アフィリエイト広告を利用しています

2024年09月28日

城址公園のシンボル(沼田城)真田信吉が思いを込めた城鐘のなごり

<沼田公園の鐘楼>しょうろう
Numata-Park-Bell-Tower.JPG
いまや沼田城跡のシンボルとなったてる鐘楼。鐘の始まりは、沼田城主が真田信吉の時でした。

信吉は真田信之の長男です。父である信之が祖父・昌幸から沼田を任されたように、信吉も父から沼田の統治を任されました。領内の安泰を祈願して、城鐘を鋳造させたそうです。父同様、領民思いの城主だったようです。

信吉亡きあとの話になりますが、真田家による沼田統治は五代91年で幕引きとなります。終焉を迎えるにあたり、沼田城は徹底的に取り壊されました。信吉が思いを込めた城鐘はどうなったのでしょうか?

以下は沼田市教育委員会さんによる鐘楼の説明文です(『』内は写しです)。
『真田氏が沼田城主時代は城内に建てられていたが、廃城により取りこわされた。明治二十年ごろ沼田町役場(藩役所跡 現市役所)東北隅に楼を建て柳町歓楽院の梵鐘を借りて時の鐘にした。十年後に楼を修復した際その鐘を返し平等寺で保存の城鐘を懸け替えた。
以来鐘楼は鐘橦堂と呼ばれ、戦時下にも供出をまぬがれたその鐘の音は、永く市民に親しまれてきた。昭和三十九年市役所庁舎建設に際し撤去されたが、市民の熱望により城の本丸跡のここに移して復元新築された。』


真田時代の鐘は、城の破却で役割を終えたわけですね。城鐘を活用しようと動きだしたのは、かなりあとの明治になってから。鐘の音は長きに渡って市民に親しまれ、その市民の要望に応えるかたちで、城跡である沼田公園内に新たに復元されたということのようです。

<城鐘>じょうしょう
Numata-Castle-Bell.JPG
市民の思いが込められています

少し補足すると、現在の鐘は複製で、城鐘のオリジナルは、群馬県重要文化財の指定を受けて沼田市歴史資料館に展示されています

<沼田公園のシンボル>
Numata-Park-Symbol.JPG
沼田公園のシンボルは真田時代のなごりといえますね

■訪問:沼田城本丸堀跡
[群馬県沼田市西倉内町]


お城巡りランキング

■参考・出典
・現地説明板
(沼田市教育委員会)
・沼田市観光協会HP
 >沼田城

https://www.numata-kankou.jp/sanada/index.html
タグ:群馬
posted by Isuke at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12724083
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 高岡城のなごり
  3. 3. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  4. 4. 忠臣蔵名シーンの舞台となった坂道(南部坂 雪の別れ)
  5. 5. 高遠城のなごり
  6. 6. 縁切橋跡(行田市) 城主と妻の悲話が伝わる橋
  7. 7. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  8. 8. 街の中の土塁跡 山形城三ノ丸のなごり
  9. 9. 内匠頭御預かりの田村家のルーツ(田村右京太夫屋敷跡)
  10. 10. 高天神城のなごり
  11. 11. 真田の城 上州沼田城
  12. 12. 金沢城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)