北関東の名族・小山氏の館跡を訪ねました。
<神鳥谷曲輪>ひととのや
こちらです。まずこの神鳥谷という地名ですが「ひととのや」と読みます。現地はJR小山駅から徒歩で20分程度でしょうか。更地となっており、説明板が設置されています。説明板によれば、平成19年に本格的な発掘調査が行われ、道路跡や井戸跡などが確認されました。
<説明板>
詳細が記されています。原文の前半を以下に転記させて頂きます。
『神鳥谷曲輪跡は、平成十九年一月から行われた発掘調査により、当地を治めていた小山氏が一三世紀後半から一四世紀の終わり頃まで使用した館(平時の住い)であることがわかりました。小山義政による乱の時に焼失し、館としての機能を終えたと考えられます。』
<説明板写真>
館は一辺約200mの方形。敷地はかなり広範囲だったようですね。現地はJR宇都宮線沿いですが、線路の向こう側も敷地の一部で、更に土塁が残っているとのこと。
<館跡東側>
あの付近ですね。土塁らしきものが見えています。すぐ近くが踏切ですので、ちょっと迂回して見に行くことにしました。
<土塁跡>
周囲は住宅です。それにも関わらず見事な土塁が残っています。
<土塁の上>
見事な遺構。右手は線路です。降りられなくもないのですが、どこからが線路内とみなされるか分からないので、ここまでにしておきました。
小山氏は藤原秀郷の末裔で、中世の下野国を代表する名族です。初代である小山政光(太田政光)が小山の地に移住したのが1150年頃とされています。実は、私は神鳥谷曲輪はこの時に小山政光が拠点とした館跡と思って訪問しました。しかし現地の説明文を読む限り、ちょっと認識が違ったようです。第11代当主の小山義政による乱(1380年)で焼失とありますので、一定期間は小山氏代々の館として役割を担っていたわけですね。
小山市内には祇園城・鷲城・中久喜城といった小山氏の城跡が複数残ります。これらは有事の拠点、そして今回訪問の館跡は平時の住み家ということになります。
<館のなごり>
小山政光から始まり、関東屈指の武士団となった小山氏の歴史は、戦国期まで約400年も続きます。ここ神鳥谷曲輪も、その舞台だったわけですね。
<曲輪跡>
つわものどもが夢の跡
■訪問:神鳥谷曲輪
(別称:小山氏館)
[栃木県小山市神鳥谷]
■参考及び出典
・現地説明板
・Wikipedia:2023/5/20
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