タグ / 江戸城三十六見附
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地名に残る城門のなごり(内幸町)幸橋御門跡 [2024/05/19 21:25]
<内幸町>うちさいわいちょう
こちらは都営三田線の内幸町駅。内幸町は港区の地名です。かつては大名屋敷が建ち並んでいたこの付近、江戸城幸橋御門の内側に位置していることが名の由来といわれています。
幸橋御門は、肥後国熊本藩主の細川忠利に築かれました(1636年)。将軍が増上寺に詣でる道筋にあたったため御成橋門ともいわれたそうです。
<幸橋御門跡>さいわいばしごもん
幸橋御門は1873年(明治6年)に取り壊され、遺構はありません。この付近(第一ホテル付近)と..
山下門跡(江戸城)外日比谷御門と呼ばれた城門のなごり [2024/05/18 21:45]
江戸城の山下門跡を訪ねました。
<山下門跡>
この付近になります。山下門は江戸城の外濠に設けられた城門で、いわゆる江戸城三十六見附に数えられています。ただ現状はご覧の通りで、枡形の石垣など、ありし日を思わせるような遺構は存在しません。
ただし
ガード下に説明板が設置されています。
<山下門跡説明板>
こちらです。少し転記させて頂きます(『』内は原文)。
『山下門は、1636年(寛永13年)に高松藩(現在の香川県)藩主生駒高俊によって築造されま..
喰違見附のなごり(千代田区) [2023/03/29 23:00]
今回は見附の土塁を意図的に前後にずらして築いた虎口のなごりの話です。
<喰違見附跡>くいちがいみつけ
ただの道?まぁそうなんでが、奥の土塁が江戸城外郭門のなごりです。もうちょっと接近してみますかね。
<喰違虎口>くいちがこぐち
虎口とは入口のことで、ここは江戸城の内側へ進むための入口ということになります。左手前の土塁と右奥の土塁が前後にズレて築かれていること、伝わりますでしょうか?通り道をジクザクにすることで、直進を阻む効果があります。江戸城は近世城郭..
見附跡の春(千代田区)牛込見附 [2023/03/29 21:14]
<牛込見附跡>うしごめみつけ
牛込見附はいわゆる「江戸城三十六見附」のひとつ。江戸城から神楽坂などを経由して板橋方面に向かう道筋に目を光らせる役割を担いました。
<石垣>
石垣はそのなごりということですね
<説明板>
親切な説明がなされています。石垣に関するところを抜粋させて頂くと『江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。 江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、足元の図のように二つの門を直角に配置した「枡形門」..
小石川橋(千代田区)江戸城外郭門のなごり [2023/03/26 22:30]
今回は神田川に架かる橋の話です。
<小石川橋>
ただの橋?ではありますが、ここはもともと江戸城の城門が設けられていた地点です。
<説明板>
こちらに詳細が記されていますので、以下に転記させて頂きます。
『江戸城外郭門のひとつ。小石川門は、1636年(寛永13年)岡山藩(現在の岡山県)藩主池田光政によって築造されました。明治維新後、枡形石垣は1872年(明治5年)に取り壊され、その石材を利用して1877年(明治10年)に日本橋川下流の常磐橋の石橋が建造..
浅草見附のなごり [2022/07/31 19:50]
街道の要衝に設けられた見附跡を訪ねました。
<浅草見附跡>
場所は浅草橋駅近く。神田川沿いです。いまでこそ石碑のみですが、かつては江戸城三十六見附の一つに数えられる見附が設けられていました。
<浅草橋>
こちらは神田川にかかる浅草橋です。冒頭の石碑は、この橋のたもとといっても良い場所に設置されています。石碑はちょっと地味で、足を止める人はほとんどいません。わざわざ写真を撮っている私の方が目立ってしまいました。
<現地説明板>
旧浅草橋と題し..
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