<上杉家御廟所>
[米沢市御廟]1丁目
この御廟所については、以前当ブログでもご紹介したさせて頂きました。
記事→『荘厳の廟所』
今回は九代藩主鷹山、そして藩主になるはずだった鷹山の実子についてご紹介させて頂きます。
<歴代藩主の廟>
廟が整然とならんでいます。初代藩主・景勝に始まり、以後12代までがこの地に埋葬されています。
<九代藩主・治憲(鷹山)>
一番左が鷹山の廟です。右隣とは屋根の造りが違いますね。倹約のため簡素化し、材質も落としているそうです。
<小さな廟>
その鷹山の廟の左側の奥。歴代藩主より一段下ったところに、やや小さな廟が設けられています。
これは鷹山の長男の廟。鷹山は、側室お豊の方との間に子を授かりました。名は顕孝(あきたか)。鷹山同様に細井平洲を師と仰ぎ、将来の藩主となることが期待されました。しかし病気のため若くして他界してしまいました。鷹山の名言「なせば成る・・・」は、顕孝に心構えを示した言葉とも言われています。
倹約質素を貫き、生涯を藩の改革に捧げた上杉鷹山。特別な待遇があるとしたら、この墓所だけかも知れません。鷹山は歴代藩主、そして息子・顕孝とともにこの地に眠っています。
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----------■ 参考画像 ■----------
<上杉顕孝の廟>
本文は木漏れ日の影響で顕孝の廟が見えにくいため、別の日に撮影した画像を貼っておきます。
2017年12月31日
この記事へのコメント
山根さん、コメントありがとうございます(返信遅くて恐縮です)。正室、つまりは幸姫ですね。鷹山は幸姫が短い生涯を閉じるまで側室はおきませんでした。ただその後、後継者を心配する周囲の勧めもあり側室を迎えました。そして誕生したのが顕孝です。
Posted by Isuke2020 at 2018年06月16日 23:16
失礼します。記事読みました。上杉鷹山が、病弱の正室を大事にした話は知ってましたが、こんな事実があったんですね。ちょっと驚きです。
Posted by 山根雄大 at 2018年06月14日 20:44
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