街道の要衝に設けられた見附跡を訪ねました。
<浅草見附跡>
場所は浅草橋駅近く。神田川沿いです。いまでこそ石碑のみですが、かつては江戸城三十六見附の一つに数えられる見附が設けられていました。
<浅草橋>
こちらは神田川にかかる浅草橋です。冒頭の石碑は、この橋のたもとといっても良い場所に設置されています。石碑はちょっと地味で、足を止める人はほとんどいません。わざわざ写真を撮っている私の方が目立ってしまいました。
<現地説明板>
旧浅草橋と題した説明板です。見附と関係があるところを抜粋させて頂くと『江戸幕府は、主要交通路の重要な地点に櫓・門・橋などを築き江戸城の警護をした。奥州街道が通るこの地は、浅草観音への道筋にあたることから築かれた門は浅草御門と呼ばれた。また警護の人を配置したことから浅草見付といわれた。』とのこと。
この地は日本橋から北関東や東北地へ繋がる道筋でした。浅草観音方面も同じくここを経由したことから浅草御門と呼ばれたようです。そして警護のために人を配置。いかに重要な場所であったことが伝わってきますね。
その厳重さが裏目に出る悲劇もありました。江戸の大半を焼いたと伝わる明暦の大火(1657年)です。この時、囚人の逃亡を防ぐために門が閉められてしまい、避難しようとする一般庶民まで犠牲になるといったそうです。残念な事件ですね。
しかし浅草橋の交通の便の良さは変わりません。見附の周辺はその後も繁栄し、船宿などが建ち並ぶ賑やかな町であり続けたようです。
<現在の様子>
ということで
奥州街道(日光街道)が通る地点にあった浅草見附跡のお話でした
■訪問:浅草見附跡
(浅草見附跡碑)
[東京都台東区浅草橋]1-1
■参考及び出典
現地説明板『旧浅草橋』
Wikipedia:2022/7/31
お城巡りランキング
2022年07月31日
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