩の蔵も建ち並んでいました。
<阿武隈川>あぶくま
福島城の南側を流れる阿武隈川です。福島城は江戸初期まで米沢藩の配下でした。しかし藩主の後継者問題に起因するペナルティで米沢藩の所領は大幅に減らされ、福島城も手放すことになりました。
<舟運の拠点>
この地は天領となり、年貢米を江戸へ移送するための拠点となりました。このことが、もともと機能していた舟運が、ますます盛んになるきっかけとなったようです。
<説明板>
後半を転記させて頂きます
『福島河岸は福島城の南にあたり、阿武隈川舟運図(一七六九〜七〇年頃製作)には一番東に城主蔵、その西に御城米(幕領の米)御蔵、その隣に廻米を請け負っていた上総屋幸右衛門の船会所、「上杉弾正大弼様御蔵」米沢藩の米蔵が並んで描かれています。上杉弾正大弼は、上杉鷹山のことです。』
上杉弾正大弼(だんじょうたいひつ)はひとりではありませんが、年代からして上杉鷹山のことですね。藩主の時の名は上杉治憲。財政難のどん底から藩を救った中興の祖も、阿武隈川の舟運を利用していたようです。
<御倉町地区公園>
米蔵は御倉町地区公園(御倉邸)内にあります。
■訪問:旧米沢藩米蔵
(御倉町地区公園内)
[福島県福島市御倉町]1
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■参考及び引用
・現地説明板
・Wikipedia:2024/8/9
・福島市HP
公園 > 御倉邸(御倉町地区公園)
https://www.city.fukushima.fukushima.jp/kouen-kanri/machizukuri/koenhiroba/koen/1825/index.html
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