<尾山神社東神門>
安土桃山時代の様式の唐門。たび重なる火災に悩まされ、多くの建築物が失われた金沢城にあって、これは貴重な遺構です。
<説明板>
こちらに詳細が記されていますので、ご紹介させて頂きます(『』内が原文の転記)
『この神門は、金沢城二ノ丸御殿にあった一間一戸の向唐門と伝えられています。明治三年(一八七〇)頃に卯辰山にある招魂社の神門として移され、昭和三十八年(一九六三)に現在地に移築されました。
一部の細部様式に江戸時代後期の特徴が見られることから、文化六年(一八〇九)の二ノ丸御殿再建時の建立と推測されています。』
二ノ丸御殿とは、城の火災を機に本丸に代わって城の中心となった場所です。加賀百万石の中心ですから、さぞ立派な御殿だったのでしょう。向唐門(むかいからもん)は格式が高いとされる建築様式です。細部の様式から、江戸後期の再建時のものと推測されているとのこと。再建? 二ノ丸御殿は江戸時代を通して二度焼失しているようです。
説明文の残りの部分をご紹介します。
『その一方で、文化五年の二ノ丸御殿の火災の際に、唐門に施された二匹の龍が水を呼び、この門だけが難を逃れ残ったという伝説があります。』
なるほど
龍が火災から城門を守った…
<二匹の龍>
向き合う龍
日本において龍神は水を司る神さま
素敵な伝説ですね
■訪問:尾山神社東神門
[石川県金沢市尾山町]11-1
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■参考及び抜粋
・現地説明板(金沢市)
・Wikipedia:2023/10/29
-----------( 追 記 )-----------
東神門まで足を運んだら、一旦階段を下りて通りに出ることをお勧めします。通りはかつての堀跡です。
<堀跡から見上げた景色>
水堀から金沢城を見上げていることになります。すごい高低差です。
<斜面>
急勾配を登り切っても石垣が待っています。「いもり堀」と呼ばれるこの堀の跡は、画像の右手奥まで続き、更に進んだ先では、一度は埋められた水堀が復元整備されています。
そして
逆側には橋と門
<鼠多門>ねずみたもん
出丸と金沢城の連絡通路といったところでしょうか。具体的には金谷出丸(現在の尾山神社の敷地)と金沢城西側の玉泉院丸を繋ぐための橋、そして城門です(復元)。金沢城のみどころのひとつです。実際に橋を渡って見学するのも良いですが、できれば一度下から見上げることをお勧めします。
以上です。追記が長くて恐縮です。
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