<尾山神社>おやまじんじゃ
創建は1873年(明治6年)です。前田利家が没したのは1599年(慶長4年)ですから、相当あとの話になりますね。この当時、各地で藩祖又は藩主を祀る神社が流行りとなっていました。尾山神社の創建も、そういった世の中の風潮に乗ったものだったようです。それまで前田利家の霊が祀られていた卯辰八幡社は、尾山神社建立を境に宇多須神社となりました。
<鳥居>
堂々とした鳥居は日本風ですが…
<神門>
え?これが神社の門!和漢洋の三様式が混合されたこの珍しい神門は、国の重要文化財に指定されています。
<異彩>
神社でステンドグラスかぁ…ちなみに、てっぺんの避雷針は日本で最古のものとのことです。
<拝殿>
旧加賀藩士等により社殿が築かれました
<前田利家像>
かなり高い位置に設置されています。
<槍の又左>やりのまたざ
豊臣政権下で五大老に名を連ねた大御所の姿ではなく、織田信長配下で槍の又左衛門として名を馳せた頃の雄姿ですね。利家は当時としてはかなりの大男で、180cm前後はあったようです。
<母衣>ほろ
背中の大きな丸い袋は母衣です。若い頃の利家は赤い母衣を背負う母衣衆のリーダー的な存在でした。敵から目立ってしまいますが、背後から飛んくる矢から身を守る効果がありました。
<境内の様子>
尾山神社の境内は、もともとは金沢城の一部で、金谷出丸と呼ばれていました。出丸はやがて隠居した藩主の居住地となり、金谷御殿と呼ばれました。
<東神門>
見どころ沢山の境内と比較するとちょっと地味ですが、尾山神社の裏門(東神門)には、かつての金沢城二の丸の門が移設されています。
<金谷神社> かなやじんじゃ
こちらは境内にある金谷神社です。利家の嫡男・利長から始まる前田家歴代当主、そしてその正室が祀られています。前田家の血筋は現在も受け継がれています。
<神苑>しんえん
旧金谷御殿の池泉廻遊式の庭園とされています。江戸末期から明治初期にかけて造られたようです。廃藩置県が1871年(明治4年)ですから、藩として造園した最後の庭園の部類と思われます。
<おまつの方の石碑>
藩祖・前田利家を祀る神社として創建されましたが、1998年(平成10年)に正室のお松の方も合祀されました。松は利家を支え続け、没後は菩提を弔うために出家して「芳春院」と号しました。息子利長が徳川家康から謀反の疑いをかけられると、自ら人質として江戸に入り、加賀藩を救いました。
<観光名所>
「利家とまつ」が祀られ、金沢の人気スポットのひとつとなっています。
■訪問:尾山神社
[石川県金沢市尾山町]11-1
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■参考
・Wikipedia:2023/10/25
・ほっと石川旅ねっと
>石川の観光スポットを探す>尾山神社
https://www.hot-ishikawa.jp/spot/4830
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