米沢市内を散策中、小さなお堂に足が止まりました。
何かが祀られていることは間違いなさそうだが…
すぐ近くに設置されている説明板のお陰で、ここがどんな場所なのか理解できました。
風の神か…
少し長いので以下に要約させて頂きます。
雪の降る寒い大晦日に、みすぼらしい姿の僧が一夜の宿を求めて夏井家を訪れます。夏井家ではこれを快くもてなしました。翌朝その僧は、自分が風の神であることを告げ、鬼門に祀る厄除けのお札を置いて去っていきます。屋敷の鬼門に祠を建て、そのお札を「風の神」として祀ったところ、その後疫病が流行って多くの人が苦しんだ時も、夏井家ではだれ一人として疫病にかかることはありませんでした。
よい話ですね。「風の神」とは、いわゆる風をつかさどる神のことではなく、病を遠ざけてくれる神のようです。
さて
これで終わりではなく、続きがあります。
その後、夏井家の移転の時に「風の神」もお堂とともに移転。屋敷跡は病院となりましたが、医師の家の人々が熱病にかかり、不思議に思って占い師に相談したところ「神域跡地を汚したため」ということだった。「風の神」のお堂跡地を、乳を採るための山羊の飼育場に使っていたことが原因と分り、聖地を清めてお堂を建て、京都八幡神社から「風の神」の御分霊を受けて頂いて御神体として奉納した。
少し省略ています。あと、京都八幡神社がどの八幡をさしているか分かりませんが、大筋はそういう説明になっています。
ちなみに
ブログにまとめようと思って米沢市のホームページ(城下町ふらり歴史探訪)を読ませて頂くと、前半部分はほぼ同じですが、夏井家移転後の話が少し異なります。
どういうことかというと
他の町に移転した夏井家では不幸が重なり、これは風の神を移した祟りと考えて、元の場所に風の神を分霊し、町内会に祀ってもらうようお願いした。風の神は風邪を防ぐ神様として信仰されていたので、町内会では別当を舘山口町の千勝院に依頼し、お札を配り、祭りを続けたとのこと。
いずれにせよ
夏井家に現れた風の神は、夏井家が去ったあとも地元民によって大切にされたのだと受け止めることにします。そういった理由から、むかし夏井家屋敷のあった敷地に検察庁が建てられる時にも、お堂はそのまま残されたというわけですね。
米沢市ホームページによれば、夏井家は元々は会津蘆名氏の家臣。蘆名氏が滅んだ後、直江兼続を頼って米沢に来たようです。
ということで
米沢の「風の神」のご紹介でした。
最後に個人的な感想を付け加えさせて頂くと、「風の神」は長い年月を経て「風邪の神」となったような気がします。冒頭で紹介されている話、雪降る大晦日に現れた僧が元旦にお札を置いて去っていく話は、現実味があるいい話だと思いました。そして、頂いたお札を大切に祀った夏井家では、流行り病に悩まされることがなかった。どちらもあり得る話ですね。信心深さから、語り継がれるうちにいろいろと変わっていき、「風邪の神」となったのではないでしょうか。ちょっと考え過ぎですかね?
まぁどうであれ、人が何かに感謝する気持ちが伝わってくる素敵な場所でした。方向音痴が幸いし、偶然出会えたことに私も感謝します。
■訪問:風の神
(検察庁敷地内)
[山形県米沢市城北]2丁目
■参考及び出典
・現地説明板
(作成:米沢商工会議所)
・米沢市HP
(城下町ふらり歴史探訪)
>風の神
https://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1782.html
<参考>
「風の神」のすぐお隣の裁判所は、米沢上杉家の重臣の色部家屋敷跡です。
お城巡りランキング
2023年08月20日
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