<米沢城本丸跡>
ここ米沢城を居城とした伊達家と上杉家の紋は、どういう訳か似ています。両家ともに「竹に雀」の紋。歴史ファンにはよく知られていることですが、その経緯について、詳しい説明を記した説明板をみかけましたのでご紹介させて頂きます。
<説明板>
こちらです。上杉家廟所・米沢城と舘山城、そして上杉家と伊達家の紋について説明がなされています。
<よく似た「竹に雀」>
左側が家紋に関する説明です。一部を下記に転記させて頂き来ます(『』内は原文のまま)。
『上杉家と伊達家の紋はどちらも「竹に雀」。二羽の雀とともに上杉家は輪竹、伊達家はたくさんの葉が広がる根竹が描かれます。そもそも「竹に雀」を最初に用いたのは藤原氏の一族・勧修寺家ですが上杉家の祖が勧修寺重房であることから、「竹に雀」の紋を使用しました。一方、伊達家は稙宗(政宗の曽祖父)の三男・時宗丸が越後上杉家(謙信が継いだ山内上杉家とは別)の養子に決まり、越後上杉家から「竹に雀」の幕紋(陣幕に描かれる紋)が贈られたことに始まります。養子の幕紋は華やかにアレンジされ伊達家の紋として用いられるようになったのです。』
この説明だと、婚姻にともなう引出物のような形で上杉家から贈られ、受け取った伊達家では、これを原型とした紋を代々受け継いできたということですね。つまりそれ以前、政宗よりわずか三代前まで、伊達家の紋は別のものでした。婚姻の話そのものは、諸事情でなくなってしまいましたが、紋だけは残ったということのようです。
<両家の紋>
伊達家と上杉家。生命力が強い竹と雀の家紋です。
■訪問:米沢城本丸跡
(松が岬公園)
[山形県米沢市丸の内]
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■参考及び引用
・現地説明板(米沢市)
・Wikipedia:2024/8/17
2024年08月17日
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