いまや沼田城跡のシンボルとなったてる鐘楼。鐘の始まりは、沼田城主が真田信吉の時でした。
信吉は真田信之の長男です。父である信之が祖父・昌幸から沼田を任されたように、信吉も父から沼田の統治を任されました。領内の安泰を祈願して、城鐘を鋳造させたそうです。父同様、領民思いの城主だったようです。
信吉亡きあとの話になりますが、真田家による沼田統治は五代91年で幕引きとなります。終焉を迎えるにあたり、沼田城は徹底的に取り壊されました。信吉が思いを込めた城鐘はどうなったのでしょうか?
以下は沼田市教育委員会さんによる鐘楼の説明文です(『』内は写しです)。
『真田氏が沼田城主時代は城内に建てられていたが、廃城により取りこわされた。明治二十年ごろ沼田町役場(藩役所跡 現市役所)東北隅に楼を建て柳町歓楽院の梵鐘を借りて時の鐘にした。十年後に楼を修復した際その鐘を返し平等寺で保存の城鐘を懸け替えた。
以来鐘楼は鐘橦堂と呼ばれ、戦時下にも供出をまぬがれたその鐘の音は、永く市民に親しまれてきた。昭和三十九年市役所庁舎建設に際し撤去されたが、市民の熱望により城の本丸跡のここに移して復元新築された。』
真田時代の鐘は、城の破却で役割を終えたわけですね。城鐘を活用しようと動きだしたのは、かなりあとの明治になってから。鐘の音は長きに渡って市民に親しまれ、その市民の要望に応えるかたちで、城跡である沼田公園内に新たに復元されたということのようです。
<城鐘>じょうしょう
市民の思いが込められています
少し補足すると、現在の鐘は複製で、城鐘のオリジナルは、群馬県重要文化財の指定を受けて沼田市歴史資料館に展示されています。
<沼田公園のシンボル>
沼田公園のシンボルは真田時代のなごりといえますね
■訪問:沼田城本丸堀跡
[群馬県沼田市西倉内町]
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■参考・出典
・現地説明板
(沼田市教育委員会)
・沼田市観光協会HP
>沼田城
https://www.numata-kankou.jp/sanada/index.html
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