ということで、本懐を果たした浪士たちが、泉岳寺に向かう道中に渡った橋をご紹介します。渡った橋なら他にもありますが、こぼれ話が伝わる港区の橋の話です。
<金杉橋>かなすぎはし
こちらです
<国道15号>
国道15号が古川を渡る地点に架けられている橋です。旧東海道であり、江戸時代には既に橋が架けられていました。
さて
吉良邸のあった本所(両国)からここまでくれば、泉岳寺は目と鼻の先です。ここで大石内蔵助は、四十七士のひとり・磯貝十郎左衛門に声を掛けます。十郎左衛門には病床の母がいて、金杉橋のお隣の将監橋近くに身を寄せていることから、立寄って暇乞い、つまり別れを告げてくるように促しました。
<古川と将監橋>しょうげんはし
金杉橋から見た古川の上流です。奥に将監橋が見えています。すぐ近くですね。
磯貝十郎左衛門は、突然切腹となった主の亡骸を片岡源五右衛門らとともに引き取り、泉岳寺に葬った男です。その日のうちに仇討ちを決意したものの、筆頭家老として浅野家再興を優先する大石内蔵助と話が合わず、独自の行動で仇討ちの機会をうかがっていました。最終的には赤穂四十七士に名を連ねますが、主君への熱い思いは、内蔵助にも充分伝わっていたはずです。金杉橋での配慮には、そういった背景があったのでしょう。
しかし、十郎左衛門はこれを辞退しました。病の母、そして母を預かってもらっている家に災いが及ぶことを懸念したからです。その思いも、内蔵助には伝わっていたことでしょう。
そんな心のやりとりがあった橋です
ということで
本懐を遂げた赤穂浪士たちが渡った金杉橋と、四十七士のひとり・磯貝十郎左衛門のお話でした。十郎左衛門は通称で、正式には礒貝正久といいます。ちょっと付け足すと、利発な上に美男子だったそうです。
■訪問:金杉橋
[東京都港区芝1丁目]
[ 〃 浜松町2丁目]
■参考
Wikipedia:2022/12/13
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