本来そこにあったものの余韻が漂う。人がそれを感じ取るアンテナはたくさんあるかと思いますが、今回は舗装された道路の表面に感じる城のなごりの話です。訪ねたのは栃木県野木町の法音寺城跡です。
まずは一目瞭然の城のなごりから
<土塁>
土塁跡です。手前側が城内で、土塁の向こう側、つまり外側には堀が設けられていました。
<土塁の向こう側>
ちょっと分かりにくいですが堀跡です。
つづきまして
<法音寺境内の堀跡>
こちらは法音寺の境内(裏手)の竹林に残る堀跡です。
<堀跡>
盛り土したような僅かな起伏と共に堀跡が確認できます。
前回の法音寺城跡に関する投稿で、冒頭の土塁と堀について「いまは道で遮断されていますが、境内の堀と繋がっていたと思われます」とコメントさせて頂きました。現地で位置関係を確認しただけで充分そう思えましたが、『間違いない』という心境に至った目印をご紹介します。
<道路の舗装>
こちらです。ここだけ舗装が違いますね。道路全体とは異なる工事が施された証です。もう少し具体的に言うと、道を横切って水が通り抜けられるよう地下に水の路を設けた証ということになります。いわゆる『暗渠』ですね。
暗渠?
この見慣れない「あんきょ」と読みます。地下に埋設された水路とか川という意味に受け取って下さい。
城の堀がそのまま水路に転用される例はよくある話です。まぁ水路とまでいかないまでも、雨水が溜まらないように、低い所へ水が流れるよう人の手によって微妙な高低差がつけられていることはよくあります。ここも普段は水がありませんが、そんな役割を果たしているのでしょう。
道を通すからといって遮ってしまっては、水は溜まる一方。場合によっては溢れ出してしまいますね。これを避けるために、地表では途切れたかに見える堀と堀の間を、人知れず地下で繋いでいるわけですね。
何気ない道路の舗装工事にも、そんな事情が隠されている。何でそうしたかに気づくと、その場所ならではの固有の事情を知る手掛かりになります。素人の城跡巡りは、難しいことは考えず、感じたまま景色を受け入れるのが一番と思っています。ただ、暗渠というアンテナをちょっと加えるだけで、一味違った気付きになったりします。
ということで
暗渠に気付き、堀跡と堀跡がいまでも繋がっていることを実感したというお話でした。マニアックなお話にお付き合い頂き、ありがとうございました。
<現地>
さすがに土塁は繋げておけませんね
■訪問:法音寺城跡
[栃木県野木町友沼]
2021年09月18日
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