将軍が日光東照宮参拝時に休憩所とした栃木県野木町の神社を訪問しました。
<友沼八幡神社>ともぬま
日光街道沿いのこちらの神社です。
<説明板>
入口付近に『将軍御休所跡』と題して、詳しい説明が記されています。ありがたいですね。ただちょっと長いので、当ブログ用に要約しながら一部抜粋させて頂きます。
冒頭は徳川家康の亡骸がいったんは駿河の久能山に葬られ、一周忌に日光へと改葬されたことが記されています。その続きとして『東照大権現社が完成すると、将軍秀忠は日光参詣(社参)のため、四月十二日に江戸を出発している。さらに寛永十三年(1636)に東照宮が完成すると、徳川家最大の廟所として将軍はじめ諸大名、武家や公家、さらに庶民にいたるまで参詣するようになった。』とあります。更に、秀忠から始まる社参が、十二代将軍の家慶の社参まで19回に及んだと記されています。
なるほど
徳川に従う諸大名などに限らず、庶民も参詣した。街道沿いが賑わうわけですね。
興味深いのが将軍ご一行の旅のスケジュール。これについては『四月十三日に江戸を出発し、岩槻・古河・宇都宮で各一泊、十六日に日光に入り、十八日には帰途につく。復路もやはり三泊四日で帰るのが恒例となった。』とのこと。
東京から日光までは150q以上あります。日光御成道から始まる日光街道の旅は、3泊4日がスタンダードだったのですね。そして将軍本人の宿泊は岩槻城・古河城・宇都宮城。他に休憩する宿や寺社なども決められており、今回訪問の八幡神社は、将軍が二泊目の古河城を出発して最初に休憩する場所だったようです。
旅と表現してしまいましたが、弥次さん喜多さんの身軽な旅とは異なり、かなり厳格なイベントだったのでしょうね。付き添う人たちの気苦労を思うと、ちょっと複雑な思いがします。あと、おカネもかかりますね。
説明文はまだまだ続きますがこのへんで。野木町教育委員会さん、ありがとうございました。
せっかくですので境内の様子を少しだけ
<二の鳥居>
<拝殿>
<本殿>
そして
<大木と説明板>
大木の前に説明板が設置されています
<説明板>
ここ友沼八幡神社が将軍御休所であったことと、ケヤキの説明が記されています。推定樹齢550年とのこと。
<大ケヤキ>
大きすぎてちょっと撮影が困難でした
ということで
将軍が古河城を出て次の宿泊先である宇都宮城までの道中で小休止をとった神社のご紹介でした。いまも語り継がれていることが、そのまま将軍の残した足跡ということですね。宿泊場所なら分かりますが、将軍の旅は小休止の場所すらきっちり決められたのですね。付き添った家臣たちの苦労まで考えさせられる訪問となりました。
<説明板の絵図>
説明文によると友沼八幡神社は『「日光道中略記」では、はるかに丸林村、潤島村の林が、さらに遠方には若林村の森が見え、正面には筑波山を眺望できる景勝の地と記されている』とのこと。眺めの良いところだったようです。
■訪問:友沼八幡神社
(将軍御休所跡)
[栃木県野木町友沼]
■参考及び出典
現地説明板
(野木町教育委員会)
お城巡りランキング
2021年09月13日
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